扁桃腺が、私をこの世に生んだ。
私の祖父は、御年97歳。
太平洋戦争のさなか、祖父は赤紙で召集されたのではない。尋常高等小学校を卒業した15歳のとき、自ら志願して兵となった。目指したのは、日本海軍のパイロット。すなわち、神風だった。
だが、入隊は半年遅れた。祖父には扁桃腺肥大という持病があり、まず軍医のもとで摘出手術を受けねばならなかったからだ。半年の療養を経て志願兵となったときには、同期より出遅れていた。
そして配属されたのは、海軍通信学校。夢見たパイロットの道は、そこで途絶えた。
それでも祖父は、夢中でモールス信号を覚えた。「いつか飛ぶ」という願いだけを胸に、ひたすら勉強し、学校では上位の成績をおさめた。やがて16歳の終わり、2月生まれで学年は17歳のとき、終戦を迎える。
実は、私も生まれつき扁桃腺肥大を持っている。若い頃は月に一度のペースで高熱を出した。最近はあまり腫れなくなったが、この体質は、祖父から受け継いだものだ。
考えてみてほしい。もし祖父の扁桃腺が健康だったら。彼は予定どおり飛行兵となり、おそらく空に散っていた。そして私は、この世に生を受けていない。
運命とは、本当にわからない。
自分の一つの選択や、一つの体質が、その後の何十人、何百人の人生を左右する。私たちは、誰ひとり、自分ひとりで生きているのではない。
祖父は、悔しかったと語る。
「お国のために、日本のために、散りたかった」と。
正直に言えば、私はこの言葉が長いあいだ腑に落ちなかった。私が知っていた「神風」は、飛びたくはないが、飛ばねばならなかった若者たちの物語だったからだ。
だが祖父は、本気で、飛びたかったのだ。
そしてその悔しさを、祖父は戦後、仕事にぶつけた。来る日も来る日も働き続けた。日本が焼け野原からわずか数十年で復興を遂げたのは、祖父のように、志を持って育てられた若者が、当時は圧倒的に多かったからだと、私は思っている。
戦後、日本は大きく変わった。
言葉も、教育も、占領下で形を変えられた。そして、ひとつ確かに失われたものがあると私は感じている。

それは、「自国を知る」という教育だ。
祖父の世代は、日本の歴史や成り立ちを、義務教育のなかでしっかり学んでいた。今の私たちは、自分の国のアイデンティティを、ほとんど学校で習わない。
おそらく祖父の世代のほうが、現代の私たちより、よほど日本のことに詳しい。
私たちは本来、島国のなかで、長い歳月をかけて、助け合い、ときに喧嘩し、喜怒哀楽を分かち合ってきた民族のはずだ。
今の私たちに、それは残っているだろうか。
仕事柄、私はホテルに泊まることが多い。
そこでいつも考えることがある。エレベーターに乗ったときだ。
欧米の人の多くは、見ず知らずの相手にも「Good night」と声をかけてくれる。日本人同士では、まず、ない。
ところが、面白いことがある。日本人は、外国人には声をかけるのだ。普段、同じ日本人には決してかけないのに。
声をかけたいという気持ちは、本来、私たちのなかにちゃんとある。ただ、それができない仕組みのなかに、いつのまにか置かれてしまっただけだ。
今から350年ほど前、江戸の庶民は長屋で暮らしていた。隣の壁との厚みは、わずか数センチ。隣の声は筒抜けで、冬は凍えるほど寒かったという。
それでも文献には、庶民の暮らしはとても豊かで、皆が笑顔だったと記されている。
なぜか。
みんなで、みんなを支え合って生きていたからだ。隣から咳き込む声が聞こえれば、食事を持って看病に行く。毎朝、共同井戸の前で顔を合わせ、互いの無事を確かめ合う。
豊かさとは、そういうものだったのではないか。
回りくどくなったが、私が言いたいのはこういうことだ。
これから世界は、人類が経験したことのない速度で変わっていく。AI開発に身を置いていると、その速さに、ときに恐怖すら覚える。
来年、再来年には、私たち人間とAIが共に生きる時代が来るだろう。
そのとき、今のままの私たちで、大丈夫だろうか。
周りを気にせず、自国のアイデンティティも持たない。そう「なった」、いや、そう「させられた」私たちが、人として支え合って生きていけるのだろうか。
世の中は、どんどん便利になる。
だが、心の豊かさとは、お金をたくさん稼ぐことだろうか。
私は、そうではないと思っている。
人が人を支え、それぞれが自分の人生を謳歌する。その心の豊かさこそが、本当の幸せなのではないか。
皆さんは、どう思うだろうか。
