『流されて』ーー美しい海が生んだ、残酷な愛の物語
1974年のイタリア映画です。
これは綺麗な映画ですよ。
まずは簡単なあらすじから書きたいと思う。
ラファエラたちブルジョワの一行は、貸し切りの大型ヨットで地中海のバカンスを楽しんでいた。
ラファエラの夫はかなりの資産家で、ラファエラは鼻持ちならないブルジョワ夫人。使用人のジェナリーノをアゴで使い、全裸に近い格好で太陽を浴び、自由気まだ。
ラファエラは、突然砂浜で海水浴がしたいと言い出し、ジェナリーノにゴムボートを運転させ、2人で島を探すが、突然ボートのエンジンが故障し、2人は数日間海を漂う。
2人は無人島に漂着するが、事ここに至っても、ラファエラはジェナリーノを役立たずのウスノロバカとけなす。
しかしジェナリーノはラファエラを放って島を探検し、小さな漁師小屋をアジトに水を手に入れ、ウサギを捕まえ、火をおこし、肉を頬張る。
ラファエラは、空腹にたえられず、金を払うから食べ物を売ってくれというが、こんな無人島で金など何の役にも立たない。ジェナリーノとラファエラの立場は逆転する。
ジェナリーノは力と暴力でラファエラを支配し、セックスまで強要する。しかし生きていくためには、ラファエラは従うしかなかった。
この映画は、その過激な関係を単なる恋愛として描いているわけではない。文明や財産という後ろ盾を失ったとき、人間の力関係はどう変わるのか。階級や男女の支配関係を、かなり挑発的に描いた作品でもある。
ところが次第にラファエラに変化が起きる。
力のあるものが、ここでは正義なのだ。食料を調達できるものこそが、王様なのだ。
ジェナリーノは次第にラファエラの心まで支配し、ラファエラは、次第に彼の虜になっていく。
ラファエラは、ジェナリーノを心から愛するようになるのだ。
ところがある日、通りかかった船に、2人は救出される。
現実に戻る時がきたのだ。
イタリア本土に戻ったら、この2人にはどんな関係が待っているのだろうか?
女流監督によるこの映画は、まず音楽がとてもいい。口笛なども使いながら、ムード溢れる美しい光景を演出する。
物語だけ読むと、美しさは伝わらないかもしれないが、白い砂浜の美しさ、そこで2人っきりの男女の営み、そうした情景が、悲しげな、ロマンチックな音楽によって詩的な美しさにまで昇華されている。
暴力や支配、階級といった重いテーマを扱いながらも、この映画は不思議なくらい美しい。そのアンバランスさこそが、この作品を忘れがたいものにしているのだと思う。
男と女。海と白い砂浜。そして美しい音楽。それらが、この過激な物語を抒情的な映画へと変えている。
本土に戻った2人はどうなっていくのか。クライマックスは、あえて書かない。ただ、そこでも切なく、心に染みる音楽が映画を盛り上げることだけ付記しておきたい。
