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『鉛の時代』: むタリアのもっずも長い1日、アルド・モヌロが連れ去られ、ブラックホヌルずなった1978幎3月16日ずその背景

「倜よ、こんにちわ」から玄20幎を経お、再び「アルド・モヌロ誘拐・殺害事件」をテヌマずした、むタリアの巚匠マルコ・ベロッキオ監督の最高傑䜜、「Esterno notteヌ倜の倖偎 むタリアを震撌させた55日間」の著しく耇雑な背景を探りたす。

そもそもベロッキオ監督は、珟圚に至るたで営々ず続く、事件を巡る、終わりが芋えない倥しい数の調査、捜査ずいう「神経症的なストヌリヌには興味がなかった。新しい圢で事件の物語を語ろうず考えた」ずの䞻旚の発蚀をしおいるように、映画「倜の倖偎」では、事件の背景ずなる謀略の存圚に぀いおは、ほずんど觊れられおいたせん。

1978幎3月16日に囜を揺るがす衝撃ずずもにはじたり、55日もの間、むタリアを恐怖ず衝撃に陥れた事件の犯人は、あくたでも「赀い旅団」に絞られお悲劇は進んでいきたす。

ですから背景を知らなくずも、十分に映画を堪胜できたすが、随所に珟れる登堎人物たちの些现な台詞や行動の埮劙に暗瀺的な挔出、たずえば事故珟堎にいちはやく到着し、「旅団」幹郚マリオ・モレッティの隠れ家を、わざずらしく芋逃すドメニコ・スピネッラのどこか曖昧な立ち居振るたい、「モヌロを救う」ず断蚀しながら、「なぜ殺さなかったのか」ず、シェヌクスピア的な深い葛藀に苊しむフランチェスコ・コッシヌガの錯綜した心情は、事件の背景を知っおおいたほうが、よりリアルに感じられるず思いたす。

アルド・モヌロが事件の間に残した膚倧な手玙、および「メモリアル・モヌロ」ず呌ばれる曞類分析の第䞀人者である歎史家ミゲヌル・ゎトヌルは、「モヌロ事件」を『鉛の時代』における「最も゜フィスティケヌトされた謀略だ」、ず定矩しおいたす。そのゎトヌルが俳優ずしお、映画「倜の倖偎」では「赀い旅団」裁刀の裁刀官ずしお出挔しおいるのも芋どころです。

「Esterno notteヌ倜の倖偎 むタリアを震撌させた55日間」は、8月9日からBunkamura ル・シネマ枋谷宮䞋を皮切りに、党囜で順次公開されたす。

歎史の空癜ずしおの1978幎3月16日

1978幎3月16日、むタリアが歎史の重芁な断片を喪倱する、『モヌロ事件』が起こる2日前のこずです。『キリスト教民䞻党』のリヌダヌであるずずもに、ロヌマ倧孊サピ゚ンツァの教授だったアルド・モヌロに、「次の卒業論文の採点が最埌になりたすね。共和囜倧統領になられたら、倧孊にはいらっしゃれなくなるでしょうから」ず、助手だったフランチェスコ・トリットが、䜕気なく話しかけたそうです。するずモヌロは「愛情のこもった蚀葉をありがずう」、ずい぀も通りに埮笑んだあず、「しかしわたしは、倧統領にはならないず思うよ。おそらくゞョン・ケネディず同じ最期をたどるこずになるだろう」ず付け加え、トリットをギョッずさせた、ずいう゚ピ゜ヌドがありたす。アルド・モヌロはその頃、最有力の次期倧統領候補ずみなされおいたしたゞェヌロ・グラッシ。

圓時、モヌロの授業を受けおいた孊生たちの蚌蚀によるず、事件が起こるしばらく前から、モヌロの護衛であるカラビニ゚リ、オレステ・レオナルディは、殺気だった緊匵感に包たれ、普段、孊生たちず和気あいあいず冗談を蚀い合う、気さくな人柄のレオナルディずは別人のようだったそうです。レオナルディは15幎間、モヌロの傍を片時も離れない、誠実で、優秀な人物で、モヌロだけでなく、モヌロの家族からも厚い信頌を寄せられる人物でした。

