俺たちの南米熱風録
机の上が歴史の本と謎の熱気で溢れかえっている三野瀬です。
今回は珍しく、というか俺のnote史上一番真面目なんじゃないかってレベルで、世界の歴史について語ってみようかと思います。
いやね、なんとなく世界のガツンとした変革の歴史を調べていたら、フィデル・カストロとチェ・ゲバラの二人の人生が壮絶すぎて、俺の脳内テンションが突き抜けてしまったワケですよ。
彼らが駆け抜けた激動のキューバ革命と、その後の光と影について、俺の知識を総動員して、ユルく、かつディープに掘り下げていきます。
どうか一つ、テキトーに流し読みしてみて下さい。きっと後悔しません。

まずは当時のキューバがどれだけヤバい状態だったかって話から始めましょう。
時は20世紀中頃。当時のキューバは、ハッキリ言ってアメリカの完全なる植民地、というか「アメリカの美味い植民地付き巨大カジノ」みたいなモノでした。
サトウキビの農場も、鉄道も、電気も、めぼしい利権は全部アメリカの企業に握られていて、地元のキューバ人たちは死ぬほど働かされているのに超貧乏。
おまけにフルヘンシオ・バティスタっていう、アメリカの息がかかった独裁者が国を牛耳っていて、自分の懐を肥やすことしか考えてないワケです。
政治に文句を言おうものなら即座にひどい目に遭うという、まさに暗黒時代。
そんな狂った光景に「ふざけんじゃねえ!」と立ち上がった一人の熱い男がいました。それが若き弁護士、フィデル・カストロです。
彼は1953年に仲間を集めてモンカダ兵営っていう軍の拠点を襲撃するという、正気の沙汰とは思えない特攻をかましました。
結果は当然というか、ボコボコにされて大失敗。
カストロは捕まって裁判にかけられるんですけど、ここで彼は「歴史は私に無罪を宣告するだろう」とかいう、漫画の主人公でも言わないような激アツな大演説をぶちかまして、一躍ヒーローになります。
その後、特赦で釈放されたカストロは、一度メキシコへ亡命して、次なる戦いの準備を始めるワケです。
そして、運命の歯車がガチッと噛み合う瞬間がやってきます。革命前夜、メキシコでの二人の出会いです。
ここで登場するのが、アルゼンチン出身の若き医師、エルネスト・ゲバラ。 彼は医者でありながら、南米大陸をバイクで旅してまわり、貧しい人々の悲惨な現実を見て「この世界はどうにかしなきゃダメだ」と、心の中で静かにブチ切れていたインテリ青年でした。
ある夜、カストロとゲバラはメキシコシティの小さなアパートで初めて顔を合わせます。
そこでカストロが「俺はキューバに戻って、バティスタの独裁政権を絶対にぶっ潰す!」って熱弁を振るったら、ゲバラはソイツの圧倒的なオーラと、嘘偽りのない本気の眼差しに一発で惚れ込んでしまった。
「よし、俺も行くわ」と、出会って数時間でキューバへの同行を決意。この時のゲバラ、フットワーク軽すぎです。
でも、ここから世界を変える最強のコンビが誕生したワケですね。

