オリジナリティは、誰かのレンズを借りるところから始まる
「もっとオリジナリティを出した方がいい」
文章でも、企画でも、デザインでも、そんな言葉を聞くことがあります。
たしかに、その通りなのだと思います。
誰かと同じことをしているだけでは埋もれてしまう。
自分なりの視点があった方がいい。
自分にしか言えないことがあった方がいい。
でも、そう言われると少し困ります。
オリジナリティって、いったいどうやって出せばいいのだろう。
「自分らしく」と言われても、その自分らしさがよく分からない。
人と違うことをしようとすると、今度は奇をてらっているようになる。
誰にも似ていないものを作ろうとすればするほど、何を作ればいいのか分からなくなる。
私も長い間、オリジナリティというものを、どこか特別な才能のように考えていました。
最初から自分の中に独自の何かがあって、それを持っている人だけがオリジナルになれる。
でも最近、少し違うのかもしれないと思うようになりました。
仕事をしていると、同じ会議に参加していたのに、終わったあとで全く違う感想を持っていることがあります。
私は企画の内容を気にしていた。
隣の人は、数字の根拠を気にしていた。
別の人は、
「ところで、これって最後は誰が決めるんですかね」
と言った。
そこで初めて、
「ああ、確かに」
と思う。
同じ資料を見て、
同じ話を聞いて、
同じ時間を過ごしていたはずなのに、
その人には、私には見えていなかったものが見えている。
こういうことは、仕事をしていると何度もあります。
自分にはない視点を持っている人と一緒に仕事をしていると、
「そこを見るのか」
と思うことがあります。
自分なら素通りしていた一言を拾う。
誰も気にしていなかった数字に立ち止まる。
完成度の高い企画を見ても、
「そもそも、誰のための企画なんだろう」
と最初に戻る。
昔の私は、そういう人を見て、
「頭がいい人は違うな」
くらいに思っていました。
でも今になって考えると、頭の良さだけではなかったのかもしれません。
見ている場所が違った。
人は、目だけで世界を見ているわけではないのでしょう。
これまでの経験。
仕事。
失敗。
成功。
読んできた本。
尊敬してきた人。
大切にしている価値観。
そういうものを通して、目の前の出来事を見ています。
言ってみれば、誰もが自分なりのレンズをかけて世界を見ている。
同じものを見ても、レンズが違えば見えるものが変わる。
経営をしてきた人なら、責任と権限のズレが気になるかもしれない。
マーケティングをしてきた人なら、顧客が置き去りになっていることに気づくかもしれない。
デザインをしてきた人なら、誰がどこで迷うのかを見るかもしれない。
編集をしてきた人なら、
「ここ、なくても伝わるよね」
と思うかもしれない。
そして、もしかすると、
オリジナリティとは、このレンズの違いなのではないか。
最近そんなことを考えています。
文章も同じです。
AIについて書く人はたくさんいます。
仕事について書く人もいる。
経営について書く人もいる。
人生について書く人もいる。
テーマだけ見れば、ほとんどのことは誰かがすでに書いています。
それでも文章を読んで、
「この人らしいな」
と思うことがあります。
題材が珍しいからではありません。
同じ出来事を見たときに、どこに目が止まるかが違う。
ある人は社会の変化を見る。
ある人は人間の弱さを見る。
ある人は数字を見る。
ある人は、誰も気に留めなかった小さな違和感を見る。
その「どこを見るか」に、その人らしさが出る。
だとすれば、オリジナリティとは、
奇抜なものを作ることではなく、
自分のレンズを通して世界を見ること
なのかもしれません。
では、その自分だけのレンズは、どうやって手に入れるのでしょうか。
ここが難しいところです。
「今日から自分らしい視点を持とう」
と思っても、そんなに簡単にはいきません。
むしろ最初は、自分のレンズなんてなくてもいいのだと思います。
誰かのレンズを借りればいい。
私は、この考え方がけっこう好きです。
尊敬する人と仕事をしたとき、
その人が気にしたことを覚えておく。
本を読んで、
「この人は、こんなところを見るんだ」
と思ったら、少し真似してみる。
次に似た場面に出会ったとき、
「あの人なら、ここをどう見るだろう」
