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下妻市長選挙と映画ノー・マンズ・ランド

2026年、深い悲しみの出来事もあり下妻は選挙が多い年になりました。

今回は色々考えさせられた2026年8月2日の下妻市長選挙を投票者の立場で振り返りたいと思います。


筆者のバックグラウンド:よそ者からまちの当事者へ

今回の選挙について語る前に私のバックグラウンドを少し説明すると、私は長崎出身の親に大阪で育てられ、33歳まで大阪で過ごし、それから上京して10年、さらに43歳で茨城県下妻市に移住して3年が経過したところです。
引っ越しも20回くらいしたし、ずっと会社と家の往復しかしてこなかったので「地域と関わりをもつ」というきっかけもあまり掴めない生活を長らくしてきて、どこに住んでも「よそ者」の気持ちで暮らして来たように思います。
子供時代は夏冬は必ず長崎に帰省していたのですが、帰省する祖父の家がお寺だったこともあり、そこでは比較的ご近所付き合いやまちの出来事を大人同士が語り合う場面などを見かけたりなどして、子供ながらに「まちの当事者としてふるまう」ことへの憧れを漠然と抱いていたのかもしれません。
大学生になり、ランドスケープデザインという風景やまちと関わる仕事をするようになってからは「リアルなまちづくり」への関心に拍車がかかったと思います。

こうしたバックグラウンドから、17年間ランドスケープデザインという仕事就きながらも「私は人が暮らし続ける場所としてのまちをリアルにイメージできているか」、ということがコンプレックスのようにつきまとっていました。国が打ち出す「ガイドライン」もどこか空虚に捻出された事例のように映る時もありました。それでもさまざまな現場で仕事を続ける中で見えたのは、最新の地方創生はリアルな地方の現場からしか生まれないし、時代は変えられない。というのが結論でした。
そんな葛藤の中仕事で訪れた下妻は、かつて子供の頃に憧れた長崎のような密度の濃い人間関係と長年親しんできた大阪のような人間味のあるまちでした。
ここなら、私も人間味のあるまちの当事者になれるかもしれない。
個人事業主となり、自分の目で「まち」を見つめ、まちの当事者として関わってみたい。
そんな気持ちでいた時に、幸いにも今カフェBLACK BIRDを営業している場所をご紹介いただき、下妻に移住することを決意しました。
(カフェの話は長くなるので、また別の機会に詳しく書きます)

選挙にオープンなまち、下妻

下妻市長選挙について話を戻すと、我が家は家族であっても「誰に投票したかは言わない」というのが慣例になっていました。その分、政治に対する関心が薄い家庭であったということであるのかもしれません。
そのようなバックボーンを持つ私にとっては、今回の下妻市長選挙も含めて「下妻は選挙に対してかなりオープンまちなんだな」という衝撃を受けました。
確か子供の頃に「誰に投票したかは言ってはいけないよ」と教わった※気がするのだけど「自分は〇〇を応援する!」とか「自分は〇〇に投票した!」とかを腹を括って公言したり、建前上もあってかそのように発言する人が多くて驚きました。その分議論が活発化され、論点や政策、そして両候補者のエピソードなどを私に話してくれて、これが「人間味あるまち下妻」を形成して来た要因なんだろうなと分析したりしていました。

