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怪談/朱滴る(しゅしたたる)

それは、卯の花が白々と夜の闇を透かす、ひどく湿った晩のことでございました。

​若き染物師の清次は、山道で道を見失いました。霧は白粉を叩いたように濃く、足下のシダが、まるで濡れた蛇の鱗のようにべたべたと袴にまとわりつきます。

​「もし……」

​不意に、微かな鈴の音が鳴りました。

​顔を上げると、そこには古びた一軒の庵(いおり)が。

破れ障子の隙間から漏れる灯りは、毒々しいほどに紅い。

​清次が吸い寄せられるように戸を開けますと、奥には一人の女が座っておりました。

​肌は青磁のように透き通り、黒髪は重たげな夜そのもの。

女は一心不乱に、盆に乗せた真っ赤なほおずきを、銀の針で突いているのです。

​「道に迷われたか、若旦那。ここは、帰る道などございませんよ」

​女がふふと笑うと、その唇は、潰れたほおずきの汁で濡れたように赤黒い。

​よく見れば、女が突いていたのはほおずきなどではございません。それは、くり抜かれた人間の眼球。銀の針が突き刺さるたび、どろりと黒い光彩が潰れ、中から溢れた汁が盆を汚していきます。

​さらに見れば、女の指先には爪がございません。剥がれた指の先から、とろりと、美しい朱が滴っております。

​「お前さんの染める絹は、さぞ美しいのでしょう。けれど、私のこの『紅』には、決して及びはしますまい」

​女は立ち上がり、音もなく清次の背後に回りました。

​冷ややかな息が首筋を撫でます。清次が恐怖に身をすくめると、首の後ろにじりじりと熱い痛みが走りました。女が爪のない指先を、清次のうなじの皮膚に食い込ませ、じわじわと引き裂いているのです。

​「ああ、良い。お前さんの内側には、なんと見事な紅が流れていることか」

​見れば、女の足元には、今まで清次が歩いてきた道などなく、ただ底知れぬ深い淵が、鏡のように静まり返っておりました。そこには、過去にこの庵に迷い込み、皮を剥がれて肉塊となった男たちの無数の顔が、水底から清次をじっと見上げております。

​清次が恐怖に震え、逃げ出そうとしたその時。

​女の細い、肉が剥き出しの指が、清次の喉元に優しく触れました。そのまま、生木を裂くような音を立てて、清次の胸元の皮をゆっくりと引き剥がしていきます。

​「案ずるな。お前さんの命を、私の最高の『染料』にして差し上げましょう」

​悲鳴さえ血に溺れて届かぬ闇の中、清次は己の身体が、生きたまま一枚の「布」へと変えられていくのを、ただ激痛の中で感じておりました。

​翌朝。

​村人が見つけたのは、山道に落ちていた一反の絹。

……いや、それは絹ではございません。裏返せば、生々しい人間の血管と肉の繊維がこびりついた、**清次自身の「人間の皮膚」**でございました。

​そこには、この世のものとは思えぬほど鮮やかな、紅い牡丹の花が咲き誇っておりました。清次の新鮮な血と脂で染め上げられたその花は、村人が触れた瞬間、「熱い」と錯覚するほど、まだ生温かく脈打っていたそうでございます。

​どれほど洗ってもその紅が消えることはなく、それどころか、村に持ち帰られたその「皮」は、夜な夜なすすり泣きながら、じわじわと紅いシミを広げ、今も次の「染料」を求めて、誰かの肌にまとわりつく機会を狙っているとのことでございます。






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