さあ、いよいよ革命への道のりがスタートするんですけど、これがまた信じられないくらい泥沼のド根性ストーリーなんです。
1956年、彼らは「グランマ号」という、定員オーバーで今にも沈みそうなボロ船に82人の仲間を詰め込んで、メキシコからキューバに向けて出航しました。
もうこの時点で死亡フラグが立ちまくっているんですけど、案の定、キューバの海岸に上陸した直後、バティスタ軍の待ち伏せにあって集中砲火を浴びます。
大半の仲間が戦死するか捕まり、命からがら逃げ延びたのは、カストロやゲバラを含めて、わずか12人ほど。
普通なら「あっちゃー、こりゃ一本取られたわ。あはは、お前はアホか」って諦めて解散するトコロです。
しかし、カストロは違いました。
生き残った数人を見渡して「よし、これで勝った!」とか言い放ったらしいです。
ポジティブ思考の次元が違いすぎて、俺だったら引いてます。
これ、ハッキリ言って笑えないレベルの絶望的な戦力差だったワケですよ。 当時のバティスタ政権が動員できた正規軍の数は、なんと約3万から4万人と言われています。
万ですよ、万。あっはっは、もうバカかと。
上陸直後の待ち伏せの時だけでも、航空機からの爆撃やら、数にモノを言わせた地上部隊の集中砲火やらで、カストロたちの背後は完全にハサミ打ち状態。大軍に完全包囲されていた。
こっちはボロボロになってジャングルに逃げ延びた、わずか12人のハゲタカ部隊(失礼)。
対する敵は、最新のアメリカ製兵器で武装した数万人の正規軍。 普通なら「はい、ゲームオーバー。お疲れ様でした」ってトコロですよね。
いやー、調べれば調べるほど、当時の彼らの精神ゲージはどうなってたんだって話ですよね。
で、彼らはマエストラ山脈という鬱蒼としたジャングルに逃げ込み、そこからゲリラ戦を開始しました。
ここでゲバラが本領を発揮します。
彼はもともと重度の喘息持ちで、息をするのも苦しいハズなのに、誰よりも過酷に働き、誰よりも勇敢に戦った。
しかも、ただ戦うだけじゃなくて、ジャングルの中にラジオ局を作ったり、新聞を発行したり、農民たちに文字を教えたりして、味方をどんどん増やしていったワケです。
厳しい規律を守り、民衆を絶対に味方につけるという徹底した立ち回りで、ゲリラ部隊はどんどん巨大化していきました。
そして1958年末、ゲバラ率いる部隊が要衝のサンタ・クララを鮮やかに攻略。これを見た独裁者バティスタは「もうダメだ!」と夜逃げをかまし、1959年1月、ついにカストロたちがハバナに凱旋。
こうして見事にキューバ革命が達成されました。あっはっは、マジでやっちゃったよこの人たち。

革命が成功した後のキューバは、怒涛の勢いで突き進みます。 カストロは「キューバはキューバ人のものだ!」と言って、アメリカ企業の資産を全部没収して国有化しました。
これにアメリカが大激怒して、経済封鎖を食らわせたり、カストロを暗殺しようとあの手この手で嫌がらせを仕掛けてくるようになります。
そうなると、キューバとしては生きていくために、アメリカのライバルであるソ連に接近せざるを得ないワケで、自然とマルクス主義、つまり社会主義の道へと舵を切ることになりました。
ゲバラも新政府で国立銀行総裁や工業相といった超要職に就任して、新しい国作りに励みます。
でも、ゲバラの本質はどこまでも純粋な革命家でした。
彼は「人間はお金のために働くのではなく、社会のために働くべきだ」という、非現実的なまでに美しい理想を掲げて、みずからサトウキビ畑で泥まみれになって労働に励んだりしていました。
しかし、現実の政治や経済はそんなに甘くありません。
ソ連式のやり方を取り入れようとしても上手くいかず、だんだんと現実の壁にぶち当たることになります。
さらに、ゲバラは政治の表舞台でも過激すぎました。
国際会議の場で「ソ連は社会主義の国なのに、貧しい国から搾取してやがる。アメリカと同じじゃねえか!」と、援助をもらっている大ボスであるソ連を堂々と正面からディスってしまったワケです。
これにはソ連の偉い人たちも大激怒。
キューバ政府に対して「あの生意気なゲバラを首脳陣から外さなければ、キューバへの物資の援助を削減する」という、超ガチな通告を突きつけてきました。
ただでさえアメリカのせいで経済がピンチなのに、ソ連にまで見捨てられたら国が崩壊してしまう。 カストロも、これには相当頭を抱えたハズです。
ゲバラは、自分が国にいることがカストロやキューバの重荷になっていることを、誰よりも察していました。
「俺の仕事は、この部屋で書類に判子を押すことじゃない。まだ世界中にいる、虐げられている人たちを解放することだ」
そう決意したゲバラは、カストロにキューバの政治の一線から退くことを伝えます。
そして、盟友カストロ、最愛の父母、そして幼い子供たちの三者に宛てた、涙なしには読めない切なすぎる『決別の手紙』を書き残し、住み慣れたキューバを去っていきました。
この手紙の中で、カストロに対して「もし地球の別の空の下で最期の時を迎えることになっても、俺の最後の思いはキューバの民衆、特に君に向けられているだろう」と綴っていて、二人の絆の深さに俺もちょっと目頭が熱くなりました。

