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数というささやき

朝、コーヒーをいれます。
砂糖はスプーンで二杯。
カップは一つ。豆は、だいたいの目分量で。

そんなふうに、毎日のくらしは、小さな数でできあがっています。


数とは、ものを数えるための、ただの道具。
ふだんは、そう思って暮らしています。

けれど、ずっとずっと昔の人たちは、数を、もっと別のものとして見つめていました。

数とは、世界のうしろがわにある、しずかな決まりごと。
それを言いあらわすための、ことばのようなもの。

そんなふうに、考えていたのです。


たとえば「三」という数。
それは「三つある」というだけのことではなくて、ひとつの意味を、そっと抱えている。

数のひとつひとつに、そういう色あいのようなものが宿っている。

遠い昔の人は、そう感じていました。


ここで、ひとつだけ、気をつけたいことがあります。

数を、その意味から切りはなしてしまうこと。

ただの記号として、あるいは、占いの道具として、もてあそんでしまうこと。

そうなると、数は、ほんとうの役わりを失ってしまいます。

その役わりとは、わたしたちを、すこし前へ進ませてくれること。

ていねいに見つめれば、数は、道のところどころに立っている、ひかえめな道しるべになります。


大きな声をあげるわけではありません。
ただ、そっと、そこにあるだけです。

そういうものとして、数とつきあってみる。


すると、いつものくらしが、ほんの少しだけ、奥ゆきを持ってくるような気がします。

今日の、コーヒーの一杯から。
そんな目で、数をながめてみたいと思います。


次回は賢人「ピュタゴラス」について、少し考察を深めたいとおもいます。

この小さな話を気に入っていただけたら、スキやフォローで教えてもらえると、とてもうれしいです。

富士山麓からあなたへ。

ボンちゃん。

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