はじめに / 発起人・世話人 有田 邦子 (2012年5月30日 記)
人類史上初めて広島に落とされた原爆、そのもっとも悲惨な被爆体験記を書くきっかけは、高校時代の同級生のニュースでした。それは、2011年9月2日の中国新聞の朝刊に「米の原爆演劇で初の被爆証言」と大きく記載されている記事が私の目に止まったからです。
そのニュースの証言者は広島市舟入高等学校の同級生、松本幹雄さんと知りびっくりしました。
彼は高校卒業後すぐに米国に渡り、日米を股にかけたビジネスマンとして、成功を収めている人です。
このニュースに私は大いに触発され、私達も体験記を書かなくてはとの思いにかられました。広島に原爆が投下された昭和20年8月6日、私たちは国民学校1年生でした。
私自身は母の出身地である、現在の三原市に疎開していましたから、幸い直接の被災は免れました。しかし、父親が当日広島市稲荷町の自宅(爆心地から約2km)で被災し、長い間原爆症で苦しみ、その後健康を取り戻してから、体験した種々の想像を絶する市内の惨状について、私によく話してくれました。父の話は強烈な印象として私の脳裏に刻まれています。
そこで、何をするにもまとまりのよい我が3年B組の有志で、是非体験記をまとめてはと思い、早速クラスの体験者の皆さんに諮りました。
思い起こすのも辛く、悲しい体験を書くことに快く応じてくれた3年B組の勇気あるクラスメートに感謝しています。
この文章を目にした人達全員が、必ず、何かをくみ取って下さることを切に願ってやみません。
