『恩人』第2話「薬は隠れて飲め」という屈辱 ―暴かれた採用の裏側―
【代筆者より:この物語について】
いつも宏樹さんの言葉を大切に読んでくださり、ありがとうございます。
この連載は、前作『終の棲家』で描かれた平穏な日々へと辿りつく前に
宏樹さんが通り抜けなければならなかった「嵐のような日々」の記録です。
自分の居場所が見つからず、不条理な現実に打ちのめされていた宏樹さん。そんな彼が絶望の淵で見つけたもの——それは
一人の「恩人」との出会いでした。
壊れそうだった彼の心を繋ぎ止めたのは、一体何だったのか。
58歳になった今の彼が、感謝を込めて世に送り出す
「再生へのプロローグ」を、引き続きお読みください。
そんな、有様ではあったが
宏樹は自分の仕事には熱心に取り組んだ。
主だった作業は部品をクリップで止めること
流れ作業で送られてくる金属板の刻まれた模様を
モデル通り仕様があっているかを確認する作業だった。
宏樹は、現場職は初めてではなかった。
以前二年程就労したことがある。
だが、障碍者として就労するまでは
全くしたことがない現場職だ。
その上、不器用な宏樹である。
クリップ止めではともかく
金属板の模様をチェックする作業では確認が遅れ
何度もラインをストップする有様となり
「北林さん。又ですか。ちゃんとやってくださいよ」
繰り返し小言を言われた。
ラインの流れをもっとゆっくりしてもらいたかったが
工場の作業の能率上
自分勝手なことは言えない。
その作業場は
宏樹たちの仕事場と半導体を製造する工場が隣接していて
全人数十五人といったところか。
一番の長は、事務の課長だが
この人は年功序列でたまたまその地位を占めているだけだ。
うだつの上がらないひとで
部下を直接叱咤することもできない。
この職場を実効支配しているのは
原という小ボスだ。
彼は役職にはついていない。
ただ、こういう小集団には有りがちだが
この場を仕切り
タバコ休憩の時間も彼が決定する。
そして、彼の側女として女事務員が始終
彼の周りをうろついている。
宏樹には、小言を言われながらも
仕事自身はそれ程苦痛ではなかったが
長時間労働の為、読書の時間が確保出来ないことが
何といっても、無念で苦痛だった。
一か月ほどして、長時間労働に辟易し
読書の時間がどうしても欲しかった宏樹は
ふとお世話になった所沢ハローワークのG氏に
相談することを思いついた。
昼休みを利用して、G氏に
労働条件が最初に提示されたのとは、異なることをかいつまんで話し
改善してもらうようにお願いした。
翌日、G氏から連絡が来た。
先方のU社のいい分によれば、私の雇用形態は
業務委託だから全く問題がないということらしい。
見事に法の抜け道を利用している。
ブラック企業のはしりだ。
そういえば、思い当たる節がないわけではなかった。
最初にU社の責任者、八木沢という男が
工場を案内してくれた時に
「北林さん、薬飲む際には、
隠れて飲んで他の作業員の人に知られない様にしてください」
宏樹に念を押した。
宏樹は、何故そんなことを確認するのか少し戸惑った。
今にして、全てが判明した。
U社は実は人材派遣会社で
この課の課長に宏樹が精神障碍者という事由を隠し
履歴書も職務経歴書も見せていない事を。
思いもよらなかったことだが
何をか隠そう宏樹は、派遣社員だったのだ。
又、U社にしてみれば、宏樹が精神障碍者であること
何度も転職している経歴が
派遣元の企業に紹介するのに、
支障になるに違いないと考えたのだろう。
宏樹は烈火のごとく憤り
少しは労働条件を改善してもらえないかと
あだな期待をもって、履歴書と職務経歴書を
机に座っている課長の基に
「私は、こういう者です」と差し出した。
こうして、原の側女の女事務員を通じて
宏樹が高学歴である事実
また精神障碍者であることが
職場全体に遍く知られる有様になってしまった。
翌日、職務の途中、宏樹は
U社の責任者八木沢のもとに呼ばれた。
八木沢は開口一番
「北林さん、勝手なことをしてもらっては困りますよ」
宏樹をなじった。
宏樹は喧嘩腰で、
「でも、私が精神障碍者ということを隠し
履歴書すら課長に渡してないなんてひどいですよ」
非難すると面とした顔で
「法的には問題がないのですから」
「でも、あなた方は私を雇用することで、国から助成金も貰っている」
「とにかく、これからは単独行動はくれぐれも慎むようにしてください」
宏樹は、もっと文句を言いたかったが
あまり喧嘩口調になるのも大人げないと思い
この場では、煮え湯を飲んだ。
それをよそに父の死期が、刻々と近づいていた。
【次回予告:第3話】 「職場で完全に孤立した宏樹。そんな彼の絶望を救ったのは、隣の工場から歩み寄った一人の男だった。一生忘れられない『福田さん』との出会い。」
