見出し画像

NHK高校講座を流し続けたあの夏――学校の授業は全部動画でいいと言う人へ

結論から言えば、私は学校の授業をビデオ・オンラインで済ましてしまうことについて(実現という意味でも、教育の効用という意味でも)可能性はあると思っている。ただし、留保つき

「素人」と鈴木寛の一致

以下のツイートを見かけた。現職の教員らしき人たちから批判・反論めいた大量のリプライが送られている。

教育に関する「素人」の放言だろうか。
しかし、案外そうでもないということは事情通ならばわかると思う。

私も講演の度に言っているんですが、学校の先生はもう授業案なんて作らなくていい。たとえばNHK for Schoolという番組とウェブサイトがありますが、これは本当によく出来た教材です。一流のスタッフと出演者が作っていますからクオリティはかなり高い。授業でこういったものをどんどん活用していけばいいと思います。(太字筆者)

発言主はあの鈴木寛だ
経産官僚のち、民主党所属の参議院議員として文教政策にかかわり、政権交代後の自民党政権でも文部科学大臣補佐官として抜擢された。控えめに言っても教育業界に相当の影響を与えた人物と評価できる(ちなみに対談相手は話題沸騰中、麹町中学校元校長の工藤勇一)

その鈴木寛もまた「授業は動画でいい」と言っている。なぜか。「忙しい教師が1on1で生徒に向き合う時間を捻出するため」だという。細かな違いはあるにしても国の教育政策に噛んだ人物が、先の霞ヶ関女子氏のツイートとほぼ同一の主張をしている。したがって「素人の放言」と片付けるわけにはいかないはずだ

だからあとは nhk スペシャルとか nhk for school とか素晴らしい動画がいっぱいあるから、(それで)自学自習してくださいと。未来シードでもスタディサプリでもですね、その知識のところをやってくださいと。英語でもいいソフトいっぱいあるので、自学自習をデジタル教育ソフトでやってもらって(動画の21:00、筆者書き起こし)

※訂正(2026/8/26 8∶20)
鈴木寛の経歴に誤りがあり訂正した。
✕自民党所属の参議院議員
→民主党所属の参議院議員

NHK高校講座を流し続けたあの夏


「授業は動画でいい論」に関して個人的な経験を振り返っておこうと思う。言い忘れていたが私は公民科の常勤講師である。

私は、ほぼNHK高校講座で授業をすませていた時期がある。

きっかけは、部活動が原因で足を骨折してギプス生活を強いられたことだった。長時間立って話すことはできず、板書も満足にできなかった。

そのような状況下でいろいろ授業のやり方を模索していくうちにNHK高校講座のクオリティの高さを知った。日中に放送している高校講座は、全日制の生徒、あるいは勤め人にはまったく縁のない番組なのであまり見られていないし、私もこの時まで知らなかったのだが、内容はかなりガチだ。

まず、学習指導要領および教科書に準拠しており、センター・共通テストに必要な知識についても相当程度カバーできる内容になっている。また、NHKの所蔵する、学習に有益な図版や映像資料がふんだんに盛り込まれ(特に歴史だと近代以降の映像はすごい)、その分野の専門家、有名な高校教諭や大学教授がレクチャーする。そして、エンタメ性も担保されている(ちなみに今だと、日本史探究は乃木坂の秋元真夏、世界史は山崎怜奈、保健体育は壇蜜が担当している)。

高校講座のクオリティを知って、また授業で活用することもライセンス的に可能だということで、これでいいじゃん!と思った。ということで、ケガが治るまでの二か月授業で流してみることにした。

やってみた感想として、まあ、そんなに悪くないな、と思った。

「動画でいい論」批判へのアンサー

特に教員の方々なんかは、「動画でいい論」に批判的だと思うので、実際にやってみた私が、まずもろもろの懸念を払拭する形でアンサーを返していけばと思う。

①世の中には進学校から底辺校までいろいろあるんだ!へのアンサー

まず私がNHK高校講座を使ったのは以下の2校。

1校目は、偏差値40~45程度の普通科高校。大学・短大・専門学校に進学するが、だいたいが指定校&総合型&公募。関東圏の感覚でいうと日東駒専は奇跡、大東亜帝国なら優秀、ほとんどはボーダーフリーの大学に進学する学力層。

