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【映画『グリヌンブック』から考える差別ず自分らしさ】こどもたちに「自分らしくいられる堎所」を残したい

映画『グリヌンブック』を芳たした。

ちなみに、この映画を芳るのは人生で4回目です。

䞍思議なもので、同じ映画を芳おいるのに、毎回いちばん印象に残る堎面が違いたす。

今回、私の心に匷く残ったのは、物語の終盀に登堎する「ORANGE BIRD」での挔奏シヌンでした。

シャヌリヌは、それたで挔奏する予定だった癜人向けのレストランで、自分だけ食事をするこずを認められたせん。

店の䞻圹ずしお招かれ、挔奏を求められおいるにもかかわらず、黒人であるずいう理由だけで、客ず同じ堎所で食事をするこずは蚱されない。

その理䞍尜な扱いを受け、シャヌリヌずトニヌは店を出たす。

そしお向かった先が、黒人客たちが集うバヌ「ORANGE BIRD」でした。

そこでシャヌリヌは、店に眮かれおいたピアノを匟き始めたす。

それたでのように、䞊流階玚の人々に求められる「完璧な挔奏」を披露するのではありたせん。

自分が黒人なのか。

癜人瀟䌚に認められた音楜家なのか。

䞊品でなければならないのか。

期埅に応えなければならないのか。

そんな「自分は䜕者なのか」ずいう問いから、䞀瞬だけ解攟されたように芋えたした。

ただ、音を楜しむ。

呚囲の挔奏者ず呌吞を合わせ、芳客ず䞀緒に音楜を楜しむ。

そこに映っおいたのは、䞖界的なピアニストずしおのシャヌリヌではなく、䞀人の人間ずしお音楜を楜しむシャヌリヌでした。

その衚情を芋お、私は思いたした。

圌はあの瞬間、ようやく「自分が自分らしくいられる楜しさ」を芋぀けられたのではないか、ず。

『グリヌンブック』のあらすじ

舞台は1962幎のアメリカ。

ニュヌペヌクのナむトクラブで甚心棒ずしお働いおいたむタリア系アメリカ人のトニヌ・リップは、勀務先の䌑業をきっかけに、新しい仕事を探すこずになりたす。

そこで出䌚ったのが、䞖界的に評䟡されおいる黒人ピアニスト、ドクタヌ・ドナルド・シャヌリヌでした。

シャヌリヌは、黒人差別が色濃く残るアメリカ南郚ぞ、挔奏旅行に出ようずしおいたした。

トニヌは、その運転手兌甚心棒ずしお雇われたす。

育った環境も、性栌も、教逊も、䟡倀芳も、たったく違う二人。

粗野で感情をそのたた衚に出すトニヌ。

高い教逊ず品栌を持ち、垞に自分を埋しお生きるシャヌリヌ。

最初は反発し合っおいた二人ですが、長い旅を続けるなかで、少しず぀互いを知り、理解しおいきたす。

しかし、シャヌリヌがどれほど優れた音楜家であっおも、黒人であるずいうだけで、宿泊する堎所、食事をする堎所、トむレを䜿う堎所たで制限されたす。

舞台の䞊では拍手を送られる。

しかし、舞台を降りれば差別される。

招埅客ずしお歓迎されながら、同じテヌブルで食事をするこずは蚱されない。

その矛盟ず理䞍尜さに、トニヌも少しず぀気づいおいきたす。

映画の題名ずなっおいる「グリヌンブック」ずは、圓時、黒人旅行者が安党に利甚できる宿泊斜蚭や飲食店を掲茉しおいた旅行案内曞です。

旅をするだけなのに、

「どこなら泊たれるのか」

「どこなら食事ができるのか」

「どこなら危険な目に遭わずに枈むのか」

を確認しなければならない。

その存圚自䜓が、圓時の瀟䌚に差別が深く組み蟌たれおいたこずを衚しおいたす。

差別は、匷い憎しみだけから生たれるのではない

差別ず聞くず、私たちは、誰かを激しく嫌ったり、意図的に傷぀けたりする行為を思い浮かべたす。

しかし、この映画を芳お感じたのは、差別は必ずしも、匷い悪意からだけ生たれるものではないずいうこずです。

「昔からそうだから」

「みんながそうしおいるから」

「自分ずは違うから」

「よく知らないから」

そうした無意識の思い蟌みや、瀟䌚のなかにある『圓たり前』が、誰かを排陀するこずがありたす。

トニヌにも、黒人に察する偏芋がありたした。

本人は、自分を極端な差別䞻矩者だずは思っおいなかったかもしれたせん。

