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片道「車で2時間」を越えた先に、僕は「わが子の誇り」を見た

〜不登校の3兄妹が「社会人の顔」を見せた夏の一日〜


はじめに: 「2時間」というエベレスト級のハードル

先日、あるNPO法人から、遠方のサマースクールで「運動教室」の講師をしてほしいという依頼をいただきました。
場所は、自宅から車で片道たっぷり2時間

不登校中のわが家の子どもたち(中1、小4、小2)にとって、この「車で2時間」という距離は、単なる移動時間ではありません。
普段、リビングという「自分を守る砦」の中で、それぞれの世界に没頭して過ごしている彼らにとって、それは未知の世界へ踏み出す、エベレスト級に高い、あまりに高いハードルです。

「お父さん、明日は遠くで仕事なんやけど、一緒に行く?」

半分は断られるだろう。そう思いながらダメ元で尋ねた僕に返ってきたのは、予想を裏切る「いく!!」という、家中に響き渡るような力強い合唱でした。

1. 彼らの心を動かした「オランダの魔法」

正直に言えば、車内で食べるおやつで釣った部分も確かにあります。
しかし、彼らを玄関の外へと突き動かした真の理由は、僕が放ったある一言だったように思うのです。

「オランダでやった『カオスボール』をみんなでやってみる運動教室やけど、どうする?」

この言葉に、3人の目が明らかに輝きました。
「カオスボール」とは、僕たち家族5人で視察したオランダの体育教育「動きの教育(Moving Education)」で出会った、全員が主役になれるボール遊びです。

日本のドッジボールのように「相手を排除する」のではなく、相手陣地の「的」を狙うゲーム。運動が得意な子も、周囲を冷静に見るのが得意な子も、それぞれの特性を「戦術」として活かせるその楽しさに、彼らはオランダで心酔していました。 「あの楽しい経験を、もう一度」。その内発的な欲求が、彼らを外へ向かわせたのです。

2. 「前日の儀式」が、心のバッテリーを満たす

とはいえ、当日になって「やっぱり行けない」となるのが、揺れ動く彼らのリアルな姿です。だからこそ、私たちは丁寧にプロセスを重ねました。

前日に改めて意思を確認し、当日の車内で食べるおやつを一緒に買いに行きました。
自分たちの足でコンビニに行き、好きなお菓子を選ぶ。
一見、些細なことに見えるこの「おやつ買い出し」こそが、不登校の子どもたちにとっては、明日という未知の環境に適応するための重要な「自立活動(環境調整)」になります。

自分たちで準備をし、楽しみを予約する。その小さなワクワクを積み重ねるプロセスを経て、翌朝、3人は約束通り、一台の車に乗り込みました。

3. 体育教師としての2時間、父としての2時間

往復4時間の道のりを経て到着した会場で、2時間のプログラムが始まりました。 僕は20年以上、日本の学校体育の現場に身を置いてきましたが、今は「勝利至上主義」ではなく、オランダで学んだ「他者と比較されない心理的安全性の保障」を最優先にしています。

「ナイスチャレンジ!」 僕が初対面の子どもたちと笑い合いながらプログラムを進める中、ふと横を見ると、わが子たちも当たり前のようにその輪の中に混ざっていました。

車に2時間揺られ続け、さすがに疲れもあったはずです。
それでも、初めて会う友だちの中で、自分の身体を使って表現し、楽しそうに笑っている。そ
の姿は、家の中でゲーム画面を見つめている時とは別人のような、「外の世界と繋がろうとするエネルギー」に満ち溢れていました。

4. 次男が放った、痺れるような「社会人の顔」

運動が終わった後、主催者の方が用意してくださったお弁当をみんなで囲みました。
わが子たちは家では好き嫌いも多く、食が細くなる時期もありました。親としては常に食の心配がつきまといます。

しかし、その日は3人とも、出されたお弁当を美味しそうに、そして黙々と食べていました。 ふと、完食した次男(小4)に「全部食べられたな、すごいな」と声をかけた時です。彼は当然のような、少し誇らしげな顔をして、こう言ったのです。

「そりゃそうやろ。用意してもらったもん。完食せな失礼やろ。」

その一言に、僕は言葉を失い、そして胸が熱くなりました。 家では「靴下は脱ぎっぱなし」「食器も片付けない」という、いわば「0点の自分」をさらけ出している彼らです。しかし、一歩外に出れば、誰かに用意してもらった食事に対し、これほどまでに真っ直ぐな敬意を払うことができる。

以前、彼らが言っていた「外やったら、やるよ。普通に」という言葉は、強がりでも何でもなく、彼らなりの「社会人としての矜持」だったのだと、改めて思い知らされました。

5. 「伝えたい」という主体性への進化

この日の経験は、単なる「楽しい思い出」以上のものを次男の中に残したようです。
後日、次男が驚くべきことを言い出しました。小学校のイベント(誕生日会)のアクティビティとして、自ら「カオスボール」をやりたいと提案したのです。

さらに、彼は僕にこう相談してきました。 「カオスボールを、みんなに分かりやすく説明するにはどうしたらいい?」

「用意してもらったお弁当を完食する」という姿が与えられた環境への適応(受容)だったとするならば、「みんなに楽しさを伝えるために、どう振る舞うか」を悩む今の姿は、自ら環境を作り出そうとする能動的な社会性への進化です。

これこそが、僕が通級指導教室の開設準備を通して目指している、自分を乗りこなし、社会と自分なりの折り合いをつけていく「自立活動」の理想の形に他なりません。

結びに: 「生きる力」を信じるということ

帰りの車内では、流石に疲れ果てて泥のように眠る3人の寝顔がありました。 往復4時間の移動、そして2時間の全力の運動。
彼らは今日、自分たちの限界まで「社会人」として100点満点の顔で振る舞ったのです。

そして、家に戻った瞬間に靴下を脱ぎ捨て、ダラダラ過ごす時間は、彼らにとって明日また戦うためのエネルギーを蓄える「聖域」なのだと確信しました。家で0点の姿を見せられるのは、僕たち親を、そしてこの家を、心から信頼している証拠なのです。

リビングに響くゲームの銃声に悩み、出口のない不安の中で無心に掃除機をかける日々は、明日からも続きます。 でも、僕の心には、あの「車で2時間」の先にある体育館で弾けた彼らの笑顔と、次男が「どう説明すればいい?」と目を輝かせた瞬間が焼き付いています。

不登校という選択は、決して「停滞」ではありません。 彼らは今、学校という狭い物差しでは測れない場所で、自分なりの武器を磨き、学んでいます。

「学校に行かない時間」を、もう「空白」とは呼ばない。 わが子が自分の足で一歩を踏み出した時、その背中を信じて押し続けられる親でありたい。
素敵な夏の一日をプレゼントしてくれた3人に、心から、ありがとう。

最後までお読みいただき、ありがとうございました。

不登校の子が「車で2時間」の移動を自ら選び、外で見せた凛とした姿。 「子どもの『外の顔』をもっと信じてあげたい」「家での姿が0点なのは信頼の証なんだ」と感じてくださった方は、ぜひ「スキ」を押してください。 皆さんの応援が、僕が発信を続ける大きなエネルギーになります。

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