滅私奉公よりも親しみやすい「背私向公」といふ言葉
衆議院選挙の火蓋が切られました。
1月26日の日本記者クラブ主催の党首討論の新聞記事の下に各党首の揮毫した書の写真が掲載されてゐました。
各党首の信条や選挙への決意の言葉が並ぶなか、一際目を引いたのが参政党・神谷代表の「滅私奉公」でした。
【滅私奉公】
私心を捨てて公のために尽くすこと。
「公に尽くす」といふことは、教育勅語における「一旦緩急あれば義勇公に奉じ」にも通じるとても美しく尊いことですが、「滅私奉公」といふ言葉は戦前戦中の標語によく使はれたせいか、全体主義につながるとして戦後は否定的な意味合ひが強くなってしまひました。
特に戦後教育の影響が大きい70歳以上の高齢者の方々の中にはこの言葉にアレルギー反応を起こす方々が少なからずをられるやうです。
改めて「滅私奉公」といふ言葉について考へてみると、戦前のやうな国難の時代においては、あるいは時代の空気でそういふこともできるのやもしれませんが、曲がりなりにも戦争もなく平和な時代に生きる日本人にとっては私心を滅して公に奉じるといふのはかなり困難のやうに思ひます。
「滅する」といふ言葉が厳しすぎて現実味に欠ける気がするのです。
「心頭滅却すれば火もまた涼し」と云ひますが、火のなかでも涼しいと思へるくらゐの境地にまで到達しないと私心を滅することなどできないのではないかと思はれます。
神谷代表のやうな肝が据はった超人的な人物なら可能でせうが、我々一般国民にはめったなことでは口にできない言葉です。
「滅私奉公」の出典は中国の『戦国策』といふ書で、元々外国の思想なんですね。
だから我々日本人には少しそぐはない部分があるのかもしれません。
わが国では似たやうな言葉に、「忘私奉公」「背私向公」があります。
「忘私奉公」は昭和天皇のみことのりの中にみられます。
国を思ふ気持ちがあまりに強くて私のことを忘れて公に尽くすといふ意味です。
「爾有衆、其れ心を協へ力を戮せ、私を忘れ公に奉じ、以て朕が志を弼成し、・・・・・・」
「背私向公」の出典は『日本書紀』で聖徳太子の憲法十七条のなかに出てきます。
私に背を向けて公に向かひ合ふといふ意味です。
私に背きて公に向ふは、是れ臣の道なり。
「忘私奉公」にしても「背私向公」にしても、私事や私心を滅してなくしてしまふのではなく、忘れたり背を向けたりしてゐます。
私心をなくすことなんて誰もできるものではない、皆多少の私心は当然あるけれども、一旦それを忘れて、一旦それに背を向けて公のために尽くさうといふことです。
現代の日本人にとってはずっと親しみやすい感じがします。
目標が高すぎたり非現実的であると、かへって白けてしまふことがよくあります。
普通の高校の野球部であれば、甲子園出場よりもベスト8を目標にした方が現実的でチームの士気も上がるやうなものです。
「背私向公」といふ言葉を、私は若い頃に日本学びの先輩から教はりました。
私はこの言葉をとても気に入って、それ以来講座のなかでもよく紹介してゐます。
「公のために尽くす」といふのはとても美しいことです。
それを「滅私奉公」といふことに抵抗のある人は「背私向公」といふ言葉を使ってみてはいかがでせうか。
私心にちょっと背を向けて、自分のことをちょっと我慢して、皆のために時間と身体を使はう。
最初はそんなぐらゐの気持ちで始めるのが、肩の力が抜けていいやうに思ひます。