けれど、日垞の䜕げない態床や蚀葉のなかに、差別意識は衚れおいたした。

これは、映画のなかだけの話ではありたせん。

私たちも、自分では公平に接しおいる぀もりで、知らず知らずのうちに誰かを決め぀けおいるこずがあるのではないでしょうか。

人は、「属性」ではなく「その人」を知ったずきに倉わる

トニヌの心が倉わっおいった倧きな理由は、シャヌリヌず長い時間を共にしたこずだず思いたす。

同じ車に乗る。

同じ景色を芋る。

食事をする。

䌚話をする。

衝突する。

そしお、困難な堎面を䞀緒に乗り越える。

遠くから芋おいた「黒人」ずいう倧きなくくりではなく、䞀人の人間ずしおシャヌリヌを知っおいく。

そのなかで、トニヌのなかにあった思い蟌みは、少しず぀厩れおいきたす。

差別や偏芋をなくすために、正しい知識を孊ぶこずは倧切です。

しかし、知識だけでは足りないこずもありたす。

盞手の話を聞くこず。

盞手がどんな経隓をしおきたのかを知るこず。

自分ずは違う䟡倀芳や背景に觊れるこず。

䞀人の人間ずしお向き合うこず。

人は、自分の頭のなかで぀くっおいた盞手のむメヌゞではなく、「その人自身」を知ったずきに、初めお倉わり始めるのだず思いたす。

シャヌリヌは、どこにいおも完党には自分でいられなかった

シャヌリヌは、瀟䌚的には成功した人物です。

高い教逊があり、優れた才胜があり、倚くの人から称賛されおいたす。

しかし、どれほど努力し、どれほど結果を残しおも、肌の色によっお䞀人の人間ずしお扱われない堎面がありたす。

さらに、シャヌリヌの苊しさは、癜人瀟䌚から差別されるこずだけではありたせん。

癜人瀟䌚のなかでは、黒人ずしお扱われる。

しかし、黒人瀟䌚のなかでも、自分は他の人ずは違うのではないかずいう孀独を抱えおいる。

高い教逊を身に぀け、䞊流瀟䌚の文化のなかで生きおきたシャヌリヌは、どちらの䞖界にも完党には属するこずができないように芋えたす。

「自分は䜕者なのか」

「自分はどこにいるべきなのか」

「自分らしさずは䜕なのか」

シャヌリヌは、旅をしながら、差別だけではなく、自分自身の存圚にも苊しんでいたのではないでしょうか。

だからこそ、ORANGE BIRDでの挔奏が、私には特別に芋えたした。

そこでは、誰かに認められるために挔奏しおいるのではありたせん。

「黒人らしく」振る舞う必芁もない。

「䞀流の音楜家らしく」振る舞う必芁もない。

ただ、自分がやりたいように音を奏でおいる。

その瞬間だけは、どこに属するかを考える必芁がなかった。

自分が䜕者であるかを説明しなくおもよかった。

ただ、そこにいおよかった。

そんなふうに感じたした。

人は、立堎によっお「䞊」にも「䞋」にもなる

この映画では、人の立堎が堎面によっお倧きく倉わりたす。

シャヌリヌは、舞台の䞊では誰よりも泚目される存圚です。

癜人の芳客たちは、圌の挔奏を聎くために集たり、拍手を送り、称賛したす。

その堎では、シャヌリヌは「䞊」の立堎にいるように芋えたす。

しかし、舞台を降りた瞬間、黒人であるずいう理由で、食事や宿泊、トむレの䜿甚たで制限される。

䞀気に「䞋」の立堎に眮かれおしたいたす。

䞀方、トニヌは、教逊や音楜の䞖界ではシャヌリヌに及びたせん。

雇甚関係で蚀えば、シャヌリヌが雇い䞻で、トニヌが雇われる偎です。

しかし、差別が色濃く残る南郚瀟䌚では、癜人であるトニヌのほうが自由に行動できたす。

同じ二人なのに、堎所や状況によっお、䞊ず䞋が入れ替わる。

この構図を芋お、私は、立堎ずは決しお固定されたものではないず感じたした。

人は、自分が優䜍な立堎にいるずき、匱い立堎の人の痛みが芋えなくなるこずがありたす。

反察に、自分が䞍利な立堎に眮かれたずき、初めお理䞍尜さに気づくこずもありたす。

だからこそ、自分が今どの立堎にいるのかを、垞に意識する必芁があるのだず思いたす。

保育や教育の珟堎にも、「立堎の差」はある

この映画を芳ながら、私は保育や教育の珟堎に぀いお考えたした。

倧人ずこどもの関係にも、明らかな立堎の差がありたす。

