「紙の本」にまだできること【0】
最後にここに雑文を書いてからしばらく時間があいてしまった。しかしちょうど一年という区切りが来たので改めて向かい合うことにしたい。そして中心におきたいのは以下のようなものである。
「本」は(ショーペンハウアーの言うように)著者の考えの流れを追うための道具であり、本を読むことがすなわち自分の考えを鍛えることであるとは言えない。この指摘には頷くしかない。そしてそこで考える。だったら本当の……とは言わないが、私たちが今いるここで取り組むべき問題は何だろう、と。
「本」という社会的な装置の働きを考えると、すでに「本」というかたちで示された彼ら先人の足跡を、読者たる自分はたどるように追いかける。そして自身の小さな体験とすり合わせ、再編集して自らの「知」としようとする。さらにそれが意味のあるものだとすれば、他の人たちと共有すべき「知識」としていく、これこそが「本」が果たすべき役割なのではないのか? そのためのメディアとして今の「本」は必要な機能を発揮しているか?
昨今「本」はどうあるべきかがいろんなところで問われている。確かに売れる/売れないは「本」の行末を決める大きな問題だが、多様化するメディア環境の中でこれまで「本」が果たしてきた機能をどのように拡張・発展させていくべきか。これこそが新しい時代に「本」が直面している課題の本質である。
……とか、言いたいことはたくさんある。というか、ありすぎてまとまった(=論として整合性をもつ)形で書けそうもない。そこで、ほとんどの言いたいことがつながってしまうところをここに記して、「本」の新しいデザインに向けたメモランダムのスタート&ゴールとしたい。
そういうわけで、まずは言いたいことを書いておく。
●(主に日本語で書かれた紙の印刷物である)本は、テキストの組み方をこれまでの縦から横組にする。したがって本は左開きになる。
●さらに冊子を見開きにした場合、本文は左ページのみに印刷し、右ページはブランクとする。
以上、これだけだ。
多くの出版関係の知人から、現場を知らない素人の思いつきだと無視されているこのアイディアについて、これからしばらく書いていくつもりである。
