枯れゆく花、人の最期の美しさ
枯れゆく花が、美しいと思うようになった理由
少し前から、
枯れた紫陽花や、
花瓶の中で静かに枯れていく百合を、
美しいと思うようになりました
醜悪の美ではなく、
純粋な美しさとして
みずみずしく咲いているときとは違う、
色褪せ、乾き、形を変えていく姿
つぼみの美しさ、
満開の美しさ、
枯れゆく美しさ
これらは比較できない
それぞれの美しさだと思うのです
それはきっと、私自身が年齢を重ね、
「時を重ねることの美しさ」を
少しずつ知るようになったからだと思います
年齢を重ねることは、
衰えていくことだけではありません
その逆もあります
さまざまなものを受け取り、
喜びも悲しみも経験し、
何度も傷つきながら、それでも生きてきた
その時間は、
その人にしかない美しさとなり、
目には見えない強さとなって、
静かにその人の中に宿りつづけると思います
若いころの私は、
「花は、満開のときがいちばん美しい」
と聞かされて、
そういうものなのだと思っていました
もちろん、咲き誇る花を
いちばん美しいと感じる人がいてもいい
けれど今の私は、
それだけが一番美しいと思えなくなりました
満開の桜ももちろん美しいし
散ってゆく桜も同じく美しいのです
以前は、散る桜を見て、
どちらかといえば寂しさや
センチメンタルな気持ちになっていたけれど
今は満開の時と同じような
感動の気持ちで見ているのです
きっかけは次の出来事からでした
はっきり気づいたのは、
母を看取ったときでした
亡くなる直前の母は、
本当にびっくりするほど美しかった
若さや華やかさとは異なる、
言葉ではうまく表せないほどの美しさでした
私は母から
人は、人生の最期の瞬間に向かって、
最も深い美しさを見せることがあるのだと
教わりました
医師としても
何度か最期に立ち会ってきました
振り返ってみると、
そこにはいつも、
特別な静けさがありました
もちろん、最期に至るまでには、
苦しみや痛み、悲しみがないわけではありません
決して、きれいなことだけではありません
それでも、
人がこの世界を旅立とうとする瞬間には、
その人が生きてきた時間のすべてが
静かに現れるように感じることがあります
その人が愛したもの。
守ってきたもの。
耐えてきたもの。
乗り越えてきたもの。
喜びも、悲しみも、
成功も、後悔も
その人の人生のすべてが溶け合って、
ひとつの光になるような神秘の時
それは、その人の人生の集大成ともいえる、
静謐な瞬間です
私はそこに、
人の最も深い美しさと、
最も力強い姿を見るのです
もちろん、
肉体的な強靱さではありません
もっと深いところから現れ、
沸き立つもの
その人の奥にずっと存在していた、
たましいの美しさ、
たましいの強さです
肉体が静かに力を手放していくとき、
その人のたましいが、
最後にひときわ澄んだ光を放つ
私には、そう感じられるのです
母を看取ってから、
花や草木が枯れていく姿を
以前にも増して愛おしく思うようになりました
春に芽吹き、
夏に咲き、
秋に色を変え、
冬に枯れて土へ還っていく
自然は、生まれることも、
満開に咲くことも、
枯れていくことも、
そのすべてを受け入れています
その感覚もないほど自然に
その姿には、
咲いていた時間も、
雨に打たれた日も、
太陽を浴びた日も、
すべて刻まれています
だから私は、
枯れた紫陽花や百合を見つめるとき、
「美しい」と、心の中で声をかけます
咲き誇る花には、
咲き誇る花の美しさがある
時を重ね、色褪せ、形を変え、
静かに枯れていく花にも、
その瞬間にしか見られない
深い美しさがあると思います
自然がそうなら、
その一部である人間も、
きっと同じです
年齢を重ねることも、
変化していくことも、
いつか終わりを迎えることも、
人生をかけて醸し出す
唯一無二の美しさなのだと思います
きれいごとではなく。
心からそう思います。
