見出し画像

第3章 移ろう世界と、変わらない実在

ひさしぶりに昔の写真を見ると、少し不思議な気持ちになります。

写っている自分も、まわりの景色も、今とはどこかちがう。
あんなに変わらないと思っていたものが、いつのまにか、すっかり姿を変えています。

考えてみると、この世界に、ずっと同じままのものは、なかなか見当たりません。

目に見えるもの・・・

つまり「現象」は、いつも、ゆっくりと動きつづけています。


前回ふれた、砂漠のピラミッド。
建てられた当時のままの姿では、もうありません。

長い時間のなかで、風や砂に少しずつ削られてきました。
そのうえ、後の時代の人たちが、自分たちの建物の材料にしようと、石を持ち去ってもいったのです。

古い都も、同じです。
幾度となく戦に巻きこまれ、こわされ、そのたびに建て直されてきました。

何百年も前にそこにあった町と、今ある町とは、もう別のものになっています。


人がつくったものだけでは、ありません。
自然そのものも、絶えず表情を変えています。

季節がひとめぐりするだけでも、まわりの景色はがらりと変わります。
もっと長い、何百万年という時間で見れば、地球の姿そのものが、大きく移り変わってきました。

今は緑におおわれた土地が、遠い未来には、かわいた砂漠に変わっていることもあるでしょう。
逆に、いま見わたすかぎりの砂漠が、はるか先の時代には、豊かな大地になっていることも、あるのでしょう。


そして、この「移り変わり」は、私たち自身の体のなかでも起きています。

子どものころの自分と、今の自分。
鏡にうつる姿は、ずいぶんちがってきました。

私たちの体をつくっている細胞や器官も、それぞれに決まった周期で、少しずつ新しいものに入れ替わっているといわれます。

入れ替わりの速さは、体の場所によってちがうようです。
早く入れ替わるところもあれば、長い年月をかけて、ゆっくり入れ替わっていくところもある。

そんなふうに、「決められたリズム」が、体のなかにはあります。


ふだんは気づきませんが、私たちの内側では、いつも静かに、入れ替わりが続いています。

変わっていくのは、外の世界や、体だけではありません。

私たちの「受け取り方」もまた、時とともに移っていきます。
同じものを目にしても、感じ方や、意味のとらえ方は、人それぞれです。

育ってきた環境や、身につけた知識によっても、ずいぶん変わってきます。


たとえば、太陽。
大昔の人が見上げた太陽も、今日私たちが見上げる太陽も、見た目はほとんど同じはずです。

けれど、その「意味」は、まるでちがってしまいました。
遠い昔の人にとって、太陽は、大地をあたため、照らしてくれる、金色の球でした。

自分の力で、空をめぐっていく存在だと考えられていたのです。
今の私たちは、太陽が、水素の反応で燃えつづける、ひとつの星であることを知っています。


見えている姿は、昔も今も変わらない。

それでも、知識が深まるにつれて、その受け取り方は、すっかり移り変わってきたのです。

こうしてながめてくると、ひとつのことが見えてきます。
目に見えるこの世界、「現象」と呼ばれるものは、どこまでも、はかなく、移ろいやすいものだということ。


時の流れのなかで、たえず姿を変えていく。

そういう、うつろいの性質を持っています。
では、その「移ろい」には、意味がないのでしょうか。

そうではないと思います。
それは、私たちの心の奥が育っていくのを、下からそっと支えてくれている。

そういう、大切な役割を担っているのではないでしょうか。


そして・・・。
その移ろう世界が、そこから生まれ出てくる、もとの大きな実在。

そこだけは、移ろうことなく、いつまでも変わらないのだと、昔から伝えられています。

変わりゆくものの「ただなか」に身を置きながら、その奥にある、変わらないものへ、そっと心を向けてみる。


全6章にて、目に見えない、ものの奥にある本質。「ヌーメノン」
その裏返しになる、目に見える世界、現象の世界。「フェノメナ」

多分に哲学的な内容も多く、分かりにくかった部分もあったと思います。
お付き合いありがとうございました。

今日も、静かなひとときを、すごせますように。


富士山麓の祭壇の前より、あなたへ。

ボンちゃん 


いいなと思ったら応援しよう!

ボンちゃん よろしければ応援お願いします! いただいたチップはクリエイターとしての活動費に使わせていただきます! ありがとうございます。

この記事が参加している募集