嬉しいはずなのに苦しかったこと、ありませんか
嬉しいはずなのに、なぜか胸の奥が少しだけ苦しかったことはありませんか。
プロジェクトは成功した。
イベントは大成功だった。
チームは勝利した。
周りは笑っている。
「よかったね」と声をかけ合っている。
自分も、もちろん嬉しい。
でも、心のどこかで思ってしまう。
「自分は、どれだけ力になれたんだろう」
「本当は、もっと活躍したかった」
「みんなと同じように喜べない自分は、変なのかな」
嬉しいのに悔しい。
喜びたいのに、どこか苦しい。
そんな感情は、人にはなかなか言いづらい。
だって、結果は出ているから。
みんなが喜んでいるから。
そこで悔しいなんて言ったら、わがままみたいに聞こえてしまう気がするから。
でも僕は、
その悔しさを悪いものだとは思わない。
それはきっと、
本気でその場所にいた証拠だから。
勝ったのに、苦しかった
先週末、野球の大会でチームは地方大会を優勝し、次の大会への切符を掴んだ。
優勝を目指して戦い抜いた熱戦。
仲間たちがグラウンドで躍動し、チームとして勝ち切った時間は、忘れられないものになった。
もちろん嬉しかった。
チームが勝ったことは、本当に嬉しかった。
でも、僕は試合に出られなかった。
活躍したかった。
勝利の瞬間を、グラウンドの中で迎えたかった。
自分のプレーでチームに貢献したかった。
チームとしては最高の結果。
でも、個人としては悔しさが残る結果だった。
100%で喜びたいのに、喜びきれない。
嬉しいのに、悔しい。
そんな感情の置き場所が、
僕にはわからなかった。
本当に、何もできなかったのか
試合が終わったあと、
少しだけ下を向きそうになった。
自分は何もできなかった。
勝利に貢献できなかった。
そう思いかけた。
でも、もう一度だけ振り返ってみた。
本当に、何もできなかったのだろうか。
たしかに、試合には出ていない。
ヒットを打ったわけでもない。
守備でチームを救ったわけでもない。
記録に残るような活躍はなかった。
それでも僕は、何もしていなかったわけじゃない。
ベンチから声を出した。
流れが悪くなりそうな時も、チームが前を向けるように声をかけた。
試合に出ている選手が、少しでもプレーに集中できるように動いた。
試合が終われば、忘れ物がないか確認した。
最後までグラウンドを見て回った。
派手ではない。
目立つことでもない。
誰かに大きく讃えられることでもない。
でもその一つひとつは、
たしかにチームに必要なことだった。
目立つことだけが、貢献じゃない
表に立って活躍する人がいる。
その人たちが力を発揮できるように、
支える人もいる。
声を出す人。
道具を準備する人。
雰囲気を作る人。
最後までチームを信じて応援する人。
団体競技は、一人では勝てない。
だからこそ、
目に見える活躍だけがすべてではないのだと思う。
もちろん、出たかった。
活躍したかった。
その気持ちはごまかさなくていい。
悔しいものは悔しい。
でも、その悔しさの中でも腐らずに、自分にできることを探せたなら。
それもまた、勝利の一部だったのかもしれない。
これは仕事でも、日常でも同じだと思う。
活躍する人がいる。
評価される人がいる。
表に立つ人がいる。
その一方で、目立たない場所で支えている人もいる。
準備をする人。
場を整える人。
誰かが困らないように先回りする人。
最後まで片づける人。
その姿は、すぐには評価されないかもしれない。
でも、見ている人は見ている。
そして何より、自分自身は知っている。
悔しい中でも、投げ出さなかったこと。
今の自分にできることを探したこと。
それは、消えない。
次は、応援される自分へ
今回、僕は主役にはなれなかった。
でも、何もできなかったわけではない。
声を出した。
チームを支えた。
勝利のために動いた。
最後までチームの一員でいようとした。
だから、この悔しさは終わりではない。
次へ進むための火種だ。
今は思うように活躍できなくてもいい。
それでも、今の自分にできることをする。
その積み重ねが、きっと次の自分を作っていく。
次はもっと力になりたい。
次はグラウンドの中でも勝利に貢献したい。
次は応援される選手になりたい。
そのために今日も、僕は探していく。
自分にできることを。
今、この場所でできることを。
