「なぜか上から目線で話される」──会話の中に生まれる「上下関係」は、言葉より先に決まっている
はじめに
「普通に話しているだけなのに、なぜか相手が上から話してくる」
「こちらは対等に話しているつもりなのに、いつの間にか説明される側になっている」
「質問しただけなのに、子どもに言い聞かせるような話し方をされる」
そんな経験はないでしょうか。
会話というと、私たちは「何を話すか」に意識を向けやすくなります。
けれど実際には、会話が始まった時点から、
二人の間にはさまざまな情報が流れています。
声の大きさ、話す速さ、相手との距離、質問の仕方、話を遮るタイミング、
相手の言葉をどう扱うか。
こうした小さなやり取りが積み重なることで、
「この人とは対等に話せる」
「この人には自分のほうが上だと思われているかもしれない」
という感覚が少しずつ形づくられていきます。
しかも、その変化はかなり自然に起こります。
本人に「相手より上に立とう」という意識がなくても、
会話の進め方によって上下関係のような構造が生まれることがあります。
そして一度その構造ができると、話している内容そのものよりも、
「どう扱われているか」
が気になってしまうことがあります。
今回は、会話の中で生まれる“上下関係”について考えてみます。
会話は「対等な状態」から始まるとは限らない
人と話すとき、私たちは無意識のうちに相手との関係を確認しています。
この人にはどこまで話していいのか。
どのくらい自分の意見を出していいのか。
相手は自分の話を聞いてくれる人なのか。
それとも、こちらの話を評価する人なのか。
こうした判断は、会話のかなり早い段階で行われています。
たとえば、こちらが話している途中で何度も遮られると、
「自分の話は最後まで聞いてもらえないのかもしれない」
と感じやすくなります。
逆に、相手がこちらの話を待ってくれたり、
言葉を探している時間を急かさずに受け止めてくれたりすると、
「この人には自分の考えを話しても大丈夫そう」
という感覚が生まれます。
つまり、会話の中で感じる対等さは、
肩書きや年齢だけで決まっているわけではありません。
会話そのものが、
「あなたの話にも同じくらい価値があります」
というメッセージを含んでいるかどうかが大きく関係しています。
「上下関係」は、相手を評価するところから始まりやすい
上下関係が生まれやすい会話には、ある共通点があります。
それは、
会話の中に「評価する側」と「評価される側」ができてしまうことです。
相手の話を聞きながら、
「それは違う」
「それくらい普通に分かるでしょう」
「そんなことで悩んでいるの?」
「もっとこうしたほうがいい」
と判断することが続くと、会話は少しずつ変化します。
もちろん、相手のために助言している場合もあります。
問題は、助言そのものではありません。
相手の話を受け取る前に、こちらが「正しい側」に立ってしまうことです。
そうなると、
話す人
↓
評価する人
という構造ができやすくなります。
この状態では、どれだけ丁寧な言葉を使っていても、
受け取る側には「上から話されている」と感じられることがあります。
言葉遣いが丁寧だから対等とは限りません。
むしろ、丁寧な言葉の中に、
「あなたは分かっていないから私が教えてあげる」
という位置づけが含まれていると、相手は敏感にそれを感じ取ります。
「教える人」になりすぎると、会話が一方向になる
知識が多い人や経験が豊富な人ほど、
無意識に「教える側」へ回りやすいことがあります。
相手が何かを話す。
すると、
「それはこういうことですよ」
「以前、私も似た経験があって」
「それならこうすればいいですよ」
と、すぐに答えを返す。
一見すると、親切な対応にも見えます。
しかし、相手が求めているものが「答え」ではなく
「理解してもらうこと」だった場合、少しズレが生まれます。
たとえば、
「最近、仕事が少ししんどくて」
と話した人に、
「それなら転職を考えたほうがいいですよ」
と返したとします。
相手はまだ、
自分が何にしんどさを感じているのか話していないかもしれません。
人間関係なのか。
仕事量なのか。
責任の重さなのか。
将来への不安なのか。
そこを話す前に結論を渡されると、
「話を聞いてもらった」
というより、
「判断された」
という感覚が残ることがあります。