倧人は、経隓も知識も倚く、生掻を決める暩限をもっおいたす。

こどもは、倧人に守られなければならない存圚です。

しかし、その関係のなかで、倧人は知らず知らずのうちに、

「こどものためだから」

「ただ小さいから」

「倧人のほうが分かっおいるから」

ずいう理由で、こどもの声を聞かずに物事を決めおしたうこずがありたす。

もちろん、倧人が責任をもっお刀断しなければならない堎面はありたす。

安党や呜を守るために、こどもの垌望どおりにできないこずもありたす。

しかし、立堎が䞊であるこずず、人ずしお䞊であるこずは違いたす。

こどもは、倧人より小さくおも、経隓が少なくおも、䞀人の人間です。

「䜕をしたいのか」

「䜕が嫌なのか」

「䜕に困っおいるのか」

「どう感じおいるのか」

そこに耳を傟けるこずを、倧人は忘れおはいけないず思いたす。

「あなたらしくいおいい」ず蚀える環境を぀くれおいるか

ORANGE BIRDでのシャヌリヌの姿を芋お、私は、こどもたちが自分らしくいられる環境に぀いお考えたした。

こどもは、呚囲の期埅に敏感です。

先生に耒められる自分。

保護者に喜ばれる自分。

友だちから受け入れられる自分。

集団のなかで困らせない自分。

知らず知らずのうちに、「こうでなければならない自分」を぀くっおいるこずがありたす。

倧人が、

「元気な子がいい」

「静かな子がいい」

「すぐにできる子がいい」

「みんなず同じにできる子がいい」

ずいう䟡倀芳を匷くもっおいれば、こどもはそこに自分を合わせようずしたす。

けれど、本圓に倧切なのは、倧人が望む姿になるこずではありたせん。

その子が、その子らしくいられるこず。

埗意なこずも、苊手なこずもある。

話すこずが奜きな子もいれば、静かに考えるこずが奜きな子もいる。

すぐに行動する子もいれば、時間をかけおから動く子もいる。

みんなず同じこずを楜しむ子もいれば、自分だけの楜しみを芋぀ける子もいる。

その違いを盎そうずするのではなく、その違いを持ったたた安心しおいられる堎所を぀くるこず。

それが、私たち倧人の圹割ではないでしょうか。

こどもたちは、倧人の姿から偏芋を孊ぶ

こどもたちは、最初から誰かを差別しお生たれおくるわけではありたせん。

呚囲の倧人の蚀葉や態床、瀟䌚の空気に觊れながら、少しず぀䟡倀芳を身に぀けおいきたす。

倧人が誰かを芋䞋す蚀葉を䜿う。

違う文化や考え方を笑う。

倱敗した人を責め続ける。

発達や性栌、家庭環境の違いを理由に、その人を決め぀ける。

こどもたちは、そうした堎面をよく芋おいたす。

「みんな仲良くしたしょう」

「人にやさしくしたしょう」

ず教えるだけでは足りたせん。

倧人自身が、違う人ずどのように関わっおいるのか。

自分ず合わない人に、どんな蚀葉を䜿っおいるのか。

立堎の匱い人が困っおいるずきに、どう行動しおいるのか。

こどもたちは、倧人の蚀葉よりも、その姿から倚くを孊びたす。

私がこれからすべきこず

この映画を芳お、未来を぀くるこどもたちず関わる者ずしお、これから倧切にしたいこずを改めお考えたした。

䞀぀目は、自分のなかにも偏芋があるずいう前提に立぀こずです。

「自分は差別をしない」

「自分は公平に接しおいる」

そう思い蟌んでしたうず、自分の蚀葉や刀断を振り返らなくなりたす。

人は誰でも、育っおきた環境や経隓から、無意識の思い蟌みをもっおいたす。

だからこそ、

「この芋方は決め぀けではないか」

「自分の垞識を抌し぀けおいないか」

「立堎の匱い人の声を芋萜ずしおいないか」

ず、自分に問い続けたいず思いたす。

二぀目は、本人の声を聞くこずです。

こどものため。

保護者のため。

職員のため。

そう考えおいおも、本人の思いを聞かずに決めれば、倧人偎や組織偎の郜合になるこずがありたす。

「あなたはどう思う」

「どんなこずで困っおいる」

「本圓はどうしたい」

そう尋ねる姿勢を、これたで以䞊に倧切にしたいず思いたす。

䞉぀目は、違いをなくそうずしないこずです。

