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#70歩くとき、腕は何をしている?〜対角線という見方から〜

🖤The Art of Using the Body #70

歩くとき、腕は何をしている?

〜対角線という見方から〜

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歩いてみます。

右脚が、

前へ。

左脚が、

前へ。

足元を見れば、

歩くことは、

脚が交互に動いているように見えます。

でも、

少し視線を上げると、

もう一つ、

動いているものがあります。

腕です。

右脚が前へ出るころ、

反対側の腕が前へ動く。

左脚が前へ出るころ、

また反対側の腕が前へ動く。

いつも、

まったく同じとは限りません。

でも、

普段の歩きの中には、

そんな関係がよく見られます。

では、

腕は、

何をしているのでしょう。

ただ、

脚についてきている?

バランスを取っている?

勢いをつけている?

それとも、

もっと別の見方もできる?

今回は、

脚から少し離れて、

歩いている「腕」

を眺めてみます。

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🔴 歩いているのは、脚だけじゃなかった

前回、

一歩の始まりを見ました。

足が床から離れる前にも、

身体では、

すでにいろいろな変化が起きていました。

そして、

歩き始めれば、

さらに多くの場所が、

一つの行為へ参加していきます。

脚。

骨盤。

胸。

頭。

腕。

でも、

ここで、

「全身を全部動かそう」

とは考えません。

Integrationで見たいのは、

全部を参加させることではなく、

すでに一つの行為へ参加しているものどうしの関係です。

その入口として、

今日は、

腕と脚を見てみます。

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🔴 右脚と、左腕

誰かが歩いているところを、

横から見てみます。

右脚が前へ。

そのころ、

左腕も前へ。

次は、

左脚が前へ。

右腕も前へ。

身体の中を、

斜めに線が走っているようにも見えます。

右脚と、

左腕。

左脚と、

右腕。

これを、

「対角線」

という見方から眺めることができます。

でも、

対角線という線が、

実際に身体の中に引かれているわけではありません。

これは、

一つの歩きを見るための、

見方です。

「脚」だけを見ていたときには、

見えなかった関係が、

少し見えやすくなります。

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🔴 対角線で「動く」のが正解?

ここで、

すぐに、

こんなことを思うかもしれません。

「じゃあ、

右脚を出すときに、

左腕をちゃんと振ればいいんだ。」

でも、

少し待ってみます。

普通の歩行では、

腕と反対側の脚が協調するパターンがよく見られます。

一方で、

その関係は、

歩く速さなどによっても変わります。

そして、

生活では、

腕がいつも自由に振れるとも限りません。

バッグを持っている。

傘を差している。

誰かと手をつないでいる。

スマートフォンを持っている。

荷物を抱えている。

それでも、

私たちは歩くことができます。

だとすると、

「正しく歩くには、必ず対角線で腕を振る」

とは言えません。

対角線は、

身体が守らなければならない規則ではなく、

ある歩きの中に現れている関係を見るための窓。

として使ってみます。

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🔴 腕は、「ただついてきている」?

では、

腕は、

脚の動きに、

ただついてきているだけなのでしょうか。

これも、

そんなに単純ではなさそうです。

歩いているときの腕の動きには、

身体の力学によって生まれる側面もあれば、

筋活動や神経系による協調も関わっています。

また腕振りは、

歩行中に生まれる身体の回転に関係する力を調整することなどにも関わると考えられています。

でも、

ここで、

腕の「本当の仕事」を、

一つに決めなくていい。

バランス?

回転?

効率?

リズム?

どれか一つだけを、

腕の役割にしなくてもいい。

むしろ、

腕も、歩くという一つの行為の中で、ほかの場所と関係しながら働いている。

まずは、

そのくらいにしておきます。

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🔴 腕と脚の「あいだ」には、何がある?

右脚。

左腕。

二つだけを見ると、

ずいぶん離れています。

では、

その「あいだ」には、

何があるでしょう。

骨盤があります。

背骨があります。

胸があります。

肋骨があります。

肩があります。

そして、

筋肉やさまざまな組織があります。

でも、

右脚から左腕まで、

一つの動きが一本道を通って伝わっている、

と考える必要もありません。

#64で

頭と尾を見たときと、

少し似ています。

離れていることと、関係していることは、同時にありうる。

しかも、

関係しているからといって、

同じことをする必要はありません。

脚は、

床と出会う。

腕は、

空間の中を動く。

骨盤や胸も、

それぞれ違う仕方で、

歩きに参加しています。

違う場所が、

違うことをしながら、

一人の人が歩いている。

ここにも、

Integrationがあります。

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🔴 「波」は、ある?

Spineでは、

動きの中にある、

順序や時間差を見るために、

「波」

というイメージを借りました。

歩くときにも、

波という見方を置くことはできます。

ある場所が動く。

別の場所が変わる。

次の一歩が生まれる。

右。

左。

また右。

繰り返しの中に、

リズムが見えることもあります。

でも、

歩きそのものが、一つの波である

と決める必要はありません。

波として見ると、

見えてくるものがある。

でも、

そのイメージだけでは、

見えにくくなるものもある。

だから、

Spineでそうしたように、

ここでも、

一度借りて、

また手放せます。

波に身体を合わせるのではなく、

波という見方から、何が見えるのか。

それだけです。

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🔴 「四つ足の記憶」?

