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原作厨の私が絵師をうっすらと嫌う理由


苛立ちから始めよう

はじめに白状しておくと、この文章は苛立ちから始まっている。

私はいわゆる原作厨だ。アニメよりもラノベや漫画を普段から読んでいる側の人間である。そういう人間の目には、タイムラインの光景がときどきひどく歪んで見える。

ある作品がアニメ化され、話題になる。すると突然、タイムラインに二次創作が現れる。

印象的だった作品がある。『葬送のフリーレン』だ。
フリーレンはサンデーで2020年から連載されており、書店ではかなり早い時期から平積みされていた。
さらに21年にはマンガ大賞を受賞、次にくるマンガ大賞で3位となり殿堂入りしている。次にくるマンガ大賞は一般投票の賞なのだから、実質的に"もうきている"マンガ大賞と言える。
つまり、この時点でもう有名作品だったわけだ。
しかしアニメ化してからの盛り上がり方はこの時の比ではなかった。今まで流れてこなかったフリーレンの二次創作がタイムラインに流れてくるようになった。
アニメ化して嬉しかったが、同時に悲しかった。私たちの作品だったものが遠くに行ってしまった感覚。軽々とそれまでの流行りを超えていってしまった事実。嫉妬したと言われてもしょうがない。でも喪失感と無力感は本当だった。

二次創作の同人誌・グッズ・支援サイトを主な収入源としている職業絵師たちは、話題だから描いているのではないか。

話題になった瞬間にだけ現れて、次の話題に移っていく。その動きが、私はずっと嫌だった。嫌だと思っているだけでは意味がないので、いい加減、自分が何を考えているのかを言葉にしてみることにしたい。

職業絵師の飯のタネはなんなのか

まずは経済の話だ。

ラノベや漫画が毎月大量に刊行される。その中の一部が売れる。売れたものの一部がアニメ化される。アニメ化されたものの、さらに一部が「流行る」。

二次創作が集中するのは、この漏斗の一番先端だけだ。

つまりイラストや二次創作だけで食べていけるような職業絵師の商売の原資は「流行作」であり、その流行作は、膨大な無名作品というピラミッドの頂点として初めて存在している。
裾野が細れば、頂点も細る。これは単に刊行点数と打率の問題である。
ならばその裾野にもっと還元すべきではないだろうか。

しかし、この意見には大きな欠陥がある。

それは数少ないヒット作品が、数十本の赤字の新人枠を養っている、という点だ。人気作の単行本が産んだお金は、編集部を経由して、間接的には無名作家の刊行機会を買っている。

確かにまったく還元されていない、とは言えないだろう。しかし有名作品と無名作品では一冊の重みが違う。
すでに何十万部と売れた作品に千円を落としても、その千円は何も変えない。その作品の続刊はもう確定しているし、アニメ二期の判断もその千円では動かない。限界効用はほぼゼロだ。

一方、無名作品の一巻に落とす千円は、二巻が出るかどうかを変える可能性がある。打ち切りの判断は初動で決まるとよく言われている。

もっとも、彼らが何に金を使っているかは、私には見えない。同人誌の売上がどこにいっているかなんて、知りようがない。
だが、何を描いているかは見える。そして描かれているのは、ほぼ流行作だけだ。

裾野が細れば、自分の飯のタネが細る。彼らは自分の商売の原資を、自分で痩せさせているのではないだろうか。

お金以外にも大事なことがある

ここまではお金の話だった。しかし、お金以外にも大事なことがある。それは文化との向き合い方だ。

職業絵師の原資は「流行作」である。そして流行作を生み出しているのは、無名作品の層と、そこから拾い上げる目利きだ。

では、その再生産に彼らはどう関与しているのか。

私の見るかぎり、ほぼ関与していない。絞るだけ絞って、絞り尽くしたら次の流行に移動するだけ。

最初に作品をディグる人たちは何の見返りもなく、外れることの方が圧倒的に多い作業を続けている。
もちろん彼らはそれが楽しくてやっているのだろう。見返りだって求めていないかもしれない。

しかし、そういった人たちによって発見されて口コミでじわじわと売れた。そんな作品でも職業絵師が参入するのは、その発見コストがすべて払い終わった後だ。
そして最も大きく得をするのは、一番遅く来た彼らである。

ここで払われているのはお金ではない。時間と、外れを引く覚悟だ。そしてそういう向き合い方を受け入れる覚悟でもある。

私が言いたいのは無名作品を百冊買え、ということではない。外れを引く覚悟ごと、掘る側に回ってほしいということだ。

私はディグる人たちが評価されることを好む。これは一般的な価値観ではないかもしれない。しかし、自分なりの判断基準でもって海のものとも山のものとも知れない作品たちを判断している人たちはカッコよくないだろうか?

建前の話をしよう

もうひとつ、以前から引っかかっていることがある。

そもそも二次創作が権利者に黙認されてきた理屈のひとつに、「作品の認知度を高めるから」というものがある。互恵関係としての正当化だ。

だが、この理屈が最も効くのはどこか。もちろん無名作品だ。
すでに有名な作品の認知度を高める必要は当然ながらない。鬼滅の刃もフリーレンも二次創作で知った人はほとんどいないだろう。

つまり現状はこうなっている。

二次創作は、正当化根拠が最も薄い場所に、最も濃く集中している。

しかも人気作品には「その人でなければならない理由」がないはずだ。あなたが描かなくても、誰かが描く。
一方、無名作品の一枚は誰が描くのだろうか?

絵師だって巻き込まれている

とはいえ、私もわかっている。無名作品の二次創作は伸びない。
なぜなら無名だから。

無名作品を描けば、五十いいね。話題作を描けば、五万いいね。不安定な職業である絵師が、無名作品の二次創作をするなんてそんなの大博打だ、という意見もわかる。

トレンドタグに乗れば露出が跳ね、乗らなければ埋まる。これはプラットフォームの設計であって、絵師はその設計に合理的に反応しているだけだ。合理的な行動にとやかく言ったってしょうがない。

だから、現在の推薦アルゴリズムが発見という行為に一切の報酬を用意していないことが問題なんじゃないか。もっとディグに対して寛容でありたい。

私はそう思っている。

それでも私の考えは変わらない

構造がそうなっていることと、私が誰を好きになるかは、別の話だ。

私は、自分で作品を見つけている人を尊敬している。何かを語るとき、「話題だったから」以外の入口を持っている人を信用している。

これは正しさの主張ではなく、ただの趣味だ。

だからみんなももっとディグろう。そしてそれを共有しよう

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