キューバを出たゲバラが次に向かったのは、アフリカのコンゴでした。 しかし、ここでの戦いは完全なる失敗に終わります。
地元の兵士たちの士気は低く、言語や文化の壁も厚くて、ゲバラの理想とするゲリラ戦がまったく通用しなかった。
おまけに、過酷な環境のせいで持病の喘息が最悪の形で再発。呼吸すらままならないボロボロの肉体状態で、這うようにしてコンゴを撤退せざるを得なくなりました。
普通ならここで心が折れて隠居生活でも送りそうなもんですけど、彼の革命魂は1ミリも衰えていませんでした。
1966年、ゲバラは変装して南米のボリビアに潜入し、再びゲリラ戦を開始します。
しかし、ここでも地獄のような苦難が待ち受けていました。
ボリビアの共産党からは協力を拒否され、期待していた地元の農民たちからは「なんか怪しい外国人が山にこもってるぞ」と警戒され、完全に孤立無援。
喘息の薬も底をつき、足は腫れ上がり、まさに満身創痍の状態で、迫り来るボリビア政府軍とアメリカのCIAに追われ続けました。
そして、ついに最期の時が訪れます。
1967年10月8日、ゲバラは山中で捕らえられ、翌日、小さな村の学校の教室で、裁判もなしに射殺されました。享年39歳。
処刑される直前、怯える処刑兵に向かってゲバラが放った最後の言葉がこれです。
「落ち着け、そしてよく狙え。お前はこれから一人の人間を殺すのだ」
死の恐怖を完全に超越した、凄まじいまでの王者のオーラ。
最後まで己の信念を貫き通した、圧倒的な生き様がそこにありました。
彼の死後、その劇的な人生と、劇的にイケメンな容姿も相まって、世界中で凄まじいまでの神格化と英雄視が始まりました。
あの有名なアルベルト・コルダが撮影した、ベレー帽をかぶって遥か彼方を見つめるゲバラの写真は、今や世界で最も複製されたポートレートと言われ、Tシャツからポスターまで、反体制や自由のシンボルとして若者たちに消費されています。
本人が見たら「俺を商業主義の道具にするんじゃねえ!」って怒りそうですけど、彼が命をかけて遺した情熱は、今も世界中の人間の心を揺さぶり続けているワケです。


さて、ゲバラの話が盛り上がりすぎて忘れそうになりますが、残されたカストロのその後の功績についてもたっぷりと語らなきゃ嘘になりますよね。
ゲバラが去った後も、カストロはアメリカという超巨大な怪物をすぐ目の前にしながら、なんと半世紀近くもキューバのトップに君臨し続けました。
これだけでも奇跡みたいなモンです。
カストロの最大の功績は、何と言っても教育と医療の分野を「完全無料」にしたことです。
革命前のキューバは、文字を読めない人が信じられないくらい多かったんですけど、カストロは革命直後に「文盲を全滅させる!」と宣言して、全国に知識人を派遣する大キャンペーンを行いました。
その結果、キューバの識字率は一気に世界最高レベルにまで跳ね上がった。
さらに医療に関しては、国中の病院を無料にして、医者の育成に死ぬほど力を入れました。
今やキューバの医療技術は世界トップクラスで、乳児死亡率の低さはアメリカに勝っているほどです。
世界中に医療国際主義として医者を無償で派遣して、貧しい国の人々を救いまくっている。これはハッキリ言って、他のどんな大国も真似できない素晴らしい偉業です。

もちろん、彼らのやったことには影の部分もありますよ。
独裁政治だとか、表現の自由がないとか、経済がずっと苦しいままだとか、批判される要素はいくらでもある。
でも、当時のアメリカによる理不尽な支配に対して、一歩も引かずに「俺たちの国は俺たちが決める!」と胸を張って生き抜いた彼らのプライドとド根性は、歴史に特大の足跡を残したんです。
激動の時代をひたすら駆け抜けて、世界をガラリと変えてみせた二人の男。 彼らの生き様を見ていると、何だか日頃のちっぽけな悩みなんてどうでもよくなってくる気がします。
色々あったけど、彼らは間違いなく、自分たちの信念を貫いて全力で生き抜いた。
俺も彼らほどのスケールとはいかないまでも、自分の人生をそこそこに頑張っていこうかな、なんて思った次第です。
というワケで、力尽きたのでここらでオシマイ。

