「文章から温度が消えて来た」
取り立てて特技がある方ではない。趣味の競馬だって、予想が上手な方ではない。でも・・「人の文章を読む・受け取る」は得意かもしれない。
毎日30~300通くらいのメッセージを読む。担当させて頂いている各ラジオ番組に頂くメールだ。平均すると1日50通くらいか。ありがたい。時間を見つけてはちょこちょこ読む。もう20年以上は続いている毎日のルーティン。
メールは必然的に、誰からのメッセージでも同じ「文字体」の文章になるが
それぞれ個性はある。
絵文字の多い人、とにかく長い人、文字で読み手の脳裏に映像・景色も届けてくれる人、細かく句読点で句切る人、主語が飛ぶ人…様々。
そして熱量というか感情というかその温度感も様々。
文字の表情と温度感のおかげで、読んでいる途中からこの人は何歳くらいかな?どんな職業・環境の人かな?なんてことが伝わってくる。
毎日読み続けて、そのひとつひとつに触れる。
結果、文章の持つ個性についての感度は我ながら高い気はしている。
一方で仕事上のメールも1日10通~は読む。
こっちは感情の文章ではなく業務の文章。
感情ではなく伝達のための文字。
必然、リスナーの方から頂くメールとは違い温度は乗ってない。
それでも個性はあった。
「業務なのに・・『!?』が多い人だな」
「この人、こちらが分かっている前提の文章が多いな」
「丁寧さが人並み以上だな」
「業務とはいえ、いつもわずか1行だな」などなど。
ところが、この1年で仕事・業務で頂くメールからはそういった個性までが消えてきたように感じる。僕の体感からすると大体・・
「丁寧過ぎて、結果少し上から目線だな」
「役所の受付なんかでしっかり対応して下さっている感じの文章だな」
「読みやす過ぎるな」といった感じ。
その理由は明白。生成AIをフィルターとして活用し、文章を整えてもらっている人が増えているからだ。おそらく僕のこの記事のタイトルもチェックしてもらったら「文章から温度が消え始めた・・の方が伝わりやすいかもしれません」なんて指示をもらったと思う。その指示に従えば小さな違和感は消えるだろうが・・細かいミスの多い僕のあるあるも消える。
とはいえ、生成AIのおかげで「仕事として読む作業」は楽になった。
だが・・Aさん、Bさん、Cさんと3人から届いているはずなのにみんな同じ顔の人からメールが届いているような感じもして、読みながら「これ誰からのメールだっけ?」と再確認するケースが出て来た。
まあ・・仕事のメールなので「説明書」のように感情でブレない形にシフトしていくのは悪いことではないのかもしれない。
ただ‥知人・友人を始めとする「個人同士、人と人としての文章のやり取り」になると若干話が変わってくる。例えば「飲み会の約束」「ちょっとした相談」などのやり取り。これはリスナーのメールではないが「感情」があって然り。だが最近はここにも「チャットGPT使ったんだろうなあ・・」と感じる文章が増えた。
「マバラにあった相談に、ひとつも漏れがない返信だな」
「これまで使ったことがなかったようなワード・文字の流れの文章な」
「丁寧過ぎて、結果少し上から目線だな」
「読みやす過ぎるな」
長年のコツコツで文章からの温度を受け取る感度はある。だから生成AIをフィルターとして使ってくれたんだな。もしくは、言いたいことを打ち込んで「失礼じゃない文章にして」なんて頼んだんだろうな・・とも気づく。いいことなのかどうなのか・・。
人から頂く文章が「手紙→ファックス→メール・LINE」と変遷してきた中で
温度感は減って来たと思う。正直、メール・LINEが最後だと思っていた。それ以上に温度感の下がった文章が行き来する時代になって来たんだなあと感じる。
何が言いたいかっていうと生成AIに文章書かせたんだろうなあって悟られるのはまだまだ得じゃない面があるなあ。と感じているってこと。
それにしても・・「温度感がある文章のイラスト出して」の一言で上がって来たのが見出しのイラスト。生成AI、便利だ。