2校目。偏差値70弱。地区のトップ校。東大京大にも毎年二ケタは進学する。ボリューム層はMARCHクラスに進学する学力層。

サンプルとしては少ないけど、とりあえず、偏差値が高い学校と低い学校で試してみたということだ。

②たいていの生徒は動画を集中して視聴することができないんだ!(いわゆる「ドパガキ」問題)へのアンサー

悲しいかな、はっきり言ってしまえば低学力の生徒は5分以上お勉強の動画に集中することは困難。この問題は容易に予想できたので以下の対策を行った。

(ⅰ)ワークシート
まず、視聴中に手持ち無沙汰にならないようにワークシートを活用した。高校講座公式サイトではなんと丁寧にNHKが作成した動画視聴用のワークシートがダウンロードできる。それを少しカスタマイズして配布。動画視聴中に重要なキーワードについて穴埋め作業を行ったり、重要な事項についてメモを取らせたりした。

(ⅱ)小分け視聴、Q&Aとグループワーク
高校講座は一番組で20分あるが、20分ぶっ通しでの視聴はまあ無理。ただ、番組の中では視聴者Q&Aのようなタームがある(テレビの前のみんなも考えてみよう、みたいな)。適宜動画を止めて、問いについて考えさせて、グループワークや指名・発表などを行わせた(例えば、高校講座「公共」憲法総論の回では「憲法はなんのためにあるのか?」という問いかけがなされている)

(ⅲ)小テストとコメントシート
さらに、動画を集中して視聴するインセンティブを用意する必要があると考え、視聴後に小テストを行った。小テストとコメントは成績に取り入れると告げておく。4択問題、語句記述、ときおり論述もだすが、先述のワークシートはカンペとして使ってよいことにした(ここでメモを取りながら聴くインセンティブも発生)。答え合わせして、コメントシートと一緒に提出。

(ⅳ)規律訓練
寝る、集中して聴いていない、ワークシートに書き込まない生徒にはその都度しっかり注意。

ここまでしたら、どちらの学校でもほとんどの生徒はちゃんと動画に向き合ってくれるようになった

当たり前だけど、ただ用意した動画を見せるだけではダメに決まっている。ちゃんと動画をみせるための仕掛け(アーキテクチャ)と十分なサポートがあればある程度までは対策可能だと思う(そもそも連中はあれだけYouTubeやTikTokを見ているんだからポテンシャル的にできないわけがない)

③動画なんか、学力が低下する!知識が身につかないんだ!へのアンサー

私は特に統計的な処理とかはできないし、主観にすぎないことは断っておくが、上述のようなビデオ授業でもかなり知識は定着していると感じた。

一応1校目(低偏差値)には3年いたのだが、1年目・2年目は通常の授業、3年目がビデオ授業の年となった。定期考査で出題した同内容の設問(センター試験レベル)の正答率を比較してみるとほとんど差はなかったし、クラスによってはビデオ授業の時の方がよかった。

ちなみに、生徒が苦手とするところ、動画の説明が不十分なところに関しては、授業の中で私が解説・補足を入れている。小テストで成績の良くない生徒には補習を行い、授業外での質問にも積極的に応じている。

④生徒は動画など望んでいない!教員の授業を求めているんだ!へのアンサー

ビデオ授業についてどう感じたか、匿名でアンケートをとった。

アンケートの記述は鵜呑みにはできないと思っているが、大半は好意的なコメントが届いた。特に2校目(高偏差値)はほぼ不満はなかった。

1校目の好意的なコメント
・動画を見ることが好きなので面白かった
・特にない
・映像がわかりやすかった

2校目の好意的なコメント
・特に不満はない
・家でも同じ動画で復習ができるのでありがたい
・動画(NHK高校講座)の内容は思ったよりレベルが高くて面白かった
・教員が話すのを聞くより動画で学習したい

一方、一校目(低偏差値)ではいくつかクレームが寄せられた。
・動画の内容が速すぎてついていけないところがあった
・動画を見るだけでは学校に登校する意味が感じられない
教員が手抜きをしていると感じた(この点は後述)

2校目のクレームはほぼなかったが
・倍速で視聴したい

こんな感じだった。

「動画でいい論」の課題

じゃあお前は、霞ヶ関女子氏や鈴木寛に肩入れするのだな、と言われるかもしれないのだが、そうではない。冒頭でも「留保あり」と言っている。ここでは「動画でいい論」の課題について述べる。(なお以下で論評の対象とする動画授業とは、録画された授業動画(ビデオ)を用いるものから、オンラインツールを用いた双方向型授業まで幅広く映像メディアを用いた授業を指すものとする)