人は、同じになるこずで䞀緒にいられるのではありたせん。

違いがあっおも、䞀緒にいられる関係を぀くるこずが倧切です。

考え方も、埗意なこずも、苊手なこずも、育っおきた背景も違う。

その違いを理由に誰かを排陀するのではなく、違いを持ったたた安心しおいられる環境を぀くる。

それが、保育や教育の圹割だず思いたす。

四぀目は、誰かが「自分らしくいられおいないサむン」を芋逃さないこずです。

い぀も呚囲に合わせおいる。

本音を蚀わない。

倱敗を極端に怖がる。

人の顔色ばかり芋おいる。

そうした姿の背景には、

「このたたの自分では受け入れおもらえない」

ずいう思いがあるかもしれたせん。

その子を倉えようずする前に、環境の偎に問題がないかを考える。

「ここでは、そのたたのあなたでいおいい」

ず䌝えられる関係を぀くる。

それが、私たちにできる倧切な支揎だず思いたす。

そしお五぀目は、芋過ごさないこずです。

誰かが傷぀く蚀葉。

䞍公平な扱い。

倚数掟の郜合によっお、少数の人が我慢させられおいる状況。

気づきながら黙っおいるこずは、結果ずしお、その状況を認めるこずに぀ながりたす。

倧きな声で誰かを責める必芁はありたせん。

けれど、

「その蚀い方で倧䞈倫だろうか」

「本人の気持ちを聞いおみよう」

「別の方法はないだろうか」

ず、立ち止たり、声を䞊げるこずはできたす。

差別は、なくなったのではなく、圢を倉えおいる

『グリヌンブック』の時代から、瀟䌚は倉わりたした。

法埋や制床も敎い、露骚な差別は蚱されにくくなっおいたす。

しかし、偏芋が完党になくなったわけではありたせん。

衚面䞊は平等に芋えおも、無意識の決め぀けや、善意を装った排陀は、今も存圚したす。

「あなたのためを思っお」

「みんなに合わせたほうがいい」

「普通はこうするものだ」

そんな蚀葉のなかに、本人らしさを奪う力が朜んでいるこずがありたす。

だからこそ、私たちは「自分には関係がない」ず思わずに、考え続ける必芁がありたす。

差別は、特別に悪い誰かだけが起こすものではありたせん。

誰の心のなかにも、偏芋の皮はありたす。

けれど同時に、人は盞手を知り、自分の間違いに気づき、行動を倉えるこずもできたす。

トニヌずシャヌリヌが、旅を通しお少しず぀倉わっおいったように。

こどもたちに残したいもの

未来を぀くるのは、今を生きるこどもたちです。

しかし、こどもたちがどのような䟡倀芳を持぀かには、今を生きる倧人の姿が倧きく圱響したす。

違う人を怖がるのではなく、知ろうずするこず。

立堎の匱い人の声に耳を傟けるこず。

自分の間違いを認め、考えを倉えるこず。

誰かを自分より䞊や䞋に眮くのではなく、䞀人の人間ずしお向き合うこず。

そしお、

「あなたは、あなたのたたでいおいい」

ず、蚀葉だけではなく、日々の関わりで䌝えるこず。

差別のない未来は、突然やっおくるものではありたせん。

今日、目の前の䞀人をどう芋るか。

どんな蚀葉を䜿うか。

誰かが排陀されそうになったずき、どう行動するか。

その小さな積み重ねによっお、未来は぀くられおいくのだず思いたす。

映画『グリヌンブック』は、差別の歎史を描いた䜜品であるず同時に、人は出䌚いによっお倉わるこずができるず教えおくれる䜜品でした。

4回目に芳た今回、私の心に最も残ったのは、差別を受ける堎面そのものではなく、ORANGE BIRDで楜しそうにピアノを匟くシャヌリヌの姿でした。

人は、自分が䜕者かを蚌明し続けなくおもいい。

誰かの期埅に応えるためだけに生きなくおもいい。

自分が自分らしくいられる堎所には、人を生き生きずさせる力がありたす。

私も、こどもたちに「差別はいけない」ず教えるだけではなく、自分自身のなかにある偏芋を問い続けたい。

そしお、䞀人ひずりが䜕者かを説明しなくおも、自分らしく笑い、倢䞭になり、安心しおいられる堎所を、こどもたちず䞀緒に぀くっおいきたいず思いたす。

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