ひとり旅のはじまり、さよならポエジーを聞く
年度末で仕事が忙しかったけど、ずっと楽しみにしていた旅だったのでめちゃくちゃ頑張って終わらせて旅にでた。
たくさん頑張ったあとの旅はやっぱりうれしい。
一人旅の出発地点は東京。
久しぶりの東京だったので行きたかったお店や美術館を楽しんだ!東京はもう桜が咲いていた。
下の記事から東京観光の様子を見られます!
東京駅のカフェで少し休憩してから17時台の新幹線に乗って長野へ向かう予定。

八重洲口の地下のコインロッカーに荷物を預けていたので取りに行ったらめちゃくちゃ迷子になった。何回来ても迷宮すぎる、東京駅!
本当はゆっくり駅弁を選びたかったけど時間がなかったので、目に入ったお店で旅行で不足しがちな野菜が取れるトルティーヤ?を購入。
「ワカモレ」を食べたことがないけど、なんだかおいしいと聞くので買ってみた。
初めて乗る北陸新幹線あさまに乗車し、夜ご飯を食べる。

おいしい、とてもおいしかった。
野菜はもりもりだしエビのフリットも入っていて食べごたえがある。東京に行くと道ゆく人がみんな可愛くて緊張してしまう私の胃には優しくて良い。
なのに、なんだこの違和感...!
「あ」
わたしはそのとき気づいてしまった。
このトルティーヤに唯一苦手なパクチーが入っていることに。
なんでも食べられるのに唯一パクチーだけが苦手だ。スパイスカレーとかに入ってるのはなんとか食べられるけど生のパクチーは風味が苦手すぎる。

でもパクチーが入っていても味が美味しいことには変わりはないし、かじるところ全てにあるわけじゃなかったのでなんとか完食!おいしかった!
東京から長野への道のりは長い。2時間弱ほどかかるので、最近活休してしまったさよならポエジーの音楽を聴き倒すことにした。
一年ちょっと前にはまって今年こそは絶対ライブに行こうと思っていた矢先、活休してしまった。
ライブは生物とはよく言ったもの。いつまでもあると思うな親とバンド...。
抜殻の歌詞にこんな一節がある。
後悔がない日々が 本体無く過ぎて
もしとうにしょうがない 生涯だったら
わたしはさよならポエジーの言葉の表現にいつも勝手に救われていた。そんなところが好きだった。(もちろん今も好き!)
ときどきすごく落ち込んでしまったときに、「実は私の人生のたのしいところはもう全部終わってしまっていて、これから生きることに何の意味もなかったりする?」と考えしまうことがある。
もちろん死にたくないし楽しく生きたいから日々生きる。楽しいことだってたくさんあるし、ありがたいことに人にも恵まれている。私は生きたい。
それでもときどきそうした思いになることがある。
この歌詞はわたし的に解釈すると、自分の中で後悔なく「ああ、よかった」と思える日々が自分に実感のないまますぎてしまって、もうなにも意味がない日々が続くだけなのではという、湿度の低い諦めを表しているような気がしている。
だからなんとなく、自分とリンクするようなものを勝手に感じてしまった。そしてなんだか心に張り詰めたものが緩んだ気がした。
本当に落ち込むときに効くのは場合によっては慰めではなく、だれかが自分の気持ちをわかってくれたと思うことだったのかもしれない。
もちろんこのバンドがわたしのために書いた歌詞では全くないけれど、シンパシーのようなものを感じてしまってなんだか心が軽くなった。
音楽ってすごい。
その人に直接語りかけなくても、その人が感じた感覚や、表現したいものを丁寧に描写することで人を救うことができる。
もちろん魔法ではないから悩みがすべて解決するわけではないけれど、こうやって人の心を軽くすることもある。本当にすごい。
ありがとう、さよならポエジー。
彼らの綴る言葉が彼らの実体験からなるものか、それは私たちには容易には判断できない。
それでも彼らのつくる音楽には諦念や希望、反骨精神など現代を生きるわたしたちにを間接的に救う言葉やメロディーが確かにある気がする。
そうした思いを丁寧に作品にできる人の心の繊細さとその歌詞たちのことを考えると簡単には筆舌しがたい気持ちになる。
彼らの活動休止の理由は彼らにしかわからないけれど、またいつか戻ってきてくれる日が来たら、そのときはきっとライブに行きたい。先のことはわからないし、彼らが1番良いと思う道を選んでほしい。
でもその先に復活があるならいつかきっと行けるといいなあ。
丁寧な心情の描写も胸を打つサウンドも大好きだ!またいつか!
音楽を聴き続けていたら長野に着いた。初めての北陸地方!
まずはホテルにチェックイン。

ホテルのドアにつけるこのカード?みたいなもの、「掃除は不要です」とかはみたことあるけれどここまで強気なのは初めてみてちょっとおもしろかった。
次の記事からひとり旅の様子について綴っていきます!