選挙の原則における組織票と自由投票

前述した「誰に投票したかは言ってはいけないよ」という教えに関しては、後に改めて調べてみたところ日本国憲法に定められている「選挙の原則」の「秘密投票」部分によるものの印象だったのだと思います。それによると、「秘密投票」=誰が誰に投票したかが、わからないような方法で選挙がおこなわれること、であり「誰に投票したの?」と聞かれても真実を言う義務はなく、「〇〇に投票する!」というのもまた問題ないようです。
気になって色々調べてみて「埼玉県のHPに記載されていた選挙の三原則」が個人的にはしっくり来たので一部転記しておきます。
選挙にとって、一番大切なことは、すべての選挙人が、自分自身の判断で、最も信頼がおけると思う人に自由に投票できることです。そのためには、誰に投票したかを、誰にも知られることのないように、またそのことで、誰からも責められることのないようにすることが必要です。
憲法が「すべて選挙における投票の秘密は、これを侵してはならない。選挙人は、その選択に関し、公的にも私的にも責任を問われない。」といい、公職選挙法で「何人も選挙人の投票した被選挙人の氏名を陳述する義務はない。」といっているのは、この投票自由の原則を保障するものです。こうした「投票自由の原則」がある中での選挙戦というのは、どの候補者もよく理解されているとは思いますがそれにしても「組織票」という言葉がなんとなく独り歩きしているような印象を受けました。確かに小さな町の中で関係が濃くなるとどちらかを応援しないといけない雰囲気はあるかもしれない。だけど最後は「自分自身の判断で、最も信頼がおけると思う人に自由に投票できる」というつもりで投票する側はちゃんといるはずだし、悩みもするけど見ようとしてるし考えていると思います。実際、組織票だと思って予想していても思ったより票が入っていないなんてことも多いそうです。
投票自由の原則が薄まっている前提で、誰かを「組織票」としてカウントするのは希望的観測の勝手な行為かもしれないけれど、それを押し付けるのは選挙に対する冒涜ではないかと私は1人の投票者として訴えたい。これからの下妻の投票率を上げるためにも。

地方の選挙戦の見方を変えたYouTubeチャンネル「ReHacQ−リハック−【公式】」の功績

今回の選挙戦で大きなターニングポイントは、間違いなくYouTubeチャンネル「ReHacQ−リハック−【公式】」下妻市長選挙ネット討論会【高橋弘樹vs井上まことvs菊池ひろし】だったように思います。
これまで、討論会と言っても事前に提出された質問事項に事前に用意した回答をするだけで、各候補者同士で問題点を指摘し合い議論を交わすという姿を見ることはあまりできていませんでしたので、深く両候補のことを知ることができるきっかけになりました。
『メディア空白地帯』と言われることも少なくない茨城において、今回有名YouTubeチャンネル「ReHacQ−リハック−【公式】」さんが、人口4万人の市である下妻を取り上げ、司会の高橋さんが中立な立場で客観的な質問をしたり、補足しながら、時間という制約を取っ払って議論する場を設けてくれた功績はとても大きくて、2時間43分という長丁場(ちなみに映画・国宝は2時間55分)にも関わらず、うっかり全部見てしまった。参考にしたという声もたくさん聞きました。

全国的にも取り上げられた選挙でだったことからの今回の企画があったのかもしれませんが、これを機に今後も地方選挙でこのようなフラットな議論ができる場がたくさん設けられることを切に願います。

政治に興味を持つきっかけとなった議会傍聴

今回の選挙戦が行われるずっと前から、複数の下妻の友人や知人から「ほりちゃん、市議会傍聴は見に行ったほうがいいよ」と言われていました。
「見に行ったほうがいい」なんて、なんのこっちゃわかりませんでしたが、不思議と強く私の心に残りました。
今年5月、私が代表を務める市民活動にも関わる議題が取り上げられると聞いて、思い切って時間を作り議会傍聴を行いました。
ご挨拶する程度だった市議会議員さん方が、議会という公の場において強く意見を訴えている。それに対して反論する。緊張の時間の中に起きる小さなハプニングでたまに笑いが起きる。お叱りを受けるかもしれないけれど、中途半端なエンタメよりずっと面白いと思いました。みんな本気だった。
そして、自身の目と耳で「前下妻市長 須藤豊次さんの市長就任挨拶」を聞きました。下妻市を心より思い推敲に推敲を練られたことが伺える素晴らしいスピーチでした。
議会の終了後、議員さん方から「観に来てくれてありがとう!」「市民が傍聴に来てくれることで、議会も良い緊張感が生まれて発言の表現なども随分変わるんだよ」ということを伝えて頂きました。フェス好きの自分にとってはまさにライブのような高揚感もありました。

