連載小説 『小論文は、つらいよ』 第7話 亡き娘
杉山麻衣がほんの少し、口ごもった。そして自分を勇気づけるように言葉を続けた。
「先生が一生懸命になって教えてくれるのに、宿題をAIに頼るなんて申し訳ない気持ちになります。それにAIにばかり頼っていると、自分の影が薄くなってくるようにも思います。人にはそれぞれ個性があります。考え方も様々です。それを文章で、どれだけ表現できるか、悩みながら書いていくのが、小論文の勉強だと思っています。それなのに、AIに頼って簡単に宿題をやっちゃっても、良いものでしょうか」
会議室は静まりかえった。扇風機のモーター音のみが、響いていた。前列の生徒の誰もが体をよじって、杉山麻衣に顔を向けた。
ほんのひと呼吸の後だった。その一言が場の雰囲気を変えた。
「はーい、先生! そのとおりだと思いまーす」
後列の男子生徒が加勢した。すると、別の生徒が小さく手を挙げた。
「でも、先生、AIを使わないと他の人に遅れちゃうんじゃないですか。みんな使ってるし」
「それは逃げだよ! 楽なほうに流れちゃダメだと思う」
間髪を入れずに、杉山麻衣が振りかえって言った。
教室にざわめきが起こった。賛成する者、反対する者、迷う者。生徒たちの表情は様々だった。普段は無関心な顔をしている生徒も、今日は違った。この議論が、彼らの心の奥底にある何かを揺さぶっているのがわかった。
私は杉山麻衣に応えるかのように話を進めた。
「昨日の400字以内の宿題、どんなふうにしてやったのか、三とおりあると思うんだよね。① レジュメを参考に自分なりに書いた人、② AIに手伝ってもらった人、③ AIにお任せした人……」
私は生徒たちに、三とおりのどれに属するか挙手させた。②がほとんどだった。①と③は数人ほどいた。
「理想からすれば、①のグループに入って欲しいんだけど、②のグループでも問題ないからね。でも③のグループの人は、自分の頭をまったく使っていないから、問題よ。思考力が育っていかないからさぁ」
授業はAIチャットボットと、どう付きあうかの核心に入っていった。孤独との関係や、ラブボミングやダークパターンといった心理操作テクニックの説明、プライバシーの問題など、レジュメに沿って説明していった。
職員室に戻ると、まるで私を待っていたかのように、田村先生が声をかけてきた。
「どうだったい、今日の授業は?」
「まぁ何とか、いきましたけど、答案の添削が憂鬱です」
「添削はどんなふうにしてやってるんだい?」
私は、AI添削ツールを利用していること、けれど表記力だけは赤ペンでチェックしなければいけないこと、昨夜より今夜は負担が二倍になったことなど話した。そうしたら、表記力の赤ペンチェックを手伝うと、おっしゃった。とたんに心は軽くなった。
図書室に場所を移動して、隣り合わせに席につき、添削をしていった。田村先生の赤ペンチェックの仕方は、早かった。私の想像なんか遥かに及ばない答案数を添削してこられたのだろう。40通の答案が、またたく間に残り少なくなっていった。
「この生徒は面白い視点を持ってるね」田村先生は一通の答案を指して微笑まれた。「ここの表現は直したほうがいいけど、考え方が個性的だ」
私もその答案を覗きこんだ。確かに、無難で月並みな表現で埋めつくされた他の答案とは異なっていた。自分なりの表現で、自分なりの考えを展開しようと努力したのだろう。そんな答案内容だった。それにしても、田村先生には文章から個性が見えてくるのだろうか。そうだとすれば、長年の経験が培った眼力なのだろう。
「良い授業は、新たな発見と反省の連続によって生みだされるもんだろうな」
一人言のように田村先生はつぶやかれた。添削が終わると、周囲に人影のないことを確認されてから、静かにお話をされた。
「小論文という科目はね、現代国語の教師が見ればいいってもんじゃないんだよなぁ。あまりにも負担の多い科目だし、出題テーマは様々だしね。その様々なテーマを新たに勉強していかなきゃいけない。車先生だってさ、このままじゃパンクしちゃうよ」
「車だけに、パンクですね」
私の冗談にお笑いになった。
「そのユーモアなんだよなぁ。それがあれば、授業を楽しく、生徒を退屈させないことができるんだけど……、でもどの先生も、心の余裕がなくて、疲れきっちゃってるからね。学校行事や雑用に振りまわされて」
「私も疲れきる寸前でした。田村先生が助けてくださらなきゃ、疲れきってました、この小論文で」
私の言葉に軽く笑みを浮かべられると、田村先生は続けた。
「受験科目にあるから、指導しなきゃいけないんだけど、その指導システムができあがっていないんだよ、この高校は。教師の善意に甘えているところがあるよ。ところで、この特別講座の報酬はいくらだい?」
「月々に返済する奨学金の足しになる程度です。今月は少し助かります」
「奨学金はいくら借金したんだい?」
「300万ほど……」
「それはきついなぁ。で、アパート暮らしかい?」
若い女性が自立して生活していくことへの同情を口にされてから、続けて一言こうおっしゃった。
「お腹はへってないかい?」
私の朝食は節約メニューだ。豆腐半丁にバナナ一本。気持ちが楽になったとたんに、私のお腹がグーと鳴った。
「浅草でも行ってみるかな。鰻か天ぷらか。車先生は何が食べたい? ご馳走するからね。現代国語の教科を代表して、一人で苦労を背負ってるんだから。その疲れを癒すためにも」
その言葉に、またお腹が反応した。
この青草高校の最寄り駅がJR総武線の浅草橋だ。地下鉄に乗り換えれば、浅草は近い。実家の練馬と大学所在地の新宿の往復が生活の中心だった私には、観光地の浅草だなんて、初体験だった。ウキウキとした気分になってきた。私は遠慮なく天ぷらと言った。お店屋さんの揚げたての天ぷらは初めてだった。
校門を後にして浅草に着くまでの間、仕事以外のお話もした。特別な出費に、ご家族に申し訳ないと告げた。その流れで、ご家族のことを伺ってみた。娘さんがいたけど、今は奥様と二人暮らしなんだそうだ。その娘さんのことを伺うと、田村先生は一瞬、言葉を詰まらせた。
「四年前に……突然だったんだ」とボソッとおっしゃって、とたんに顔から笑みが消えた。「まだ高校生だった。生きてれば……、車先生と同じくらいの年頃かな……」
田村先生の声が震えていた。やっと絞りだすような声だった。きっと毎日、娘さんのことを思いだしているのだろう。何となく私のことを気にかけてくれる理由がわかったような気がした。突然の死、しかも高校生で。一体何があったんだろうか?