①全体の設計と「教師的」人員の配置

霞ヶ関女子氏のイメージははっきりとはわからないが、もし授業時間(例えば50分間)すべて動画だけを見せればいいと考えているのなら、それは困難だろう。先述したように、ワークシートを用いたり、小テストを行ったり、監督者による指導をしたり、なんらかの仕掛けがないと(特に低学力の)生徒はまともに動画を見ない。動画を使うにしても授業全体をきちんと設計しておくことが必要となる。またそのためには、単に動画を見せる「監督役」のみでは不十分で、科目の内容に精通し指導技術を持った人間が現場にいることが必要だろう。

②メディア論的反省

ミュージシャンのコンサートを生で聴くのと、録音されたCDで聴くのとはまったく異なる体験である。授業も同じである。教室における生身の人間の授業と、録画された授業動画を同一視するべきではない。

ある特定の内容を伝達するという意味で、教員も黒板も教室もメディア(媒介)と言える。それは教育業界の中ではまさに「オールドメディア」と呼ぶにふさわしいのかもしれないが、動画というニューメディアに切り替えられた際には、そのメッセージ(内容)に変容が生じる。「メディアはメッセージである」(マクルーハン)との言葉を忘れてはならない。

③教師と生徒の関係性

なぜ(必ずしも全員とは言えないが)生徒は授業を聞くのだろうか。内容の習得のため、だけではない。

例えば、特に授業の内容には関心がないが、教員に対して親しみや信頼を抱いているから授業を受けるという場合がある。あるいは、恐怖や圧迫感から授業を聞いているということもあるかもしれない。何にせよ、教師と生徒の関係性は授業の成立のために重要な要素である(反対に言えば、ダメな授業はたいていの場合、人間関係の構築に失敗している)

収録された動画と生徒の間には人間関係は存在しない。また、オンラインツールを使ったリアルタイム講義にしても、対面の場合と比較して、人間関係の構築は困難である(オンライン通話だけで親友ができたことがあるだろうか)。この点を軽視するべきではない。

④政治的中立性の確保

日本の教育行政及び教育学では、戦前の反省から教育内容の統制・介入を警戒してきた。有名なのが「国家の教育権・国民の教育権」論争である。ここではその中身について深入りはしない。

制度設計によると言われてしまえばそうなのだが、例えば「トップ予備校講師の講義動画を自治体単位、学校単位で一斉に視聴させる」という方式を想定したとき、政治的プロパガンダに利用されてしまう可能性がある。テレビの免許制度や、教科書検定制度のように一定の政治的中立性を確保する仕組みが必要である。

(ちなみに私が活用したNHK高校講座でも領土問題や歴史認識問題においては政府答弁に準拠していると思われる箇所があった)

⑤「教師像の転換」の問題

ここまで読んで、じゃあ、今あなたは動画を使って授業をしているの?と疑問を抱いた人もいるかもしれない。

基本的にあまり使ってない。

簡単に言えば、つまらないから。

まず、私は公民科目(公共・倫理・政経)をもつことが多いので、2単位を8クラス持つのが基本となる。すると、先の動画を使った授業だと、同一の内容の動画を8回も見る羽目になる。これが結構苦痛だった。それだったら、同じ内容の授業でもバリエーションを持たせながら自分で8回しゃべった方がマシだと自分は思った。私は授業をすることが好きだし、授業が教員という仕事の醍醐味だと思っている。

いま、「教員の仕事とは何ですか」と聞かれたときに「授業」と答えない教員はほとんどいないのではないか。ふつうの教員は自己の仕事の中核的部分(アイデンティティ)を「授業(科目を教えること)」と考えていると思う。

鈴木寛は「教師像の大転換」として「レクチャーを行う教員から卒業」することを求めている。霞ヶ関女子氏は「教員は授業をせず、生徒指導や部活動にリソースを割くべき」と主張している。両氏の考える「教員」とは、従来の教員とまったく異なる職業だろう(だからこそ「転換」と言っているのだろうが)。

はたして、このようなアイデンティティの転換に耐えられる教員がどれほどいるのだろうか。あるいは、根本的にアイデンティティが変容したこの「教員」という職業を希望する人材を(例えば)100万人集めることは可能なのだろうか。現実的にこの点はハードルだと思う。

