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「数」のほんとうの姿

カレンダーを、一枚めくります。

1、2、3、4と、数字が、静かにならんでいます。
ふだんは、ただの日付。
それ以上の意味など、考えることもありません。

これまでのお話で、「数」は、世界のうしろがわにある。
静かな決まりごとして見てきました。

では、ひとつひとつの数は、いったい、なにを抱えているのでしょう。
遠い昔の人たちは、一から十までの数に、それぞれ違う顔を見ていました。


1は、はじまり。

すべてが、そこから生まれてくる、たったひとつのもの。

2は、わかれること。

ひとつだったものが、ふたつに分かれて、向かいあう。
「光と闇」そういう対のはじまりです。

3は、つりあい。

向かいあう二つのあいだに、もうひとつが加わって、「かたち」が定まります。
三本の線で、はじめて三角形ができるように。

4は、安定。

四すみがそろって、地に足のついた、しっかりとした土台になります。


5は、人。

手と足を広げた、「いのち」そのものの姿。

6は、むすびつき。

目に見えるものと、見えないもの。そのふたつが、ひとつに重なります。

7は、めぐり。

ひとつの周期が、しずかに満ちていく数です。

8は、調和。

ものごとが、ほどよくつりあって、おだやかに整います。


9は、満ちること。

ここまで、で「ここのつ」。
あと一歩で、ひとめぐりが完成するところまで来た数。

そして、10。

10は、すべてを抱えた数だと、昔の人は考えました。


1と、2と、3と、4を、足してみると。
ちょうど、10になります。

そして10は、1+2+3+4=10=1+0=1でもあります。

このはじめの四つを積みかさねた十を、特別なものとして大切にした人がいます。


先日お話しした「ピュタゴラス」です。

彼は、世界は「対になるもの」で組み立てられている、と考えていました。

ひかりと、やみ。

ひとつと、たくさん。

止まることと、動くこと。

そうした向かいあう組が、ちょうど十の対にまとめられる。


そして、その10のもとをたどると、1・2・3・4という、はじめの四つの数にたどりつきます。

彼は、この十を「最も聖なるもの」と呼びました。

「テトラクティス」という名前です。

世界のすべてが、ここから生まれ、ここへ帰っていく。
十とは、〈すべて〉のおおもとであり、〈すべて〉そのものなのです。
そして十は、その役目を終えると、また一へと、しずかに帰っていきます。


ひとめぐりして、はじまりへ戻る。

数のならびには、そんな道すじが、隠れています。

ひとつ、心にとめておきたいことがあります。

大切なのは、数を、それらが抱えている意味から、切りはなさないことです。


ただの記号として、あるいは、頭のなかだけの理屈として、もてあそばないこと。
意味から切り離したとたん、数は、ほんとうの役目を、終えてしまいます。

その役目とは、私たちを、人生の道のうえで、一歩ずつ前へ進ませてくれることなのです。


昔、ある人が、こんなふうに書きのこしています。

数は、自分の足で歩こうとしている人にこそ、つぎの一歩を、しずかに照らしてくれる。

ただの好奇心「知りたいだけ」という気持ちだけで近づくと、その「光」は、すっと遠ざかってしまいます。


けれど、まじめに前へ進もうとする人には、「数」は、ちゃんと寄りそってくれます。
こうした数の見方は、「占」にたずさわる方には、心強い味方になります。

数は、人を、「ひとつの型」に閉じこめるためのものではありません。

いま、どのあたりにいて、つぎに、どちらへ足を運べばよいのか。

それを、そっと指し示してくれる、「道しるべ」であり羅針盤なのです。

そんなふうに見つめるとき、数は、「ほんとうの顔」を見せてくれます。

いつものカレンダーの「1」にも、ほんの少し、奥ゆきが見えてくるような気がします。


次回「数」についての最終話となります。もし良ければこちらもご覧ください。

富士山麓からあなたへ。

ボンちゃん。


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