見出し画像

『忘れ難き旅』 第2話ー崩れ去る日常。幻聴の嵐と、十八歳の絶望の淵から―

【代筆者より:第2話をお届けします】
輝かしい未来を確信していた夏休み。
その最中に、宏樹さんを襲ったのは「音を立てての崩壊」でした。
止まらない心臓の鼓動、耳元ではなく「心の奥底」から響く声。
積み上げてきた知識も計画も、
指の間からこぼれ落ちる砂のように消えていきます。
なぜ、今なのか。なぜ、自分なのか。
混迷を極める冷戦下の世界情勢と、自身の精神の危機が重なり合う中、
彼は恐怖の奈落へと引きずり込まれていきます。
絶望の淵で、もがき続けた一人の受験生の、壮絶な独白。
その果てに彼が掴み取った「奇跡」とは。



破局、日常性の崩壊。夢と現つの区別がつかない。


精神分裂病の急性期の症状を言い表すとなれば
こう表現すればよいのだろうか。


当初、罹患した時は私には何が起きたか全く理解できなかった。


絶え間なく、声が聞こえてくる。
しかも、心の奥底からだ。

単なる耳鳴りではない。

一時間くらい昼寝する習慣が身についていたが心臓が激しく鼓動し、
全く眠れない。

私は夏休みの間、ベッドに這いつくばって
テレビを見ることしか出来なかった。


知識は皆無であったに関わらず、
漠然とこれは巷に喧伝されている
精神分裂病と言われているものではないかと感じた。


私の何に問題があったのだろうか?


確かに、少し傲慢であったかもしれない。

我儘であったかもしれない。


だが、私の中高時代の知り合いには、
もっと傲慢で我儘な奴はわんさかいた。

おまけに試験成績が悪くて悩んでいる時ではなくて、
かえって成績が急上昇しているときに、

こんな病気に罹患するなんて。


しかも、受験という肝心な時に罹患するとは。


つくづく己が運命を呪った。


精神分裂病に罹患してからの記憶は、
意識朦朧・混濁していて定かでない。


絶え間ない幻聴・心悸亢進・頻脈。


勉強しようと机に向かうと
「こんなことしていて良いのか」と私を非難する声が
ひっきりなしに聞こえてくる。


全く集中できない。


七月に立てていた計画がご破算になるどころか、
全然、勉強ができなくなってしまった。

 

予備校には通学していたが、教師の講義の内容も素通り。

頭に蓄積しておくことが出来ない。

 

当然、成績は急激に悪化した。


 
ちょうど、その頃書店で粟津則夫氏の書いた
「美の近代」という表題のついた本を購入した。


些か文句は違うかもしれないかもしれないが、
冒頭の章の

「世界は終りに近づいている。世界が存在している理由は
世界が存在しているからだけである」という


ボードレールの文句に接したとき
奈落の底に引きずりこまれるような、
戦慄した恐怖に襲われた。


確かに、当時は冷戦真っただなかだった。


アメリカのレーガン大統領が
SDI計画という宇宙戦争の計画まで打ち出して、
核戦争の危機が頻りに囁かれていた。


また、愛好した宮崎駿監督のアニメ
「未来少年コナン」も「風の谷のナウシカ」も

現在の産業文明の崩壊したのちの世界を
描写したものではあった。


だが、それらは観念の世界で
或いは娯楽として受け取っただけだった。


存在の深部を震撼させられる恐怖にかられたわけではなかった。


私は慌ててすぐその本を閉じた。


成績の低下に歯止めが利かず、進退窮まった末、
盲滅法にいろいろな大学の様々な学科を受験した結果
奇蹟的に某私立大学の法学部に合格することが出来た。


私の人生は一八歳では終わらなかったのだ。

【次回予告:第3話】
ようやく手にした「大学生」という肩書。
しかし、期待に胸を膨らませて臨んだ入学式で、
宏樹を待ち受けていたのは徹底的な「孤独」だった。
おさまらない病の影。誰もいない帰りのバス。
最も辛く、最もあてどない彷徨の季節が始まる。


いいなと思ったら応援しよう!