腕と脚の対角的な協調を見ると、

四つ足で移動する動物や、

赤ちゃんのハイハイを、

思い浮かべるかもしれません。

実際、

人の四肢の協調については、

二足歩行と四つ這いの移動に共通する神経的な仕組みがある可能性が研究されています。人の這行と他の四足動物の移動のあいだにも、いくつかの共通点が報告されています。

でも、

そこから、

「私たちの中に、四つ足だった頃の動きの記憶が残っている」

とまで言う必要はありません。

それは、

科学的な説明というより、

一つの物語になってしまいます。

赤ちゃんのハイハイも、

動物の歩行も、

私たちにとって面白い比較の窓です。

でも、

そこに、

失われた「本来の歩き」を探さなくていい。

今歩いている、この身体。

まず、

ここから学びます。

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🔴 腕を振らなかったら?

歩いているとき、

腕は、

いつも同じように動いているでしょうか。

たぶん、

そうではありません。

ゆっくり歩く。

急ぐ。

話しながら歩く。

荷物を持つ。

狭いところを通る。

階段を上る。

そのとき、

腕と脚の関係も、

少しずつ違うかもしれません。

ここで面白いのは、

関係があることと、関係が固定されていることは違う

ということです。

「対角線」が見えることもある。

別の関係になることもある。

身体は、

今していることに応じて、

協力の仕方を変えることができます。

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🔴 「腕を振る」から、「歩いている腕」へ

「腕を振って歩きましょう。」

そう言われると、

私たちは、

腕を一つの運動として、

大きく振ろうとするかもしれません。

もちろん、

それが役に立つ場面もあります。

でも今日は、

別の見方を置いてみます。

腕を振っている人が歩いている、

ではなく、

歩いている一人の人の中に、腕の動きもある。

ほんの少し、

言葉が違うだけです。

でも、

見えるものは、

変わってきます。

腕は、

脚とは別の運動をしているのではなく、

同じ行為の中にいます。

だからといって、

脚に従っているわけでもない。

一つの行為の中で、それぞれが違う役割を持ちながら関係している。

そんなふうにも、

眺められます。

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🔴 「つながり」を、つくらなくていい

ここまで読んで、

腕と脚のつながりを、

もっと感じたくなった人もいるかもしれません。

でも、

無理に、

つながりをつくる必要はありません。

右脚。

左腕。

その「あいだ」。

感じるかもしれない。

何も感じないかもしれない。

腕の方が気になるかもしれない。

足の方が気になるかもしれない。

あるいは、

行き先の方がずっと大事かもしれない。

それでいい。

関係を感じることと、関係が存在することも、同じではありません。

身体の全部を、

意識の中へ入れておかなくても、

一人の身体は、

一つの行為をつくっています。

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🔴 そして、「対角線」も手放す

今日は、

歩く身体を、

対角線という窓から眺めました。

右脚と、

左腕。

左脚と、

右腕。

離れた場所どうしの関係が、

少し見えてきました。

では、

最後に、

その線を消してみます。

右脚。

左腕。

対角線。

そんなことを、

考えずに、

ただ歩く。

向こうへ行く。

誰かと話す。

景色を見る。

歩いているとき、

腕を忘れていてもいい。

脚を忘れていてもいい。

対角線を忘れていてもいい。

学ぶために、

一度、

違いを前景にする。

関係を見る。

そして、

また、一つの行為へ戻る。

#69で見えてきた

Integrationの動きが、

ここにもあります。

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🔴 Integration

#68では

身体は、

最初から一つだったことへ戻りました。

#69では

一歩をほどいて、

その始まりにある、

いろいろな関係を見ました。

そして今回は、

歩いている身体の中に、

離れた場所どうしの協力

を見ました。

右と左。

腕と脚。

離れている。

違うことをしている。

それでも、

一つの歩きに参加している。

Integrationとは、

違いをなくすことではなさそうです。

むしろ、

違いを見たあとで、違ったまま関係している一つの行為へ戻ること。

そんな姿が、

少しずつ見えてきました。

そして最後には、

その「関係」という言葉さえ、

持ち続けなくていい。

また、一人の人が歩いている。

そこへ戻ります。

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次回は、

その歩きを、

今度は、

一番下から眺めてみます。

足。

歩くたびに、

床と出会っている場所です。

足は、

身体を前へ押し出すもの?

地面を蹴るもの?

衝撃を受け止めるもの?

それとも、

それだけではない?

次回は、

足は、歩くとき何をしている?

そんな問いから、

身体と床との「あいだ」を、

もう一度眺めてみます。

🖤The Art of Using the Body主宰 やまぴー

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