会話の中で上下関係が強くなると、相手の話を理解することより、
自分が答えを持っていることのほうが優先されやすくなります。
「知っている量」と「人としての位置」は別のもの
ここは意外と重要なところです。
仕事の経験が長い人が、経験の浅い人に仕事を教える。
専門家が専門知識を説明する。
上司が部下に仕事の指示を出す。
こうした場面には、役割上の上下があります。
それ自体に問題があるわけではありません。
むしろ、
役割が明確になっていることで会話が進みやすくなることもあります。
ただし、
「役割上こちらが上」
ということと、
「人としてこちらのほうが上」
ということは別です。
ここが混ざってしまうと、会話が不自然になっていきます。
知識が多いから相手の気持ちまで分かるわけではありません。
経験が長いから、相手の事情をすべて理解できるわけでもありません。
年齢が上だから、相手の考え方が間違っているとも限りません。
本来は別々に考えるべきものが、
「自分のほうが知っている」
から
「自分のほうが分かっている」
へ変わった瞬間に、会話のバランスが崩れやすくなります。
上下関係を感じさせるのは「言葉」だけではない
会話の上下関係は、発言内容だけから生まれるわけではありません。
たとえば、相手の話を途中で遮る。
相手が話し終わる前に結論を言う。
質問に質問で返す。
相手の話を聞きながら、自分の経験を重ねて話題を奪う。
相手の言葉を訂正する。
こうした行動が続くと、
相手は「自分の発言権が弱い」と感じやすくなります。
逆に、相手の話を最後まで聞く。
すぐに結論を出さない。
分からない部分を確認する。
相手の言葉を勝手に決めつけない。
こうしたやり取りには、対等さが生まれます。
特別な話術が必要なわけではありません。
「相手にも自分と同じだけ話す権利がある」
という前提を持っているかどうか。
そこが、会話の雰囲気を大きく変えていきます。
「正しさ」が強くなるほど、会話は苦しくなることがある
上下関係が生まれやすい人の中には、
「間違ったことを言いたくない」という意識が強い人もいます。
相手の発言に間違いがあれば訂正する。
曖昧な部分があれば指摘する。
矛盾があれば説明する。
これ自体は悪いことではありません。
ただ、すべての会話に「正解」を求めると、相手は話しにくくなります。
人が誰かに話をするとき、
いつも完成された意見を持っているわけではありません。
話しながら考えていることもあります。
自分でも整理できていない気持ちを言葉にしていることもあります。
その途中で、
「でも、それは違うよ」
「論理的に考えたらこうでしょう」
と修正され続けると、話す側は少しずつ慎重になります。
そして、
「これを言ったら否定されるかもしれない」
と考えるようになります。
すると、会話は情報交換ではなくなっていきます。
相手に評価されないように言葉を選ぶ時間が増え、
自分の考えを自由に話せなくなっていきます。
本当に対等な会話は「違いを残せる」
対等な会話というと、
「意見が一致すること」
をイメージする人もいます。
でも、実際には逆の場合があります。
考え方が違っていても、
「そういう見方もあるんですね」
と受け止められる。
「私はこう感じるけれど、あなたはそう感じるんですね」
と違いを残しておける。
この余白があると、会話はかなり楽になります。
相手を自分の考えに合わせようとしなくてもいいからです。
人間関係では、意見が違うことそのものより、
「違っていることを許してもらえない」
と感じることのほうが負担になる場合があります。
だからこそ、対等さとは「同じ考えになること」ではなく、
「違う考えを持ったまま話し続けられること」
とも考えられます。
相手を下げないことと、自分を下げることは違う
ここで注意したいのが、
「相手に合わせることが大切なら、自分が一歩引けばいい」
という考え方です。
これは少し違います。
対等な会話を作るために、自分の意見を消す必要はありません。
相手を尊重することと、自分を低く扱うことは別だからです。
「私はこう思います」
と言ってもいい。
「そこは少し違うように感じます」
と伝えてもいい。
「今の話は、もう少し聞いてみたいです」
とお願いしてもいい。
大切なのは、相手を上に置くことでも、
自分を上に置くことでもありません。
お互いに一人の人として話せる位置を保つことです。
