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yui_torizuka
何気なく眺めている日常の景色にも、まだ自分の知らない過去が眠っているのかもしれない ~ 読書感想文・アガサ・クリスティ「スリーピングマーダー」
きっかけは、壁紙だった。
新しい人生を始めようと、新居の扉を開ける。
家具を置く場所を考え、窓から差し込む光に期待を膨らませる。誰にとっても、引っ越しとは少しだけ未来へ踏み出すような出来事。
ところが、その家の壁紙を目にした瞬間、主人公は言いようのない違和感に襲われる。
「なぜだろう。この景色を知っている気がする。」
それは、思い出とは呼べないほど曖昧な感覚。はっきりとした記憶ではない。それなのに心のどこかが静かにざわめき始める。その小さな違和感が、眠っていた過去を少しずつ揺り起こしていく。
アガサ・クリスティの『スリーピング・マーダー』は、そんな何気ない「壁紙」がすべての始まり。
僕たちは記憶というと、自分で思い出せる出来事だけを想像しがち。しかし実際には、意識の奥深くにしまい込まれ、普段は決して姿を見せない記憶もまた、自分という存在を形づくっていて。
そして、その眠っていた記憶は、ある日突然、匂いや音楽、風景、あるいは一枚の壁紙の模様といった、ごく些細なきっかけによって目を覚ますことがある。
「ああ、この感じを知っている。」
そんな感覚が、忘れていた時間を現在へとつなぎ直す。
『スリーピング・マーダー』は、人の記憶とはどれほど曖昧で、それでいてどれほど正直なものなのかを描いた物語。
最後のページまで読む頃には、「記憶とは何か」という問いが、静かに胸に残るはず。そして、何気なく眺めている日常の景色にも、まだ自分の知らない過去が眠っているのかもしれない──そんなことを思わせてくれる一冊だ。
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