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塔の中から

いつだったか、上野にある東京都美術館で
ブリューゲルの絵に出会った。

《バベルの塔》

旧約聖書の「創世記」に出てきて、何かの映画でも見たことがあったから名前は知っていた。

初めてこの絵を見たとき、
私は塔の外からそれを眺めていた。

ただただ傾いている塔。
神が人々の言葉を乱し、
塔は未完のまま放棄されたあの話。

私にとって《バベルの塔》は、
人間の傲慢と、崩壊の予感の、静かな寓話
ーそれだけだった。

初めて見た時、バベルの塔から目が離せなかった。

ところがここ最近、この絵が頭から離れない。

同じ絵のはずなのに、
目が留まる場所が変わっている。

以前は、
胸の奥がザワザワする、
不安な気持ちになるだけの塔だった。

でも、今私が感じているのは、
螺旋の形でも、崩れの予感でも、
王と石工の対比でもない。

私の目は今、二つの場所に
静かに吸い寄せられるようになった。

内側にある、無数の窓。
未完のままの上部。

そこに、これほど深く目が留まったことは
今までなかった。


なぜだろうと、
朝の光の中で考えていて気づいた。

私は、塔の中に入ったんだ。

塔の外から眺めていたときには、
塔はただの塔だった。
傾いていて、崩れかけていて、
権力と労働の寓話だった。

けれど、書き手として
この世界で自分の窓を開けたその日から、
絵の中の景色が変わった。

塔はもう、寓話じゃない。

——塔は、私が今いる場所だ。


内側には、無数の窓がある。

一つ一つの窓の中で、誰かが書いている。

隣の窓の人が、何を思って、
何を書いているのか。
私は、完全にはわからない。

壁を隔てて、
私たちはそれぞれの窓の中で、
それぞれの言葉を紡いでいる。


バベルの塔がそうであったように、
時々、言葉が通じなくなる。

同じ言語のはずなのに、
同じ塔にいるはずなのに、
隣の窓の言葉が、まるで別の国のもののように聞こえる瞬間がある。

でも、それは悪意じゃない。

ただ、窓の位置が違うだけ。

同じ塔の、少しずつ違う高さ、違う方角の窓。
その窓の中で私たちは、同じ景色を少しずつ違う言葉で書いていると思うから。


ブリューゲルの塔は、完成しない。

石工たちが、
あれほど無数に働いても天には届かない。
上部は、足場のまま雲の中に消えていく。

——絵の中で、永遠に建設中のまま。

以前の私は、
この未完の姿を崩壊の予兆として見ていた。

いまは、違う。

未完のまま置かれた美しさが、
この塔の本質だと思うようになった。

完成させないで、書き続ける。
完成させないで、そこに置く。
完成させないで、守る。

今の私には、バベルの塔がこんな風に見える。

私も、この塔のひとつの窓で書いている。

自分の窓の中の営みは、
たぶん地上からは見えない。
塔全体の螺旋の中では、あまりに小さい。

でも、窓の中で私は書き続けている。

隣の窓の人の存在を、静かに意識しながら。
言葉が時々通じなくなることを、
受け入れながら。
未完のままでいいと、自分に言い聞かせながら。


塔は、傾いている。

この瞬間もたぶん、少しずつ傾いている。

いつか、崩れるかもしれない。
もしかしたら明日、崩れるかもしれない。

それでも、私も含めて、内側では無数の人がそれぞれの窓で書き続けている。


ブリューゲルの絵の背景には、街があり、港があり、船があり、雲が広がっている。

塔の外にも、世界はちゃんとある。

書くことは、生きることの全てではない。
書くことは、生きることの一部。

それでも、塔の中で書くことと、
塔の外で生きることは、ちゃんと繋がっている。


今日も私は、私の窓を開ける。

未完のままで、いい。
傾いたままで、いい。

noteを始めたおかげで、
ここでたくさんの人と関われたおかげで、
私は絵の見方まで変わってしまった🌈✨


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