③見上げて、確かめて、また歩く 三段論法のはなし
唐突ですが「運命」は変えられます。
因みに「宿命」はかえられません。以前ご説明したとおりです。
来月9月より「下意識は演繹推理だけをおこなう」のご説明にはいりたいと思っています。
言い換えると、ご自身の「運命」を自身の支配下において頂きたいのです。
その前段階で、自身でコントロールできる意識下で演繹(えんえき)、帰納(きのう)、三段論法の理解がどうしても必要となるのです。
「運命は神のみぞ知る」って・・・
長い人生あまりにも不安すぎます。
いよいよ最終回です。
今回は、2700文字(いつもは1500文字)を超える、かなり長めのお話になりました。
そして、少し難しい話も出てきます。
ボンちゃんも「三段論法」を書いてて良く分からなくなってしまって、敵前逃亡寸前でした。
でも頑張って書いてみました。
スーッと入ってこないところは、どうぞ無理せずスルーしてください。
分からないことを、分からないまま置いておく。
そんな姿勢も、ときには大切だと思うのです。
【前編】
前回まで、二つの型を歩いてきました。
演繹(えんえき)は、見上げたものを足元へ下ろす。
上から下へ。
帰納(きのう)は、足元の事実から奥をたずねる。
下から上へ。
さて、勘のいいあなたは、もう気づいているころでしょうか。
演繹と帰納。
私たちは、この二つを暮らしの中で、自然に使い分けています。
そして、見上げたものを下ろす演繹には、代表的な型があります。
それが今日の、三段論法(さんだんろんぽう)です。
むずかしい言葉ですが、中身はいたってシンプル。
「大前提 → 小前提 → 結論」
この三つを筋道立ててつなぎ、結論を導く。
それが三段論法です。
たとえば、朝、家を出るところを思ってください。
空はどんより曇っています。「雨が降りそうだな」と思いました。
ここまでは、空の様子から、これからのことを予測しています。
では、そこにひとつ前提を加えてみましょう。
大前提
雨が降りそうな日は、傘を持って出る。
小前提
今日は、雨が降りそうだ。
結論
だから、傘を持って出よう。
これが三段論法です。
大前提と小前提を組み合わせて、ひとつの結論へたどり着く。
実はいたってシンプルです。
さてここで、前回までのお話も思い出してみましょう。
帰納は、足元の事実から手がかりを集める。
そして
演繹は、確かな前提から、先の結論を導く。
帰納で手がかりを集め、演繹で先を見通す。
そして、三段論法は、その先を見通す「演繹」を組み立てる代表的な型です。
日常の暮らしって、三段論法なんて意識しなくても、こうやって考えながら歩いているのです。
【後編】
さて、前回、種をひとつ、まいておきました。
「数学的帰納法」の話です。
今回のシリーズで、最大の山場。
いちばん難しいところです。
名前に「帰納」と入っているのに、一般的な帰納推理とは、ずいぶん違う顔をしています。
そんな、ふしぎな例です。
仕組みは、ドミノ倒しに似ています。
まず、いちばん最初の一枚が倒れることを、確かめる。
次に、
「一枚倒れれば、となりも必ず倒れる」
と、つなぐ。
すると、あとは自動で、
1から2、2から3へと、どこまでも。
100にも、1000にも、限りなく広がっていきます。
日常の帰納が、
「たくさん見て、たぶん」
と推し量るのに対して、
数学的帰納法は、
「最初が成り立つ」
そして
「ひとつ成り立てば、次も必ず成り立つ」
という確かな連鎖で、結論へ進みます。
だから、名前に「帰納」と入っていても、一般的な帰納推理とは違い、演繹的な性格を強く持っているのです。
そして、この、
「一枚が、必ず次を倒す」
という、確かな連鎖。
じつはこれが、暮らしを動かすエンジンになっているのです。
この三回、なぜ推論の型を、ご一緒したのか。
その答えを、お渡しします。
第一回で、こんな話をしました。
前提さえ確かなら、結論はまず外れない。
筋道を正しく運べば、自動的に、正しい答えへ着ける、と。
例えますが、これ、じつは「note」の暮らしにも、そのまま効くのです。
読者とのやりとり。
「この記事、良かったです」とコメントをいただく。
「読んでくださって、ありがとうございます」と返す。
こちらから「スキ」を贈る。
すると、また「スキ」が返ってくる。
ひとつの小さな交流が、次の交流を生み、
その次の出会いへとつながっていく。
そうして気がつけば、ひとり、またひとりと、仲間が増えていた。
これもまた、小さな一枚のドミノが、次の一枚を倒していくような連鎖なのだと思います。
数学的帰納法が見せてくれた、あのドミノの連鎖。
それは、暮らしの中にも、似た姿で現れます。
ひとつの「ありがとう」が、次の「ありがとう」を呼ぶ。
ひとつの「スキ」が、次の「スキ」へつながっていく。
良い連鎖は、良い連鎖を生みやすい。
そして、うれしいことに。
もし、良くない習慣の鎖が続いていても、
途中の一枚を、そっと手で押さえればいい。
そこで、連鎖は止まります。
自分の手で、断ち切れるのです。
この「一枚が、次の一枚を倒す」流れ。
しかし、この話は暮らしの中だけでは、終わらない気がするのです。
良い習慣が、良い巡りを呼び、めぐりめぐって、運の流れをも整えていく。
開運の連鎖。
もっと壮大に言えば、
魂の連鎖、輪廻転生とでも呼びたくなる、何かへ。
あなたは、たしかに大宇宙の中、天と地のあいだに、今ここに存在しています。
もっとも、ここから先は、西洋の理屈の手には、あまります。
運と巡りと魂のしくみは、東洋の哲学の領分。
その扉は、また日をあらためて、そっと開けることにいたします。
前回の「アリストテレス」について、こんな言葉を紹介しました。
「理想を見上げながら、足元の暮らしも忘れない」
今回の三回の話も、結局は、ここへ戻ってくるのだと思います。
遠くを見上げるだけではなく、足元にある小さな事実を確かめる。
足元だけを見るのでもなく、そこから、また遠くを見上げる。
見上げて、確かめて、また歩く。
それは、遠い理屈ではありませんでした。
演繹推理(えんえきすいり)、
帰納推理(きのうすいり)、
そして三段論法。
これは、覚えて終わる知識ではありません。
日々の中で考え、使い、少しずつ自分の血肉になっていく。
もちろん、身につけるには、少しのコツと慣れも必要です。
そうして身についたとき、あなたは少し違った目で現実を見ることができるはずです。
足場と理想は、もう十分に確かめました。
あとは、あなたのペースで、最初の一枚のドミノをそっと倒してみましょう。
幸せの連鎖は、歯を食いしばる努力の連鎖ではありません。
小さな一枚が、次の一枚を動かしていく。
そんな「仕組み」なのだと思います。
そして今回、その仕組みを、知ることとなりました。
小さな幸せの一枚が、次の幸せの一枚へとつながっていきますように。
富士山麓より、そっとお祈りしております。
三回、おつきあいくださって、ありがとうございました。
富士山麓よりあなたへ
ボンちゃん
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