面白い話はどこへ行った?
私の中では、具体が集まりすぎて話が抽象化して感じるときがある。
情報過多というか、話の輪郭がぼやける。
たまに、時系列+起承転結で話す人がいて、話が寄り道するから、何の話か分からない。
たとえばね……あ、長いよ。
「昨日ね、山田さんから面白い話を聞いたのよ」
私は山田さんを知らない。
「山田さんの旦那さんのお姉さんの従姉の同級生の旦那さんがね、元銀行員で。
そうそう、そのお姉さんって頭が良い人で○○大学を出て、娘さんはみんな国立大学らしいよ。
でも、何やらって病気で働いてないんだって。
もったいないわ〜。
そういえば、一丁目の田中さんの息子さん、A高校出たのに、大学落ちたんだってね。親と折り合いが悪くなって東京に行ったらしいわ……。
最近の若い人は粘り強さがない、ない。昔のうちらは、貧しい家庭で進学させてもらうのに、歯を食いしばって勉強したわよね。
うちの息子も最近はネットばっかりでね……ホント今の政治家がしっかりしないから、ますます日本がダメになっていくのよ。
それだから最近は熊も街に出るんじゃない?
ああ!あそこのスーパー閉店するらしいよ。
駐車場が狭いから客が減ったんだって」
と、最後まで、何が面白い話だったのか結論が聞けなかったりする。
一気に情報が押し寄せて、気づけば『面白い話』はどこかへ消えていた。私は気のない返事で終わらせてしまう。
それで、こういう人に限って、後日『雑談テスト』をしてくる。
しっかり続柄を覚えてなかった私は
「人様の話をちゃんと聞けない人」認定されて、まーた、知らない人の家系図を説明されるのだから、悲しくなってくる。
仕事ならメモを取り、情報過多でも箇条書きやフローチャートにできる。
でも、スーパーで偶然会った人との雑談に、そんな用意はしてないって。
全てのことを知ってる前提で話されるのも困るけど、全てのことを聞いてくれる前提で話されるのも困るんですわ。
私、人の話を聞くのは好きなのね。今でも一日のどこかでラジオを聴いている。
ラジオにせよ、noteにせよ、話にはテーマがあって芯がある。だから、どれだけ具体例が出てきても、私は迷子にならない。
私にとって「具体」は、量ではなく輪郭なの。
具体を減らしてほしいわけじゃない。
『何の話か』だけ見失わせないでほしい。
先の例え話はまだマシで、誰も訊いてないのに唐突に自分語りをし、主語はなく、話が飛ぶ。
本題がどんどん逸れていく人もいる。
そんな話は、私には霧の中を歩いているようにしか感じられない。