教員の実存の問題など知らんしそれでも「教員」は集まる、と切り返されるかもしれないが、もう一つハードルがある。サービスの受給者側の「教師像」の問題だ。

先ほどの匿名アンケートのくだりで紹介したが、ビデオ授業を実施したところ「教員が手抜きをしていると感じた」というクレームがあった。どこまでこのような意見が一般的かはわからない。しかし「教員は授業をする職業」あるいは「学校は生身の教員の授業を聞くところ」と、その機能を認識している生徒・保護者は現状、少なくないと思われる。

授業をしないという「教師像の転換」は教員だけではなく、教育サービスの受給者である生徒・保護者、大きくは国民全体に受け入れられる必要があるだろう。このハードルをクリアすることはできるのだろうか。

論点としてはほか、「学びの身体性」論とかもあるが、書き疲れたので検討はこの辺にしておこう。

おわりに――「動画でいい論」再擁護

しかし、それでもなお私は動画授業に可能性があると思う。その理由を簡単に列挙してみる。

①教育の機会均等

地域や学校によって提供される教育サービスの質に差があることは、かねて指摘されてきた。加えて、同業者として残念ながら、2026年現在、多くの自治体の教員採用試験では低倍率が続き、教員の質の低下が懸念されている(この点については本当にそうなのか実態の検証が必要であるが)。

録音された授業動画を利活用することは、教育サービスの平準化に資するはずだ。

②個別最適化された学習

生身の人間にしろ動画にしろ、講義の一斉視聴は、ある生徒に対してはレベルが高すぎたり、異なる生徒に対しては簡単すぎたりするという問題が生じる。

難易度Aの講義、Bの講義、Cの講義というようにレベルの異なる講義をアーカイブし、生徒本人の学力に応じて視聴するという解決策はありうる。1人1台タブレット(に加えてスマホ)を持つ現在ならハードウェア的な条件は達成している。

(この場合、同じ教室で、それぞれの生徒がまったく異なる授業を受けるということになり、それならそもそも教室に集まる意味はあるのか、とか、メンターの指導をどうすればいいのか、という問題は生じるが、この稿では踏み入って考察しない)

③教員の働き方改革

教員の世界にはある種の「手づくり信仰」のようなものがあると思う。つまり、授業に使う教材(プリントやスライドなど)は教員各自で作成すべきであり、教材作成に投下した時間や熱量が生徒に対する愛情を表すという規範である。

これは私見だが、教員の長時間労働の原因の一つにはこの「手づくり信仰」があると思う。夜遅くまで職員室で教材作成をしている教員の姿を見たことはないか。家に帰ってからもパソコンを叩いている教員はいるのではないか。

自炊を諦めてスーパーのお惣菜や冷凍食品を買うことがあるように、時には教材の「手づくり信仰」を抑えて既製の授業動画を活用することは恥じるべきことではないと思う。教員の多忙化が叫ばれる今日ならなおさらである。

また、動画は教員の身体をサポートする。

授業をすることは、けっこうキツい。
授業中は基本立ちっぱなしでしゃべりっぱなしだし、教室内の生徒の様子を注意深く観察しなければならない。1日で50分の授業を5回もやったあかつきには、ヘトヘトで家に帰るとすぐに寝込んでしまう。教員という仕事は、常に健康でタフな身体が求められる「マッチョ」な側面がある。

しかし、かつての私のように怪我に見舞われることもある。病気を患ったりすることもあるだろう。根本的に言えば、教員の「マッチョ」なあり方は障がい者など「健康」でない人たちの就労を妨げてきたとも言える。喉が痛くてたまらない日は授業動画を活用すればいいではないか(そもそも休めという論もあろうが)。

さらには、オンライン授業の開始は、教員のリモートワークという新しい可能性を開くだろう。

以上の点において、動画の活用は教員の働き方改革に有効である。



最後に結論をまとめるとこうなる。
私は、教員による授業を全面的になくしてしまうことは現状不可能だと思うので霞ヶ関女子氏や鈴木寛のようなラディカルな改革にはまったくもって反対だが、上述した課題に留意しつつ、授業の一部分において録画された動画やオンライン講義を活用することは、教育の効用の観点からも教員の働き方の観点からも、推奨されると考える。

以上である。

補足
なお、ツイートを取り上げた霞ヶ関女子氏は教員免許制度の廃止や部活動の存続など学校教育に関する広範な問題提起を行なっているが、本稿では動画教育という論点に絞って取り上げた。


いいなと思ったら応援しよう!