見出し画像

『忘れ難き旅』 第5話 ー神田川の冒険。泥にまみれた青春と、北の大地へのプロローグ―

【代筆者より:第5話をお届けします】
悪夢のあとの、眩いばかりのキャンパス・ライフ。
病から解き放たれた宏樹さんを待っていたのは、
刺激に満ちた「初めて」の連続でした。
後の「運命の女」との静かな対面、
肉体労働の過酷さを知った初アルバイト、
そして仲間たちと泥にまみれた「神田川下り」の大冒険。
携帯電話もナビもない時代。
頼れるのは地図と、若さゆえの無鉄砲さと、隣にいる仲間だけ。
そんな熱気の中で持ち上がった、さらなる大きな冒険の計画——
「車3台での北海道縦断」。
人生の色彩が一気に鮮やかさを増していく、躍動の第5話です。


精神分裂病の基本的症状が消褪したお蔭で、
私も普通の学生と同じように
キャンパス・ライフを送れるようになった。


ちょうど、前期試験の終了の打ち上げにコンパが開かれ
私も参加した。


その席で生まれて初めて、甘酒以外の酒を飲んだ。

初めて飲んだ酒は美味しくもまずくもなかった。


同席した川田という女性は
後に私の「運命の女」になるのだが、

その場では特に好感を持つこともなく
将来のことに関しては全く思いも及ばなかった。


サークルでの何回かの会合・飲み会を通じて、
仲間と打ち解けられるようになり、
私はたちまち人気者になった。


何故なら、私がおぼこで、
あまりにも世間擦れしたところがなかったからだ。 


生まれて初めてのアルバイトも経験した。

前期の語学の試験が終了してラウンジで一人寛いでいるとき、


「お前誰」


私に声をかけるものがいた。


私が「高橋といいます。法学部の一年生で新人です。
どうか宜しくお願いします」


丁重に挨拶すると、

「俺は、古所っていうんだ。文学部の一年生だよ。
おまえと同じ新人だ」


気後れしない性格なのか、初対面の私に


「もう試験終わっただろう。少し金を稼がねえか。
良いとこ知っているんだよ」


私が驚いて「どうやって」と質問すると


「バイトだよ。バイト。俺について来いよ」



不安は残ったが、折角声をかけてくれたのだから
仲間を得る絶好の機会と思い承諾した。

 

学校から一駅隔てたところに連れていかれた。


そこは「学徒援護会」という名称の
学生の小遣い稼ぎのために、

長くて一週間、短くて半日という
単発のアルバイトを斡旋している施設だった。


当時は空前の好景気だったから、
数えきれないくらいアルバイト先が紹介してあって、
どれを選ぶかに難渋した。


迷っているうちに、古所が突然

「あれが良いよ。あのバイト」



私はそのアルバイト先に目を通した。
それは、荷物の運搬作業する仕事で
時給千円、勤務時間四時間という好条件であった。


体力には自信があったから、あっさり同意した。


しかし私は何も分かっていなかったのだ。


お坊ちゃん育ちで中学・高校を通して
スポーツのクラブ活動もしていなかった身に


時給千円に見合った肉体労働が
いかに過酷ものだということを・・・・


三〇歳過ぎて身につまされることになるが。

 
予定通りに浜松町で降りて現場に向かった。

体力には自信があるといったが、
スポーツ活動を全くしていないブランクが
二年間ある。


勢い込んで作業をしようと思ったが、
最初荷物を扱ったとき、ズシリ身に応えた。


現場の人は、早く早くとせっついたが、
とてもその要求に応じることが出来ない。


結局一時間で根をあげてしまった。

現場の人たちは、怒りと不満の形相をあらわにして
頻りに、私のことを叱責したが
給料は予定通り支払ってくれた。

 
あの時代だから可能であったので
ブラックバイトなるものが跳梁跋扈している今日では
全く思いもよらないだろう。

 

その夜は、古所のところに泊まった。


私が親戚以外で外泊するのは、初めてである。

酒を飲みかわしながら、
お互いの履歴を紹介し合い、大いに盛り上がった。


古所には女友達が複数いるらしく女性に電話しまくっていた。

 
昼前帰宅するために電車に乗車していたら、
突然その電車が停止した。


「停電しました。暫く停車します」

社内アナウンスが聞こえた。


停電ということが何を意味するのか
皆目見当がつかなかった。


新聞の夕刊を拝読して、
電力の需要量が供給量を上まったことが原因で
起きた事態であることを納得した。


本当の深刻味をおぼえるのは、
ずっと後のことであるが、電力問題はもうこの時期に
潜在性を帯びていたのだ。

 