と考えてみる。
大事なのは、答えを真似することではありません。
見方を真似する。
ここには大きな違いがあります。
文章の言い回しを似せる。
企画の型を真似する。
デザインの色使いを真似する。
それも学び方の一つですが、もっと深いところでは、
その人が、
何に立ち止まるのか。
何を疑うのか。
何を大事だと考えるのか。
何を見落とさないのか。
そこを借りてみる。
つまり、
その人の目で、一度世界を見てみる。
最初は、借り物です。
それでいいのだと思います。
先生から借りる。
先輩から借りる。
本から借りる。
映画から借りる。
尊敬する人からだけではなく、
自分とは少し違う考え方をする人を見て、
「自分ならどうするだろう」
と考えることもあります。
いろいろなレンズを試していると、
不思議と好みが出てきます。
この見方は好きだ。
これは自分には合わない。
この人のここは好きだけれど、ここは違う。
少しずつ、残すものと外すものが分かれていきます。
そのうち、
ある人から借りたレンズと、
別の人から借りたレンズが混ざり始めます。
そこに自分の仕事の経験が加わる。
失敗した記憶が加わる。
うまくいかなかった人間関係も加わる。
嬉しかった経験も加わる。
年齢を重ねるうちに、大切にするものも少しずつ変わる。
そうして何年も世界を見ているうちに、
もともとは誰かから借りたものだったはずなのに、
同じ度数のレンズを持っている人が、どこにもいなくなる。
それが、その人のオリジナリティなのかもしれません。
考えてみれば、料理だって似ています。
最初はレシピ通りに作ります。
包丁の使い方も人から教わる。
味付けも真似する。
でも何度も作っているうちに、
「自分は少し薄味の方が好きだな」
とか、
「ここは火を入れすぎない方がいいな」
とか、
少しずつ自分の好みが入ってくる。
最初から、
「誰も作ったことのないオリジナル料理を作ろう」
と考える必要はない。
たくさん真似して、
たくさん失敗して、
たくさん食べて、
最後に自分の舌に残ったものが、
いつの間にか自分の味になる。
オリジナリティも、きっとそれに近いのでしょう。
そして今は、AIがあります。
文章を書いてくれる。
企画を考えてくれる。
構成も作ってくれる。
デザイン案も大量に出してくれる。
以前より、誰でも一定水準のものを作りやすくなりました。
だからこそ私は、
何を作れるか以上に、何を見ているか
が大切になっていく気がしています。
AIが同じような候補を出しても、
「ここが少し違う」と思う人がいる。
「この部分は残したい」と思う人がいる。
「これはいらない」と捨てる人もいる。
その判断の前には、必ずその人なりの見方があります。
何に違和感を持つか。
何を面白いと思うか。
何を大切だと思うか。
AIがたくさんの答えを出してくれる時代だからこそ、
人間のオリジナリティは、
答えを作るところよりも、世界を見るところに残るのかもしれません。
そして、自分にとっては何気ない気づきでも、
誰かにとっては、初めて見る景色なのかもしれません。
もし今、
「自分にはオリジナリティがない」
と思っていたとしても、
それほど焦らなくていいのだと思います。
最初から自分だけのものを持っている人なんて、たぶんほとんどいません。
まず、
「この人の見方、好きだな」
と思える人を見つければいい。
そして、ときどきその人のレンズを借りてみる。
この人なら、ここで何を見るだろう。
何を疑うだろう。
何を面白がるだろう。
自分が見過ごしたものに、その人なら気づくだろうか。
そうやっていろいろなレンズで世界を見る。
合わなければ外せばいい。
好きなら、しばらく使ってみればいい。
それを繰り返しているうちに、
「なぜか自分は、いつもここが気になる」
というものが見えてきます。
きっと、それが自分のレンズの始まりです。
オリジナリティは、
誰とも違うものを無理やり生み出すことではなく、
たくさんの見方を借り、選び、手放しながら、自分の目に合うレンズを作っていくこと。
最初は借り物でいい。
むしろ、たくさん借りた方がいい。
そうして長く世界を見続けているうちに、
いつかそのレンズは、
自分の目にしか合わないものになっていく。
そしてその頃にはきっと、
同じ景色を見ていても、自分にしか見えないものが、少しずつ増えている。
