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川のほとりに立つ者は | 飛蚊症イコマの読書記録 #2

紀伊国屋書店。
私が大好きな本屋さんだ。
大学時代、私が足しげく通っていたのは、阪急三番街にある梅田本店だ。
梅田の待ち合わせ場所として「ビッグマン」という大型ビジョンがあったのだが (今もあるのだろうか?)、そこで待ち合わせすることに飽きた私は、ビッグマンの右に入口の一つがある紀伊国屋書店の、絵本売り場、とか、洋書売り場、を待ち合わせ場所に指定して楽しんでいた。

7月の帰省で梅田に出たとき。
私はその梅田本店に久々に行ってみたいと思っていた。
けれど、それはこの夏一番の酷暑日が5日続いた時期だった。
建物に入ると寒いのに、ガラスのドアを開け、地下通路に一歩踏み出すと、むわっとした熱気に押し返された。

さらに、20年ぶりの変わり果てた梅田に一人。
東京砂漠は「あなたの傍で暮らせるならばつらくはない」のかもしれないが、大阪砂漠は「あなたの傍」ではないし「暮ら」してすらいない。
阪急方面まで歩いていくには「つら」すぎた。

昼の予定のあと、夜の予定まで時間を潰さなくてはいけなかった私は、チャッピーに相談し、近場で最低3時間は滞在できそうなオススメカフェを探した。
でも、行ってみるとどこも満席で、私はグランフロントをウロウロするはめになり、偶然、紀伊国屋書店グランフロント店に辿り着いた。

今日紹介する本は、そこでやっと手に入れることができた、寺地はるなさんの「川のほとりに立つ者は」だ。
丸海マロさんの記事で、読みたくなった。

以前、お一人様満喫記事で、前回の読書記録で紹介した瀬尾まいこさんの「掬えば手には」と一緒に「にはにはコンビ」だなんて呼んでいたが、私の勘違いだった。
正しくは「にははコンビ」、もしくは「はにはコンビ」だった。
寺地はるなさん、およびファンの皆様、大変失礼いたしました。この場を借りてお詫びいたします。

----------------- イカ ネタバレ チュウイ -----------------

💧

私がこれを読んでいる間、あるドラマがずっと頭をよぎっていた。
「Tシャツが乾くまで」だ。

ドラマは最新話・6話までの範囲でしか語れないが、今のところ、私は「人は自分の見たいものを見て、自分の信じたい物語を信じる」、そういうことを突きつけられるドラマだと感じている。
そして、この小説にも、どこかそれと似た匂いがあると感じていた。

主人公の原田清瀬という女性も、その恋人松木も、松木の母親も、松木の親友・樹も。
無意識のうちに、フィルターを通して人を見ていた。
松木の母親の言葉にフィルターという言葉が出てきて、まさに「Tシャツが乾くまで」の「好きな人フィルター」の真逆のようだと感じた。
あばたもえくぼ、恋は盲目、が「好きな人フィルター」だとしたら。
その逆は、坊主憎けりゃ袈裟まで憎い、といったあたりだろうか。

読み進めるうちに、天音という女性が登場した。
その彼女の最初のセリフを読んだあと、私は「うわぁ…嫌な感じ…」と、あからさまな嫌悪感を抱いた。

でも、次の瞬間、ハッとした。
「あぁ、私も今、『嫌な人フィルター』を通して、この天音という女性を見てしまったのか?」と。

それだけではなかった。
作中には、清瀬が店長を務めるカフェの店員として、ADHDの特性で表される女性が出てきた。
途中、その当事者から清瀬に「自分はADHDだ」ということが告げられる。

ASDグレーゾーンの娘を育ててきた私は、序盤、その店員に不満を持っている清瀬に対しても、どこかうっすら嫌悪感を抱いてしまっていた。

「私は、目だけでなく、心も飛蚊症になってしまっていたのか?」

私はまた、清瀬が付き合っている松木のことを信じられず、勝手に彼が隠していたものを盗み見て、そして勝手な思い込みによって彼を問い詰めたことにも、どこか共感出来ずにいた。

まぁ小説なんだから、主人公が最初からADHDに理解があって、素直に恋人を信じ見守っていたら全く面白くないし、話が広がりすらしない。
ドラマを見ているとき、「そんなこと言わないでー!」「追いかけてー!」なんて、よく思うけれど、本当にそれをやってしまうドラマは、絶対に面白くない。

視聴者が見たいものを見たいように見る。
制作者はそれを分かって作っていて、私はまんまと引っかかる。


考えてみれば、それは現実の人間関係でも同じなのかもしれない。
そして、フィルターは身近な関係ほど強く働く。

このところ私は、親のことや家族のことを考える機会が多い。
長年の付き合いで、「この人はこういう人だ」と決めつけてしまうことがある。
でも、本当は見えていない部分の方が、きっとずっと多い。

川のほとりに立つ者は、水底に沈む石の数を知り得ない。

川のほとりに立つ者は:寺地はるな

それなのに、私たちは、人を見たいように見ただけで、分かったつもりになってしまう。

💧

それでも、この話の中には、人を客観的に見ながらも、困っている人を見たら助けずにはいられない、という人が出てくる。
樹のお母さんだ。
実の母に「嫌な人フィルター」を通してしか見てもらえなかった松木を、ずっと救ってくれていた人。
そして、天音を良くも悪くも「こういう人」と決めつけずに接していた人だったと思う。


そして。
いつも冷静に判断し、主人公清瀬の心を軽くしてくれる親友、篠ちゃん。

この二人は清瀬の救いだったと思う。

私は篠ちゃんの言葉が好きだった。

「ほんとうの自分とか、そんな確固たるもん、誰も持ってないもん。いい部分と悪い部分がその時のコンディションによって濃くなったり薄くなったりするだけで」

「…。みんな眠いときはいいかげんになったり、お腹空いてる時はいらいらしたりするやん。諸々満たされてる時は他人に寛容になれたり、なにかに夢中になってる時は他人に無関心になったり」

「…。でも自分の心のままに、思うままに生きてたら、わたしはきっと誠実な人ではなくなるよ。だってずるい気持ちも汚い気持ちもいっぱい持ってるもん。」

川のほとりに立つ者は:寺地はるな

💧

二人に救われた清瀬が最後、天音に対して向けた思いやりは、とても心地よかった。
そして天音にも、清瀬にとっての篠ちゃんのような存在が現れたことに、私は救われた。清瀬もきっと、そうだったのだと思う。


人は誰に対しても同じではいられない。
その時々の事情や感情によって、見え方は変わる。
何度外したつもりでも、私たちはまた、新しいフィルターをかけてしまうのだろう。

それでも、この小説を読んで、私は「今、何かしらのフィルターをかけてしまっていないかな」と、一度立ち止まることができるようになった気がする。

気がするだけかもしれない。
でも、気がついていないよりは、マシかな。

そう思った。


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