賛否両論・人間機械論
「人間が機械だって? そんなわけがない!」
…そう思いましたか?
『人間機械論』という考えがあります。
すでに18世紀に生まれている考え方です。
文字通り、人間を「機械」に見立てた考え方。
フランスの医者であった
ラ・メトリという人(1709~1751)が
代表的な人間機械論者だ、と言われています。
彼は1746年に『人間機械論』を刊行します。
「身体は機械である。各部位は部品である。
栄養を取ることでぜんまいをまく。
永久運動の生きた見本なのである」
彼は医者ですから、人体について詳しかった。
脊髄反射。瞳孔が開く。毛穴が縮こまる…。
外部の反応に対して身体が
「機械的に」動くことを事例を挙げて主張します。
そこから派生し、人間の動作や行動もまた
「機械的」なものではないか、と主張。
心と身体は別々ではない。
心の働きはまた身体に従属する…と説きます。
「機械だから壊してもかまわない」とか
「乱暴に扱ってもいい」という論ではありません。
あくまで「機械のように身体を見立てれば
その治療に役立つ。見えもしない部分
(心や魂)で勝手に評価付けすることはできない」
という論調になっています。
…ただ『人間=機械』というパワーワードが
一人歩きして、誤解を生んだ。
極端な唯物論。心を無視している。暴論過ぎる。
機械=心がない? 人間=心があるじゃないか!
そう否定されがちな考え方でもあるのです。
本記事では、有名な小説家のエッセイを
例に挙げて、この命題について書いてみます。
唐突ですが『トム・ソーヤーの冒険』という
お話をご存じでしょうか?
「確か子どもの頃に、世界名作劇場という
TVアニメで放映されていたような…」
1980年、日本でもアニメで放映されて、
再放送などもされたので有名。
原作は1876年のアメリカ合衆国の小説。
マーク・トウェインが書きました。
マーク・トウェインは1835~1910年の人。
『王子と乞食』『ハックルベリー・フィン』
『不思議な少年』などの作品もあります。
「最初の真のアメリカ人作家であり、
我々の全ては彼の相続人なのだ!」
フォークナーという小説家は、
トウェインをこう絶賛しています。
…ただ、ベストセラー・ロングセラーを
生み出したにもかかわらず、
トウェインの生涯は
幸せ一色ではありませんでした。
4歳の頃、ミシシッピ川沿いに転居。
1847年、12歳の頃に父親が借金を残して死去。
ミシシッピ川の蒸気船に乗り込んで働く。
その際に職場で飛び交っていた
水先案内人へ「by the mark, twain!」と
合図する声を、後に自分のペンネームにします。
(注:水の深さが2ファゾム、約3.6mで、
座礁せずに通航できるぞ!という意味の合図)
1861年から南北戦争が始まると、
蒸気船の運行が激減したため、軍隊に志願。
…疲労による戦闘不能で除隊処分(脱走とも)。
その後、ネバダ、サンフランシスコ、
ハワイなど各地を転々として
記者として活躍していきました。
「…人の世にまみれ、苦労したんですね。
でも、ベストセラー作家になったんでしょ?」
しかし1894年、59歳の頃、彼は
投資の失敗などで破産してしまいます。
借金は完済するのですが、
新聞上で勝手に「死亡説」まで流されてしまう。
1910年、74歳で死去。
…このマーク・トウェインが、
1906年の晩年に書いたエッセイがあります。
◆人間とは何か(原題:What is Man?)
このエッセイの中で彼は、
「人間機械論」を展開しているのです。
「『トム・ソーヤーの冒険』など
世界中の少年少女たちの心を熱狂させた
血沸き肉躍る人間ドラマを書いた人ですよね?
そんな人情味にあふれてそうな人が
なぜ『人間機械論』を主張するんですか?」
…彼がこのエッセイで主張したことを
まとめてみましょう。
◆人間は「自身の精神を満足させたい!」という
自己満足を求める衝動に従って動く機械に過ぎない
◆人間は生まれ持った「内面の気質」を土台にして
「外部の影響」に基づき、
『自己満足』という目的のために動く機械である
◆人間は持って生まれた気質や環境に
左右されて生きているだけであり、
「自由意志」など持ってはいない
「…ずいぶんな暴論、極論ですね!
自己満足オンリー?
そんな利己的で悪魔的な人ばかりじゃない。
他人の心をおもんぱかり、他人のために働く、
そんな人だっている! 人間をなめるな!」
…そう思われましたか?
トウェインは小説家らしく、
そんな読者の「反射反応」を事前に予期して
このエッセイを書いています。
登場人物は、老人と若者。彼らの対話形式。
この老人がトウェインを投影している。
老人が「人間機械論」を述べていき、
若者が読者を代弁する形で反論していきます。
「他人のために働いている、という人も、
実は自己を満足させるために行動している」
「人間は自由な行動などしていない。
すべて先天的な気質と、後天的な教育、
それに基づいて機械的に
自己満足のために動いているに過ぎない」
…これ以上はネタバレになるので
詳しい内容は実際にお読みいただくとして
(下部にリンクを貼ります)
私自身の「人間機械論」に対する
考えを書いてみよう、と思います。
「機械」という言葉の定義が大事ですよね。
単純な機械なのか、
複雑なAIのようなものなのか?
たとえ人間=機械としても、その複雑さ、
千差万別さは単純ではない、と思う。
どうしても「機械」という言葉からは
心が無い、自動的、残虐無比、ドライ、
そんなイメージが生み出されます。
でも『鉄腕アトム』や『ドラえもん』もいる。
そのあたりの感覚は違うかもしれない。
フランスの医師、ラ・メトリは
医学的に「生理的な身体反応」から
人間は機械的に動くものだ、と論を展開しました。
アメリカの小説家、マーク・トウェインは
心理的に「自己満足に対する欲求」から
人間は機械的に動くものだ、と説いていく。
決して彼らは「人間には心が無い」と
言いたいだけではない、と思うのです。
その「自由な心」には錯覚が多く、
すでにこれまでに積み重ねてきた判断や行動、
スタイルや生き方や個性によって
「自動的に」動く側面もあるのではないか…?
と注意喚起したいだけなのだと
勝手に思っています。
決して人間は「何でもできる」
「何でも自由に行動できる」存在では、ない。
それは思い上がりである。
身体や生まれ持った個性や経歴による制約、
機械的な部分に向き合って「絶望」して初めて、
ではどのように今後生きていくか?という
「謙虚な希望」もまた生まれるのでは…と
言いたかったのではないかと感じるのです。
まとまりませんが、最後にまとめます。
本記事では「人間機械論」について
一部だけを紹介してみました。
すぐには答えの出ない命題です。
読者の皆様はどう思いますか?
…「脊髄反射的に」どう感じましたか?
◆解説動画はこちら!
解説動画は生成AIの
Notebooklmにて作成いたしました。
(誤字等はご容赦ください)↓
◆本記事は以前に書いた記事のリライトです↓
『What is Man? ~賛否両論・人間機械論』
◆マーク・トウェイン原作の日本のアニメ、
日曜名作劇場『トム・ソーヤーの冒険』の主題歌
「誰よりも遠くへ」は名曲だと思っていますので、
よろしければぜひどうぞ!↓
◆マーク・トウェイン『人間とは何か』↓
◆漫画版もあります↓
◆ラ・メトリ『人間機械論』↓
合わせてぜひどうぞ!
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