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連載小説 『小論文は、つらいよ』 第6話 パラダイム・シフト

重い気持ちを引きずってアパートに帰ってきたのに、ドアを開けると熱い空気が追い打ちをかけてきた。カバンは重たかった。宿題で回収した40枚の原稿用紙が入っている。今日も宿題を出したから、明日も40枚だろう。答案の添削は何とかなるだろうと考えてはいた。でも自分の作ったプロンプトで、果たしてAIは添削をうまくやってくれるだろうか?

調べていたら、こんなのがあるんだと驚いた。まだ発表されたばかりのツールで、一ヵ月間は無料なんだそうだ。私の考えていた作業の手順と同じだった。つまり手書きの答案をスマホで撮って、プロンプトに添付する。次に、自動変換されたテキストファイルの内容上の評価をしてもらうというものだ。ただこれでは、癖字や崩した文字などの表記力の評価はできない。やはり、個別に赤点でチェックするしかないのか?

生徒の書いた200字以内の答案を、ざっと目を通した。ほとんどの生徒が、レジュメの解答例を写したものだった。こうした答案は、表記のチェックだけをすれば良い。でも数通だけ、自分なりの考えを書いた答案があった。

その中でも印象的な答案が一通あった。こう書かれてあった。

……コミュニケーションでは、伝えること以上に、届くことが大事だ。だから、相手の受けとめ方を見極めるためにも、感覚を研ぎ澄まさなければいけない。受けとめ方も、相手の個性によって様々だろう。とりわけ繊細な感情の持ち主に対しては注意しなければいけない。その個性を尊重しなければ、不幸を招くかもしれない……

杉山麻衣の答案だった。私をじっと見据えるような、あの大きな目が脳裏をよぎった。

AIでの添削は数通の答案で、残りは表記上のチェックを赤ペンでしとこう。何とか無難にこなせそうだ。

シャワーを浴びて気分を改めた。そしてまたパソコンに向かって、AIについての予備知識を調べてみた。明日は、AIチャットボットとどう付き合うかをテーマに予定しているからだ。

2025年時点で、文部科学省の調査では、生徒が学習でAIツールを活用している高校は61.2%だそうだ。また個人利用の実態としては、調査によって様々な結果になるようだが、ChatGPTなどのAI利用は46%前後とのデータがあるらしい。

ICT(Information and Communication Technology)教育の中で、AIの活用は核心となるものなのだろう。でもそもそも私には疑問がある。 ICT教育って生徒のためなのだろうか? 

AIの個人利用方法には、勉強や調べ物だけではなくて、恋愛や人間関係の相談に使っている場合も含まれているらしい。千葉県の柏市などでは、小・中学校でのことだが、AIチャット相談システムを学校現場に試験導入したそうだ。24時間いつでも使えるようにしたところ、従来の人間でのカウンセリングよりも10倍以上、多くの相談が寄せられたという。

生徒からは「先生や家族に言えないこともAIになら話せる」「友達には話せないこともゆっくり聞いてくれて楽になった」といった声が多く寄せられているそうだ。


昨夜は眠れた。学校へ向かう足取りも、少し軽くなった。
でも、今日持ち帰る答案数のことを考えると、気持ちは沈む。昨日の宿題は、デジタルとアナログでのコミュニケーションの相違を400字以内でまとめるものだった。今日のAIチャットボットのテーマは二日間に分けよう。毎日のように、答案の添削をしなければいけないとなると、辛い。

今日と明日はディスカッションを交えながら、基本的な知識の確認をしていこう。

職員室に入った途端に、田村先生と目があった。
「おはよう、毎日お疲れさん」
「おはようございます。先生こそ、この暑い中を」

田村先生の顔には、笑みが浮かんでいた。
「宿題の添削は無事に済んだかい? よかったら、ちょっと見せて」

私は答案を綴じたファイルを開いて、田村先生の机の上に置いた。印象的な杉山麻衣の答案が初めに目に触れる状態だった。一瞬、田村先生の表情が曇ったように見えた。何か記憶をたどっているような、そんな表情だった。そして、答案を見つめたまま、小さくつぶやかれた。

「まさか、この子は ……」
「えっ、何かおっしゃいました?」
「いや、何でもない……」

ほんの少し間が空いた。そして私に向けられた顔には、いつもの笑みが戻っていた。

「この子は感性が鋭いのかなぁ」
「私もそう思います」
「『個性を尊重しなければ、不幸を招くかもしれない』という表現が、何だか胸に刺さるようだよ」

会議室には、すでに生徒たちが集まっていた。今日の席は、前列と後列を、そして左右も入れ替えておいた。

この講座の今日と明日の授業の流れを説明した。急速な進化を続けているAIには、様々な問題があることを紹介した。AIのデータセンターでは電力消費が急増していることから、AI開発企業は原子力発電所と電力供給契約を結んでいることや、新たな原子力発電に投資していることなども話した。また軍事目的から、アメリカでは積極的な開発が行われていることもさりげなく喋った。どちらが良いとか悪いとか、価値観の押しつけにならないように慎重に言葉を選んだ。

「様々な問題がありすぎて、どのように捉えていけばいいのか難しいよね。というのもAIの代表であるChatGPTは、一般への普及が2022年11月なんだけど、この数年でパラダイム・シフトが起こっちゃったからね。つまり考え方や価値観が劇的に変化してしまったんだ。例えば、天動説が地動説に変わったように。しかも問題なのは開発途上であって、たまに嘘をつくことがあるんだよね、AIは」

生徒たちは、神妙な面持ちで耳を傾けてくれている。

「私たちが意見を述べられるように準備しておくことは、AIとの付きあい方なんだよね。距離を取った付きあい方が大事なんだよ。恋人同士だって、べったりくっついてばかりじゃあダメでしょ?  たまには一人の時間も必要よ。『過ぎたるはなお及ばざるが如し』って言うしね」

ほとんどの生徒が口を半開きにしている。私はこの故事成語を板書しながら、各自のスマホで調べるように指示した。

「AIを利用すれば利用するほど、批判的能力や問題解決能力が低下するという研究があるんだよ。筋肉だって運動によって刺激を与えるから成長するんだよね。AIで簡単に答えが得られたら、自分で考え悩んで脳を刺激するということが少なくなるだろうね。だから脳の成長がストップしてしまい、働きが衰えてくるのかな?」

生徒たちの目が徐々に虚ろになってきている。そんな時だった。後列から男子生徒の声が飛びこんできた。

「先生、でも僕たちもうAI、使いまくってますよ」
「そうそう!  宿題もほとんど、AIにやってもらってる」別の生徒が続けた。
「しまった、しまった、島倉千代子。もはや手遅れ、どうにもならぬ」

私はとっさに古い駄洒落を飛ばした、歌舞伎口調で。言葉は、リズムだ。意味が多少おかしくても、場の雰囲気さえ変えてくれればそれで良いときもある。笑いが湧いた。生徒たちの目に光が戻った。私は続けた。

「みんなの脳は成長がストップしてしまったのかい? でも大丈夫だよ。このお姉さんが、みんなの脳を刺激してあげるからね。それはそうと、AIを使った宿題と自分で考えた宿題で、どっちの方が記憶に残ってる?」

生徒たちは、顔を見合わせた。杉山麻衣が遠慮がちに小さく手を挙げている。
「先生、私は……」

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