短編小説 |妖精が見えていたあの日 | シロクマ文芸部
水たまりには、妖精が住んでいる。
私には、はっきりと見えている。
嘘だと思う?
私、何度も見ているから嘘じゃないよ。
見える人たちの間でその妖精は、『パドルン』と呼ばれている。
あっ、ほら、今日もまたパドルンが現れたよ。
水たまりから、顔の上半分だけをプルンとのぞかせて、小さな男の子に手招きしている。
黄色い長靴を履いた男の子は、つないでいたお母さんの手をパッと離して、パドルンに吸い寄せられてタタタタタッと駆けて行った。
あぁ、男の子にも見えてるんだね。
でも、隣にいるお母さんには見えてないみたい。
パドルンは、一瞬にして自分の分身をたくさん作ると、代わる代わる水たまりのいろんな所から顔を出す。
もぐらたたきのもぐらみたいに、あっちこっちで顔を出したり引っ込めたり。
男の子は、パドルンを長靴でえい!って踏んでみようとがんばるけど、パドルンはすばしっこくて全然踏まれない。
彼らは一瞬で友達になった。
お母さんはただ、水たまりの水がバチャバチャなるのが楽しいのね、と微笑ましく見守っている。
同じ場所、同じ時間を過ごしても、
男の子とお母さんの見えている世界は違う。
よくあることだよ。
ただ、男の子もお母さんもニコニコ笑っている。
それでいいよね。
◇ ◇ ◇
あっ、今度はもう少し大きい男の子たちだ。
ランドセルを背負ってる。
もう雨は上がってるのに、気づいていないのか、まだ傘をさしている。
そして、一人の男の子がピョーンと水たまりを勢いよく跨いだ。
そうすると、他の男の子たちも続けて、ピョーン、ピョーンと水たまりを跨いだ。
パドルンは、男の子たちが『水たまりを踏んだら負け』の遊びをしているのがわかると、水たまりに仰向けに浮いた。
そして、下から男の子たちが水たまりを跨ぐ様子を、プカプカ浮きながら楽しそうに眺めている。
一人の男の子だけが
「ぜぇったいに水たまり踏むなよ!」
と何度も言っている。
あの子にだけは見えているのかな。
◇ ◇ ◇
雲の合間から、ちらりと光が差し込んでいる。
目の前には、空をそのまんま映し出している、大きな水たまりが広がる。
飛び越えるには大きすぎる。
私の足元はスニーカー。
どうしよう…。
「おーい」
心の中で、水たまりに向かって呼びかける。
パドルンが、ザバンと水たまりから現れる。
私の足元を見て、パドルンが察した。
パドルンは、再び水たまりへ戻り、たくさんの仲間を連れてきた。
「ほらほら、誰も来ないうちに済ませちゃうよ」
私は頷いた。
「いつも通り、制限時間は3秒」
「わかった」
「じゃあ行くよ。せぇの!!」
一人のパドルンの合図とともに、無数のパドルンが、一斉にピュンッと飛び上がる。
パドルンの粒たちが太陽に照らされて、キラキラと舞い上がっている。
私は両脚に力を込めて、私の頭のすぐ上まで跳ね上がった水の粒の下を、無心で駆け抜ける。
1 2 3
乾いたアスファルトを踏みしめながら、心の中で押したストップウォッチが、3をちょっと過ぎた時、私は水たまりの向こう側にいた。
振り向くと、何事もなかったように、パドルンは水たまりに還っていた。
水たまりに向かって、
「いつもありがとうね」
心の中でそう言うと、
「お安いご用さ。って言いたいところだけど、この魔法、けっこう体力使うんだ。君の身長もどんどん高くなってるから、そろそろ限界かも」
「そうだったんだ、ごめん」
もう一度、心でお礼を伝えると、パドルンに見送られながら家路についた。
◇ ◇ ◇
久しぶりに雨が降る。
私の足元には、傘と同じ、淡いベージュの長靴。
パドルンに見せようと、いろんな水たまりを探すけど、どこにもいない。
いつもの大きな水たまりに差し掛かった時、
「おーい」
心でパドルンを呼んでみた。
返事はなかった。
雨上がりの、空をそのまんま映し出している水たまりを上からのぞいてみたけど、パドルンは現れなかった。
仕方なく、真新しい長靴を水たまりに踏み入れる。
長靴、最高じゃん。
そう思いながら渡りきった。
「似合ってるよ」
そんな声が聞こえた気がした。
振り向くと、水たまりに波紋が広がっていた。
波紋が広がり終えた水たまりをのぞくけど、いつもより雲の白が多めの空が映っているだけで、パドルンの姿はなかった。
気のせいだったのかな。
水たまりを見つめる私の横を、小さな女の子が追い抜いていく。
その女の子は使い込まれた長靴で、水たまりをバチャバチャと踏みしめていた。
あれから私は、パドルンに会っていない。