若き日の自分の人生観を変えた映画:ノー・マンズ・ランド(2002)

長くなりましたが、今回の記事のタイトルに記載した映画「ノー・マンズ・ランド」は私が若い頃に自分の人生観を変えてくれた大切な映画です。
あらすじとしては、紛争の最前線、誰の支配にも属さない「ノー・マンズ・ランド(=いずれの勢力によっても統治されていない領域)」に、敵対する二人の兵士が取り残され、互いを憎みあいながらも生き延びようとする中、捕虜として地雷の上に置かれた動けない兵士を救うために、中立の立場である国連やそれらを報道するメディアが登場し、事の顛末を迎える話です。特に私は、この劇中の中でのメディアのあり方に大きな疑問を感じました。
23歳の時に「ノー・マンズ・ランド(2002)」を観終わってからも、この映画で残された地雷の上の兵士のことを、誰の立場でどう行動すれば救うことができたのだろうか、ということをずっと考え続けていて、正直まだ答えは出ていません。まだ、彼は私の心の中で地雷の上で横たわったままです。

私は自分の目と耳で確認した情報で判断し行動できているか。

この映画を観てから、少なくとも「自分の目と耳で確認した情報で判断し行動できているか」ということを心の指針として胸に刻んでいます。さまざまな場面で自分に問いかけて来たマイルールであり原動力にもなっています。
市議会の傍聴の体験は、まさに「自分の目と耳で確認した情報」を得るための行動に他なりませんでした。そして、今回の選挙戦でもまた、各候補の生の声は重要な判断要素となりました。

投票率52.79%を示すもの

急遽始まった下妻市長選の投票率52.79%は大きいものでしょうか?少ないのでしょうか?
気になってChatGPTに聞いてみたところ以下の回答でした。
1947年の横須賀市長選挙では71.02%、1950~60年代の東京都の区市町村長選(統一地方選)では、70~80%台が普通だったようです。
近年においては、2025年の秋田市長選が60.39%と比較的人口の少ない地域で高水準になっている一方で、人口の多い都市ではかなり低く、同年の東京都武蔵村山市長選は22.15%(過去最低)という例もあるそうです。

すなわち、今回の市長選挙の投票率52.79%は関心は低くはないが、まだまだ選挙に対する関心や投票率は高められるといったところでしょうか。

人口4万人規模という下妻市のアドバンテージを強みとして、冒頭に記載した活発な市民活動・政治への議論などを積極的に行い、あと一歩みんなが政治に関心を持った行動を行えば、日本一政治に関心があるまち:しもつま」を謳うことも夢ではない気がします。「地方創生」ってこういうことなんじゃないでしょうか。

改めて下妻のまちの当事者として

日本中が暑くなり、気温が40度を超えるような気候の中で、準備も十分にできない状況の中、両陣営の皆様におかれましては本当に、本当にお疲れ様でした。
何かを表明することは、不安や恐怖にかられるものですが、選挙において自らの意見を表明し議論し立ち向かう大人たちの姿はとてもとてもかっこよかったです。
絶対これからこのまちはもっと良くなる。
どうか、お互いの選挙戦を讃えあい、これからは一つになって、下妻をよくしていって頂きたいと願っています。私も、今回の選挙戦でより一層政治に興味をもつことができました。良くも悪くも対立構造はしっかり浮き彫りになったので、政策に対して「あの人のこと排除しようとしてるな」とか「あ、この人足引っ張ろうとしてるな」とかなどもわかりやすくなったような気がします。
これからの市政を自分の目と耳で確認するまちの当事者として市民活動・そして日々の営業を続けていきたいと思います。

長文乱筆になりまたことをお詫びし、本記事をしめくくらせていただきます。