409 問いで終わる未来の話 【第3話】「時間は、まだ私たちのものか」
死への存在(Sein zum Tode)
ドイツの哲学者ハイデガーの思想「死への存在(Sein zum Tode)」は、人間を「生まれてから死に向かっていく存在」と定義する。詳しくはこちらを参照。
死を避けるべき限界ではなく、自らの死を自覚することで日常を見直すこと。主体的に本来の自分を見つめて生きることを考えるのだと提案しているんだと、私なりに解釈。
母の死を経験したことで、私自身、かなり死生観は変化している。
死までどう生きるか? それを考えるとき、必要なのは時間だと感じた。思い切り飛躍させると、いまほど「時間」が問われている時代はない。コスパ、タイパといった言葉は軽いものの、価値観として費用対効果には必然的に費用の中に時間が含まれているし、タイムパフォーマンスを切実に感じるのは、自分のタイム(時間)とパフォーマンスの対比をするからだ。
多様な時間軸の中で
世の中はさまざまな時間軸によって構成されている。私の時間とトランプ大統領の時間は違う。前回の長期と短期の話もそうだ。「1日は24時間、みな平等に訪れる」という幻想は終わった。人によって時間は違う。
政治は短期=生きている間が大事
SNSは瞬間=生きている瞬間
だが問題は長期=死後も残る
私たちは、長い未来を想像できなくなっているのではないか。それを想像することは、いまを生きる時間軸からすれば損に思えるから。
そうやって切り捨てると、「無関心」が生まれる。
無関心とは、未来を描けない状態と考えることもできる。描けないだけではなく、描こうとすることそのものを否定する。
問いで終わる
こうして、国家と個人の間にある関係性は薄れ、アルゴリズムがひたすら死までの時間を刻むことになる。
必要なのは正解ではない。
必要なのは、問いだ。
私自身は何かを教える人ではないし、誰かを救える人でもない。考えるための問いを置く人に過ぎない。
国家と個人を見つめながら、社会構造の変化を観察し、時間の歪みを言語化する。
それは不安から始まったのに、ここまで来て少し違って見えてきた。
知の冒険者として生きるのも手だろう。守るべき拠点を持ちながら、未知へ踏み出すのだ。無関心という巨大な氷山に取り憑いて、自分の体温で少しだけ溶かしてみるのだ。体温のあるうちに。
今回の問い
あなたはいま、どんな時間を生きていますか。
そして10年後、どんな時間を生きたいですか。
「生きる」谷川俊太郎

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