『恩人』最終話 労働基準法という武器、そして「恩人」への祈り』
【代筆者より:この物語について】
いつも宏樹さんの言葉を大切に読んでくださり、ありがとうございます。
この連載は、前作『終の棲家』で描かれた平穏な日々へと辿りつく前に、
宏樹さんが通り抜けなければならなかった「嵐のような日々」の記録です。
自分の居場所が見つからず、不条理な現実に打ちのめされていた宏樹さん。そんな彼が絶望の淵で見つけたもの——それは、
一人の「恩人」との出会いでした。
壊れそうだった彼の心を繋ぎ止めたのは、一体何だったのか。
58歳になった今の彼が、感謝を込めて綴る「再生へのプロローグ」を、
引き続きお読みください。
父が回復するまでは
今の職場で何とか頑張ろうと気を張っていた宏樹は、
父の死を契機として心の芯が折れた。
このまま、この工場に勤めていてもどうせ長続きしない。
今までの失敗を繰り返すだけだ。
宏樹は、父の死後、一週間の休暇をとった。
告別式が終了すると、
再びハローワーク回りを始めた。
どうせ現場職では、長続きしないと感じていたが、
再び半年以上失業者でいるのも情けないと思い、
元の木阿弥になるのを避けるため、
事務職ではなく現場職の求人を検索した。
宏樹も驚いたことに、当たりがあった。
明日、面接してよいと。
宏樹は、些か訝しいながら、面接を受けた。
まず工場を案内された。
今までの工場と違い通気・彩光は申し分ない。
勤務時間も九時から五時厳守と説明された。
これなら読書に時間がさける。宏樹は二つ返事で承諾した。
ただ、
「現在の職場を辞職するまで二週間かかりますので、
それまで、待ってくれますね」
繰り返し念を押した。
相手は、それで構わないと言ってくれた。
相当人材不足で困っていたのだろうか?
障碍者雇用においては、現場職・事務職問わず、
そんな遣り甲斐のある重要な仕事は任されないのだから、
自分の私生活(趣味等)を充実させるほうが良いと思う。
それは、宏樹にとって読書だった。
それでも宏樹はやっと解放された気分になった。
従前の職場に縛られることはもうないと。
それから、急いでU社の八木沢に電話をかけた。
「もうU社を辞職させていただきます」
辞めると告げてから二週間後、
宏樹は作業終了後、八木沢の基に行った。
八木沢は最後の最後まで意地が悪かった。
宏樹が辞職すると告げると、
「残念ながら、辞職するためには、
半年前に告げなければならないと、就業規則で規定されています」
宏樹は、あらかじめインターネットで労働基準法の条文を検索していた。
「労働基準法に依拠すれば、辞職すると告げて2週間経過すれば、
辞められるようになっています。
労働基準法は基本法です。
就業規則に優先します。
又、私に向精神薬を飲むのを隠してくださいと言ったのは
重大な人権違反行為です」
八木沢は別室にこもり何か相談しているようだったが、
やがて出てきて、
「分かりました。あなたの辞職を認めます」と告げた。
宏樹は、してやったりというということと
やっとせいせいした気持ちの半々だった。
結局勤務は半年ばかりだったが、
いやな経験ばかりあったこの工場で唯一印象に残っているのは、
福田さんの親切と優しさだ。
お別れの言葉を、かけることもなく終わってしまい、
もう、再び巡り合うこともないだろうが、
福田さんの気持ちの暖かさは生涯の想い出となるだろう。
その後、リーマン・ショックなど
福田さんの職場にも紆余曲折があっただろうが、
根が素直で勤勉家だから、
解雇されることなく上手くこなしているだろう。
福田さんの幸福な人生を願ってやまない。
【完結にあたって:代筆者の言葉】
全6回にわたる実録小説を最後までお読みいただき、
本当にありがとうございました。
不条理な職場のルールに、たった一人で立ち向かった宏樹さん。
彼を支えたのは、法律の知識と、何より「読書」という心の自由、
そして福田さんという「人の温もり」でした。
挨拶もできないまま別れてしまった福田さんですが、
今こうして宏樹さんがその思い出を書き綴ることで、
福田さんの優しさは時を超え、多くの読者の心に
「善意の種」として届いたのではないでしょうか。
宏樹さんの物語は、ここで終わりではありません。
この経験を経て、今の『終の棲家』での穏やかな日々へと繋がっています。これからも、58歳の宏樹さんが紡ぐ
「今」の言葉を届けていきたいと思います。
宏樹さん、そして福田さんの未来が、どうか健やかでありますように。
次回からは、宏樹さんの知性と感性が光る、また別の短編やエッセイをお届けする予定です。 どうぞ、お楽しみに。