神田川の川下りをするという
珍妙だが得難き冒険をする機会にも恵まれた。


神田川を始点となる井之頭公園から
隅田川と合流する地点まで
徒歩・ボート・自転車を使って下るという
壮大な計画である。


山形さんの知り合いに
丸山さんというフリーカメラマンいて
そういう事をしたがっている会社員の仲間がいるということで
企画・計画立案してくれた。

 
最初、その話を耳にしたとき
私は二の足を踏んだ。


山形さんから下見見聞の打診の電話かかかってきたとき


「アルバイトがあるからいけません」と嘘をついた。


そしたら山形さんが

「適当な理由つけてバイト休んじまえよ。
高橋がこういう経験をする機会はもうないと思うんだよねー」


渋々応じたが、確かにこういう経験をする機会には、
二度と恵まれなかった。

 
下見見聞の際、橋から梯子をたぐって、
下の神田川まで降りた。

神田川の水は生温く濁って淀んでいた。


同行していた太田さんは

「俺は、破傷風なるのがいやだから御免こうむるよ」

下まで降りなかった。
確かにばい菌や雑菌がうようよしていたに違いない。

 


本番は、八月上旬の蒸し暑い日だった。


最初、下山さんが井之頭公園から走り、
私がボートで引き継ぎ
その後生山さんが自転車で滑走し
最後は加藤が小型ボートで運行し
最終地につくという段取りである。

 
四チームぐらいで構成されていたと思うが、


最初のマラソンでスポーツ万能の下山さんは
他チームを大きく引き離してぶっちぎりの、一番だった。


如何せん二番手の私が最悪だった。


浅瀬なので、ボートが思うように進まない。


下山さんは

「高橋、なにやっているんだ。ああもうこれじゃ駄目だ」

私を叱咤しながら嘆いていたが、
結局ボートは破れてしまい、引きずって歩いて
生山さんにやっとのことで引き継いだ。


生山さんも難渋したらしい。


首まで泥水につかり
回想ではうんちが浮いていたという。

得したのは最後の加藤である。

神田川は大きく広がり、隅田の合流地点まで
ボートを楽々運行することが出来た。

 

のちょっとした冒険の後、
ゆっくり銭湯につかり汚れ落とし疲れを癒した。


最後はいつも通り居酒屋に行ってビールに堪能した。

 


後日、この冒険の模様がテレビで放映された。

僅か一〇分にも満たないものであったが、
我々はビデオに収録し繰り返し視聴して
この滑稽だが愉快な冒険譚を楽しんでいた。


 
このように、私は病気のことは、
すっかりそっちのけで青春を大いに謳歌していた


 
その頃、サークルの先輩の山形さんが
車での北海道旅行を提案した。


知床の原生林の伐採が問題となり、
市民が援助活動をしているということが、
新聞紙上を賑わしていたからだ。


かっこうの、ルポルタージュの取材材料になるではないか。


私も参加するかどうか山形さんに打診された。


藤井の件同様ここですげなく断っていたら
一生後悔の念に苛まれたてあろう。


知床の原生林の問題にも取材にも、
何ら興味を抱いていなかったが、


些かの不安があったにしろ、
旅行自身を楽しみにしていた私は、
ここでもあっさり承諾した。


スマートフォンや携帯電話はおろか、
カーナビもインターネットもなかった時代の話である。


海外探検をするほどではないにしろ
無謀といえば無謀でもある。


だが、こういう無茶な行為をすることが出来るのも
若さの特権の一つだ。


細目に渉る計画の立案は、
山形さんが中心となって行ってくれた。


山形さんは仕切り屋であった。

天性の頭領の資質を兼ね備えていた。
後に立身出世し新興テレビ局のスタッフになった。



話がまとまった。

時期は9月上旬の九日間、
車三台、同乗者は男八人女三人、
予算は一人頭二万円。


その話を耳にした北海道旅行をしたことがある姉が、

「北海道の初秋は本州の晩秋だよ。
寒さ対策をしっかりしておいたほうが良いよ」

と忠告してくれた。



八月中、単発のアルバイトをいくつかこなし、
ニーチェの翻訳書を繙きながら
この未曾有の冒険に心わくわくしながら過ごした。

【次回予告:第6話】
夜10時、大学正門前。ついに北海道へ向けて3台の車が走り出す。
新潟からフェリーで小樽へ。
サロマ湖の美しい夕日に響き渡る「青春の馬鹿野郎」の叫び声。
しかし、慣れないキャンプ生活と北海道の「洗礼」が、
一行を待ち受けていた……。


いいなと思ったら応援しよう!