落穂ひろいの旅、ユースホステル編|ラウス岳、オンネトー【1988年夏】
私は1986年の夏と、1988年の春の北海道ユースホステルの旅を、当時の手記をnoteに転記して記事としてご紹介しました。
すっかりユースの旅にはまった私は、1988年の夏休みに再び北海道を訪れました。当時の手記を読んでみると、旅よりもユースに泊まることが目的だったようです。
今回のマガジンでは当時の旅の中から印象深いことをピックアップして綴っていきたいと思います。気軽に読んで頂けたら幸いです。ではいきなり岩尾別ユースホステルから始まります。

果たせなかった夢、ラウス岳登山
1988年9月4日、北海道を訪れた私は真っ先に岩尾別ユースホステルを目指した。ラウス岳を登って国後島を見るためである。このために登山靴まで用意していた。

こだわるには理由がある。2年前、初めて訪れたときは希望者が多すぎて参加できなかった。あの時からラウス岳登山は憧れであり、次回は登ろうと思っていた。

このツアーに参加するのは女の子が多い印象だったが、今回は15人中13人が男だった。女の子が少ないのは残念だったが、ヘルパーの「ねすみ男」さんも参加してくれた。

ヘルパーは日給わずか1500円とのことだが、働くというより、住み込みの旅のボランティアのようなものだと思う。人を楽しませるのがきっと楽しいのだろう。彼らのおかげで私たちは楽しい旅ができるのだ。
そして、期待通り「ねずみ男」さんは、常に冗談を言いながら登山隊を盛り上げてくれた。

ラウス岳は標高1,661mだが、緯度が高いので、本州の3,000m級の気候だと言われている。標高1,345mのラウス平で森林限界を超えて岩場を登ることになる。下山客はみな「頂上は晴れてますよ」と言うので、期待が高まる。

目の前に頂上が見える。いや、急に見えなくなった。雲に覆われた。どういうことだ。霧の彼方から、先に頂上についた連中が
「バンザイ、バンサイ」と叫ぶ声だけが聞こえてきた。

それでも「ねずみ男」が盛り上げる登山隊のメンバーのテンションは高かった。頂上では、2人しかいない女の子と2ショットが欲しくて、撮影順番待ちの行列が出来ていた。私は参加しなかった。そういうのが嫌いだった。


この日、山を降りて振り向いてみたらラウス岳はくっきりと夕日に映えていた。私の雨男伝説はすでに始まっていたが、まぁこんなものだ。

私は知床から国後島が見たかった。私が知床から国後島を拝むまでの長い物語はこれからも続くことになる。
やっぱり見えない摩周湖
当然のように知床から摩周湖に移動し、ペンションみたいと大人気の摩周湖ユースに泊まった。何度も書いたが、最初に泊まったときの早朝散歩が忘れられない思い出である。
ユースは摩周湖より5.5km離れていて、日の出を見るために未明に起きて第一展望台まで歩いた。 私はここで知り合った女の子が忘れられない。既に2年たっていたが、やっぱり引きずっていた。
今回も早朝散歩に参加したくて早く寝たかった。しかし、同室の男性2人がずっと騒いていて、寝る事ができなかった。彼らは出会った女の子の話でずっと興奮していた。明後日、一緒に知床に行く約束をしたらしい。午前1時、早く寝たい私は珍しく怒った(と書いてあるけど、どうせ遠慮しながら言ったにちがいない)。
……と言う事があって、寝坊した。もう誰もいない。ひとりで追いかけた。日の出には間に合いそうにないが、それ以前に霧がかかっている。それでも、意地になって走った。6㎞ぐらなんてことはない。
摩周湖はやっぱり霧の中、それでも先行した人に追いついて、帰りは女の子数人と一緒になった...…。いや、摩周湖ユースに泊まっているライダーたちがやってきて、女の子を後ろに乗せてピストン輸送していた。なぜ、メットがふたつあるのだろうか。そして私は一人になった。
レンタカーの運転手
摩周湖ユースでは、レンタカーを借りたい人をマッチングしてくれる。1986年の時は、大学生のお姉さんに、オンネトーまでのドライブを誘われたが、免許証を忘れたとこことでキャンセルになった。
そのオンネトーに行ってみたい。安眠妨害をした同室の男2人に声をかけるとレンタカーは承知してくれたものの、オンネトーと言うと
「そんな遠くに行きたくない」と断られた。
「レンタカーで廻ろうって言う女の子が4人いるんだけど、車がマニュアル車(MTミッション車)しかないので運転手を探しているんだって...…」
ヘルパーさんが声をかけてくれた。幸い私はマニュアル車が運転できた。
ということで、ワゴン車を借りることになった。男2人はオンネトーは遠いから嫌だと言っていたのに、彼女たちがオンネトーに行きたいというと、「何処へでも」と言った。どういうことだ。
借りたのは三菱デリカ。運転台に座って驚いた。コラムシフト車だった。コラムシフト車のMT車は初めてだったが、クラッチをつなぐ動作は普通車と同じだろう。

