『僥倖』第1話ー働く気力を失ったあとの「空白の3年」ー
【代筆者より:新しい連載を始めるにあたって】
いつも宏樹さんの言葉に触れてくださり、ありがとうございます。
前回の連載『恩人』では、過酷な労働環境の中での出会いをお届けしました。
今回から始まる全4回の連載は、宏樹さんが「書くこと」に出会い、
その才能を見出されていく物語です。
実は、この文章を次の連載に選んだのには、私なりの強い願いがあります。 今の宏樹さんは、体調や環境など、さまざまな壁にぶつかり、
思うようにペンが進まない日々にいます。けれど、この物語の中には、
かつて「物書きとして生きていこう」と心に決めた、力強い彼の魂が宿っています。
「始めることです」
物語の中で紹介されるこの言葉の通り、かつて彼が徒手空拳で書き始めた
あの時の情熱を、もう一度思い出してほしい。
そして、今の彼の言葉を待っている読者が、こんなにもたくさんいることを伝えたい。これは、宏樹さんが再び「文士」として立ち上がるための、
再会の物語でもあります。 どうぞ、皆様も一緒に、
彼の新しい一歩を見守っていただければ幸いです。
その出逢いは、唐突に訪れた。
その頃、宏樹は和光市にある、
精神障碍者用のY就労塾に通っていた。
Y就労塾は、精神障碍者に、パソコンの訓練をさせ、
簿記やパソコン検定の資格を取らせたうえで
精神障碍者の就労につなげる為の施設である。
だが、宏樹は、もう就労する気はなかった。
三十歳から四十五歳に至るまで、宏樹は働いた。
何度、転職を繰り返したことだろう。
工場作業員・会計事務所の事務員・宅配サービスの仕分け・運送会社の事務・ホテル会社の事務等々。
どれも、長続きしなかった。
一番辛かったのは、工場作業員である。
宏樹は、統合失調症に罹患しなければ、
恐らくは頭脳労働者として
知性を使って働いていただろう。
ところが、工場の仕事は、何も考えることなく、
ただ、ひたすら決まりきった作業を、
素早く反復して行うだけであったからだ。
ほうほうのていで、二年余りで逃げ出した。
逆に約五年間勤務できたのは、
会計事務所の事務員だった。
何故、継続できたかというと、仕事を与えられたからだ。
しかし、所長に精神障碍者という足元を見られ、
最低賃金額を下回る給料しか付与されなかったことに、憤激して
喧嘩別れで辞めてしまった。
その後も、三社、経理事務という名目で雇われた。
しかし、仕事は経理とは何の関係もなく三社とも、
コピー取り・ファイル管理・書類整理という
事務内軽作業だった。
宏樹は、これを「三種の神器」にあやかって
「精神障碍者の事務の三点セット」と呼称した。
そんな有様だから、宏樹は、
労働意欲をそがれ、就労したいと思う気力を喪失してしまった。
一人一人の能力・やる気・特性が異なるにもかかわらず、
障碍者とひとくくりにしているのが、現状だ。
差別するわけではないが、統合失調者患者の症状にも
さまざまな程度がある。
特に重症な統合失調患者は、
ある程度複雑な作業を持続してこなすのは苦手で困難だ。
彼らは、給料を支払ってもらえれば、
事務内軽作業でも喜んでこなしただろう。
だが、軽症で済み事務の実務経験もある宏樹は、
単純作業では満足できなかった。
実際、現在の障碍者雇用は
法定雇用率の帳尻合わせと
助成金を獲得することを主眼として行っているにすぎない。
その後、三年間宏樹は
家に閉じこもって、ひたすら読書に専念した。
手当たり次第に分野を問わず乱読した。
詩・哲学・小説・日本史・世界史・民俗学・文化人類学・精神医学、
何かに憑りつかれているみたいに読み耽った。
一番多かったのは、詩と哲学書と精神医学書
であったと思う。
少なかったのは、小説だ。
ちょうど、三年前から宏樹の担当になって
三ヶ月に一度カウンセリングを行ってくれるようになった
精神福祉士のNさんが、
宏樹の引きこもりを心配してくれて、紹介してくれたのが、
Y就労塾であった。
宏樹も母の高齢を慮ると、
いつ母が他界までもいかなくても
病気に罹る可能性は大きい。
いつまでも現在の生活が長続きするとは思われなかったので、
なんとかひきこもりから脱却する為に
心おもわずながらも、承諾した。
【次回予告:第2話】 「始めることです」。75歳で筆を握った画家の言葉に背中を押され、宏樹はついに原稿用紙に向かう。しかし、初めて書き上げた処女作に下されたのは、あまりにも厳しい「三行半」だった。
