『天気の子』から「あめのにおい」を考察する
梅雨になると、なぜか見返したくなる映画があります。それは、新海誠監督の『天気の子』です。
公開された当時は、美しい映像や切ない恋愛の物語として、多くの人の心をつかみました。私もその一人でした。
けれど、『あめのにおい』を書いたあとに改めて見返してみると、以前とはまったく違う映画に見えたのです。この作品は恋愛映画というより、「人は自然とどう付き合っていけばいいのだろう」という問いを、静かに私たちへ投げかけている映画だったのかもしれません。
物語の東京では、雨が降り続いています。
人々は青空を待ち望み、晴れ女である陽菜は、願いをかなえてくれる存在として歓迎されます。洗濯物は乾き、お祭りは開かれ、人々の表情も明るくなる。その様子を見ていると、私たちもいつの間にか「晴れは良いもの、雨は困るもの」と考えていることに気づかされます。
でも、少し立ち止まって考えてみると、不思議なことです。
雨は昔から、森を育て、川を流し、田畑を潤し、たくさんの命を支えてきました。私たちも、その大きな循環の中で生かされています。まさに、「恵の雨」です。
それなのに都市で暮らしていると、雨は電車を遅らせ、予定を狂わせる「困った天気」として映ることが少なくありません。
便利さを基準に世界を見るようになると、自然まで人間の都合で測るようになってしまうのかもしれません。
『天気の子』は、そんな私たちの感覚を見事に映し出しています。
物語が進むにつれて、陽菜が晴れをもたらすたび、その代償として彼女自身が少しずつ世界から消えていくことが明らかになります。
自然を書き換えることには、それ相応の代償が伴う。
そんな重たいテーマを、この映画は説教めいた言葉ではなく、一人の少女の運命を通して描いています。
そして物語の終盤、帆高は究極の選択を迫られます。
世界を元に戻すために陽菜を失うのか。それとも陽菜を救い、雨の続く東京を受け入れるのか。
もし昔ながらの物語なら、主人公は迷った末に「世界」のための選択をしていたかもしれません。
けれど結局、帆高は、陽菜を選びました。
その結果、東京には雨が降り続けます。
公開当時、この結末に戸惑った人も少なくありませんでした。でも私は、その違和感こそが、この映画が私たちに手渡したかったものなのではないかと思っています。
私たちは「世界を元に戻そう」という言葉を、ごく自然に使います。けれど、その「元の世界」とは、いったい誰にとっての世界なのでしょう。人間にとって都合のいい世界でしょうか。それとも、自然が本来もっている姿なのでしょうか。
「なにが何が異常気象じゃ。だいたい観測史上初とか、世間はすぐそんなことを言う。そりゃいつからの観測だ。せいぜい百年、この絵はいつ描かれたと思う? ――八百年前だ。
そもそも、天気とは天の気分。人の都合など構わず、正常も異常も計れん。しめってうごめく天と地の間で振り落とされぬようしがみつき、ただ、仮住まいさせていただいているのが人間。昔は皆、それをよぉく知っておった。
――それでも、天と人を結ぶ細い糸がある。
それが天気の巫女、人の切なる願いを受け止め、空に届けることができる特別な人間。昔は、どの村にもどの国にも、そういう存在がおった」
そう。人間は仮住まいさせてもらっているんです。自然は、人間の持ち物ではありません。
思いどおりに形を変えていいものでもなく、私たちは、その大きな循環の中に、ほんのひととき住まわせてもらっている存在なのだと思います。
そんな感覚は、日本人が昔から育んできたアミニズム的自然観にも、どこか通じているように感じます。
映画のラストでは、水に覆われた東京が映し出されます。けれど、人々は絶望だけを抱えているわけではありません。変わってしまった風景の中で、それぞれが新しい暮らしを始めています。
自然を自分たちの都合に合わせて元へ戻そうとするのではなく、変わった自然とともに生きていく。そんな静かな覚悟が、この映画の最後には流れていたように思います。
『あめのにおい』を書いたあと、この映画を見返しているうちに、私自身も雨を見る目が少し変わりました。
雨を止めることばかり考えるのではなく、雨の日だからこそ見えてくる景色に目を向けたくなったのです。
濡れた土のにおい。
水たまりをすいすいと渡る小さな虫。
葉っぱをつたって落ちる一粒のしずく。
そんな小さな出来事の一つひとつが、私たちの知らないところで世界をつないでいます。
『天気の子』も、最後にはそんな世界へたどり着いていたのかもしれません。
雨の日は、つい空を見上げてため息をついてしまうことがあります。でも、ほんの少しだけ視線を足元へ移してみると、そこには晴れの日には出会えない景色が広がっています。
雨を好きになる必要はありません。
けれど、人間の都合だけで善悪を決められるほど、自然は単純な存在ではないのでしょう。
梅雨の季節だからこそ、『天気の子』をもう一度見返してみる。そして映画を見終えたら、スマートフォンを少しだけポケットにしまって、雨上がりの空気の中を歩いてみる。
きっと、昨日までとは少し違う「雨のにおい」に出会えるはずです。