まるでバスの運転士の気分で、6人を乗せてまずは一度摩周湖展望台に向かった。4人の女の子は霧の摩周湖を見て叫んだ。
「わぁ、霧の摩周湖ってこんなになっているだ」
私は霧の摩周湖しか見たことがない。昨日は青空と真っ青な湖がとてもきれいだったとか。

多和平を経て阿寒湖に向かう。どうみても観光地ばかり...…私の旅らしくないが気分はいい。阿寒湖で昼食となり、自己紹介となる。

4人の女の子は津田塾の2年生だとか。そのうちの1人が岐阜出身だというので、中日ドラゴンズの星野監督の話や、根尾谷断層の話題で少し盛り上がる。ユースの旅で、レンタカーを借りるのは初めてだったし、このような出会いも初めてで、おのずとテンションは上がっている。情けない。
秘境オンネトー、男女七人夏物語
オンネトーは、北海道で一番美しいと言われ、エゾマツ林の中にある、静かな湖で、見る位置、時間によって水の色が変化すると言われている。周りには自然にできた滝の温泉、キャンプ場があるだけ。俗化されていない自然の宝庫だ。
国道を左折して、林道みたいな林の中のダート(未舗装の砂利道)道を走る。デリカは激しく揺れるが、秘境らしくなってきた。
しかし、途中では工事の車がいたりして、大きなクレーンが頑張っていた。どうやら舗装工事らしい。秘境オンネトーもこの舗装工事が終わったら、俗化の道をたどるのだろうか?

駐車場に車を止めて、オンネトーを周回する散策道を歩く事にする。生憎の天気だ。太陽が顔を出さない事には湖面の色の変化がわからないではないか...…。でも、雨男の私がいて雨が降られないだけでも感謝しなければならない。

散策道は、エゾマツ林の中を湖に沿って続いている。踏み固められただけで、獣道みたいだ。そんな中を7人だけで歩いた。
女の子はどうして、こんなに歌が好きなんだろう。4人は絶えず何か歌っていた。
「🎵なんにもない、なんにもない、全くなにもない。生まれた、生まれた、星がひとつ、暗い宇宙に...…。」

湖は曇っていても、見る位置によって神秘的な青色に見えたり、エメラルドグリーンに見えたりして、「なるほど、神秘の湖だ」と納得できた。そして、まぁ我々以外の観光客は誰もいなかったけど、できれば1人で見たい景色だったかなぁ...…なんて贅沢な思いがよぎった。
「男女7人北海道物語」
女の子がテレビの番組をもじって、そんな事を言っていたが、我々には(私には)物語なんかできそうにない。期待していた事?は起きそうになかった。でもまぁいいや。

さて、そんなに大きな湖でもないし、いや湖と言うより沼と言った方が良いかもしれない。1周と言っても何キロあるのだろうか?、散策道を抜けると、道路に出て雌阿寒岳と湖を見渡せる場所に出てきた。

丁度観光バスがやって来て、高齢の観光客が降りてきた。そこでさっさと湖と山を撮って、看板の前で記念撮影をして去っていった。その間10分ぐらいだった。
「あんなのつまらない、やっぱりツアーは嫌だ」
これが、我々7人の共通した意見だった。
さて、もう夕方だ。私だけ連泊手続きをしていなかったので、出てゆかねばならない。今日も摩周湖ユースは満員だった。
精算がまだだったので、ユースの喫茶室ミルクハウスで精算をする。たしか1人あたり3千円ぐらいだった。少し時間があったので、それぞれ将来の夢について話し合った。男性の1人が言った言葉に驚く。
「将来、大人のおもちゃ屋さんをやりたい」
すると、斉藤由貴似の岐阜の子が
「それじゃ、買いに行きます」と言っていた。私はそういう会話がちょっと苦手である。ちょっとドキッとしたけど...…。
さて、ユースではもう夕食の時間、デリカの前で最後の記念撮影をして、みんなと握手して、ひとり摩周湖ユースを出て行った。

レンタカー屋に戻る。ぴったし9時間、走行距離239km、デリカも御苦労さんだ。ところで、精算した時にガソリン代を計算するのを忘れていたので私ひとりが払うことになった。
この日、私は釧網線で網走に出て、夜行急行「大雪」で旭川に向かった。
前書きに変えて
こんな感じでスタートした1988年の北海道夏の旅。ときにはダイジェストで、ときにはじっくり書き進めたいと思います。礼文島の桃岩荘は、当時のまま載せるつもりです。
当時の夏のユースホステルの雰囲気を少しでも伝えられたらと思います。
では、「いつてきます!」
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