そのためには、相手の意見を尊重しながら、
自分の意見も同じように扱う必要があります。
会話の中で「上に立ちそうになった」ときに見直したいこと
もし、自分が会話の中で相手を評価する側に回りやすいと感じるなら、
少しだけ視点を変えてみるといいかもしれません。
「この人は何を間違えているのだろう」
ではなく、
「この人は何を伝えようとしているのだろう」
と考えてみる。
「どうすれば正しい方向へ持っていけるか」
ではなく、
「この人は今、何を整理しようとしているのだろう」
と考えてみる。
この違いだけでも、会話の質は変わります。
相手の発言を「修正する対象」として見るのか、
「理解する対象」として見るのか。
ここには大きな違いがあります。
すぐに答えを出さなくてもいい。
すぐに教えなくてもいい。
すぐに結論を出さなくてもいい。
会話には、考えるための時間も含まれています。
その時間を相手に渡せる人ほど、相手は安心して話しやすくなります。
「この人とは話しやすい」と感じる関係には共通点がある
話しやすい人を思い浮かべてみると、
必ずしも話術が優れている人ばかりではないことに気づきます。
むしろ、
話を奪わない。
すぐに評価しない。
分からないことを分からないまま確認できる。
自分の意見を押しつけない。
相手の言葉を勝手に解釈しない。
そんな人ではないでしょうか。
こうした態度には共通するものがあります。
それは、
「自分だけが会話をコントロールしなくてもいい」
という余裕です。
会話を支配しようとすると、相手との間に上下が生まれます。
一方で、会話を二人で作るものとして捉えると、
自然に対等な関係が生まれやすくなります。
話す側と聞く側が固定される必要もありません。
教える側と教えられる側が固定される必要もありません。
その場にいる二人が、お互いの考えを持ち寄りながら話していく。
それだけで、会話の空気はかなり変わります。
おわりに
会話の中に生まれる上下関係は、いつも誰かが意図的に
相手を見下していることで生まれるわけではありません。
ほんの小さな違いから始まります。
話を遮る。
先回りして答える。
相手の言葉を評価する。
自分の経験を基準に判断する。
「こうするべき」と結論を急ぐ。
一つひとつは、それほど大きな問題に見えないかもしれません。
けれど、それが積み重なると、相手の中には少しずつ、
「この人には自分の話を最後まで聞いてもらえない」
「自分の考えより、相手の考えのほうが優先される」
という感覚が残っていきます。
そして、その感覚が続くと、
人は会話そのものを避けるようになることがあります。
本当は話したいことがあっても、どうせ否定される。
何か言えば訂正される。
説明しても上から判断される。
そんな予測が働くと、必要最低限のことしか話さなくなります。
すると相手からは、
「最近、何も話してくれない」
と見えるかもしれません。
けれど、その沈黙は最初からあったものではありません。
会話の中で少しずつ作られてきた可能性があります。
だからこそ、対等な関係を作るときに大切なのは、
相手を低く扱わないことだけではありません。
相手の言葉に、自分と同じだけの
「考える時間」と「話す余白」を渡すこと。
それが、思っている以上に大きな意味を持ちます。
人は、自分の話が完璧だから安心するわけではありません。
間違っていてもいい。
途中で考えが変わってもいい。
うまく説明できなくてもいい。
そんな状態でも話していられると感じたとき、
会話の中から余計な緊張が少しずつ消えていきます。
そして、その余白があるからこそ、
相手の言葉を「正す」のではなく「知る」ことができます。
相手を理解するというのは、
相手を自分の考えに近づけることではありません。
自分とは違う考え方を持っている人の言葉を、
その人の位置から一度眺めてみることです。
その姿勢があれば、意見が違っても会話は続けられます。
考え方が合わなくても、関係まで壊す必要はなくなります。
会話に必要なのは、いつも同じ方向を向くことではありません。
違う方向を向いている二人が、それでも対等な位置で話し続けられること。
その感覚こそが、
人と人との関係を長く支えていくものなのかもしれません。
いいなと思ったら応援しよう!
よろしければサポートをお願いします!皆様の応援が大きな力となります!