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写真集「字」(富澤大輔)から考える、考え抜いた先の写真

最近購入した写真集に、強い衝撃を受けました。

タイトル「字」
撮影者:富澤大輔
出版社:南方書局
webサイト:https://www.shashasha.co/jp/book/zi

土門拳氏の、

「いい写真というものは、写したのではなくて、写ったのである。」

という言葉は名言だと思っています。

この写真集は、「たまたま撮れた」写真の集合体のように見えました。
もう少し踏み込んで言うと、「一生懸命考えながら写真に向き合っている撮り手が、ふと気を抜いた瞬間に撮れた写真」の集まりのように感じました。

この写真集は、1枚1枚が強烈なインパクトで押してくるタイプではありません。
それでも成立しているのは、「ふと気を抜いた時」の写真が、これだけ積み重なっているからなのだと思います。

そして、それだけの数があるということは、そこへ至るまでに既に膨大な数の写真が撮られているはずです。

「ふと気を抜いた写真」は、何枚も連続して撮れるものではありません。
私も昔、それを目指したことがあり、その難しさは少しわかるつもりです。

昔、「未来指向」という写真展(須田一政氏企画展、マキイマサルファインアーツ)を開いたことがあります。
当時のコンセプトはもう残っていませんが、記憶の範囲で書くと、こんな内容だったと思います。

写真は過去を撮るものだけど、私は未来を写真に撮りたい。
私にとって写真を撮るということは、写真について考えることを、手間暇かけて、ついうっかりすることである。

そんなことを書いた記憶があります。

何が言いたいのかというと、過去に固執すると、写真は哀愁やノスタルジーに寄ってしまう気がしています。
そうした感情に浸るよりも、私はもう少し前を見ていたい。そんな感覚に近いです。

今でも、

「考え過ぎること」
   ↓
「考え抜いた上で、ついうっかりすること」

この順番のワンセットが、自分の写真にとって最も大切で、同時に最も難しい、永遠の課題だと思っています。

例えば 5時間歩いたとして、その中で「ついうっかり」が起きるのは、多くても数分程度だと思います。
一方で、たまたま用事で出掛けて、たまたまカメラを構えた時に、それが起きることもあります。

それくらい、「ついうっかりする」というのは難しく、生産性の低い行為です。

この写真集には 306枚の写真が収録されているそうです。

これだけ生産性の低い方法で、この枚数を積み重ねるには、どれほどの時間や試行錯誤があったのだろうと想像すると、頭が下がります。

つまりこれは、「ついうっかり」の集大成なのだと思います。

写真が好きな人には、ぜひ一度、この写真集を手に取って見てほしいです。

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