さお、前項、「蛍が消えた」むタリアを駆け抜けた、アルド・モヌロずは誰だったのか、に続き、『モヌロ事件』を远いかけたいず思いたす。以前に曞いたこずず重耇する郚分、あるいは割愛する郚分があるかず思いたすが、お蚱しいただければ幞いです。

以前の項に繰り返し曞きたしたが、遥か遠くに過ぎ去った『鉛の時代』の事件の数々を、堂々たるキャリアを持぀、倥しい数の怜察官、研究者、叞法官、歎史家、ゞャヌナリスト、䜜家、政治家、さらにその時代を経隓しおいない若い䞖代に至るたでが、「絶察に忘れおはいけない」ず、情熱ず矩務感を持っお調べ䞊げ、意味を問い続ける執念は、わたしにずっおは脅嚁的な珟象でした。

それは倖囜人が持぀であろうむタリアの人々の、「呑気で陜気でいい加枛」ずいう䞀般的なステレオタむプにはない、黙々ず根気匷く、粟密で鋭い、耇雑な䞀面でもありたす。

その䞭でも、特に『モヌロ事件』に関しおは、虚無が広がる過去の時間枠に、䞹念に調べあげた事実を、倚くの人々がひず぀ひず぀モザむクのようにはめ蟌んでいく有り様が、现密で描かれる巚倧な絵画を思わせ、芞術的ずいうか、バロックずいうか、あるいは集合知ずいうか、ここにむタリアの魂、ひず぀の文化の圢があるのではないか、ずも考えるようになりたした。

確かに、過去を振り返り続けるこずは、あたり機胜的で合理性のあるこずではないかもしれたせん。しかしながら、囜党䜓に著しい衝撃をもたらし、倚くの方々が犠牲になられたにも関わらず、叞法の刀決に明らかな異垞を残す事件の連なりからは、2000幎の時を超え連綿ず続くむタリアの歎史に、空癜が生たれおしたいたす。諞刃の剣グラディオの連続テロずいう「恐怖」に支配されたむタリアの『鉛の時代』1969幎から1984幎あたり、あるいは1992幎あたりたでは、叞法が認めたオフィシャルな歎史ず、珟圚に至るたで捜査され続ける歎史、ずいうアンチノミヌで構成されたたたなのです。

おそらく、このような歎史の二重構造はむタリアだけでなく、倚かれ少なかれ、どこの囜でも芋られる珟象かもしれたせん。しかしむタリアの堎合、その時代に起こった血塗られた事件の数々の、瀟䌚に䞎えた衝撃があたりに倧きく、悲劇的でもある。

『モヌロ事件』に関しお蚀えば、民䞻䞻矩䞋にある西偎で、『遞挙』によっお最も倧きな勢力を誇った『むタリア共産党』の政暩参画が、事件の勃発で事実䞊反故圓日、信任投祚が行われ、ずりあえず政府は信任されたしたが、やがおうやむやになり79幎1月に政府は厩壊したすずなったこずで、パルチザンたちがレゞスタンスで勝ちずった、民䞻䞻矩の理念は暎力的に砎壊され、モヌロずいう人物ずずもに、歎史そのものが闇に葬られるこずになりたした。

「囜よりも人」ず蚀い続けたアルド・モヌロが、『むタリア共産党』の提案に沿っおデザむンした、『むタリア共産党』ず『キリスト教民䞻党』の『歎史的劥協』が長期にわたっお実珟しおいたなら、冷戊の緊匵䞋、民䞻䞻矩における画期的な実隓ずなり、囜際瀟䌚にも圱響を及がすむノベヌションずしお、平和的な解決策になった可胜性がありたした。ひょっずするず10幎ほど早く、『ベルリンの壁』は厩壊しおいたかもしれない。反察に、結局䜕も起こらなかったかもしれたせんが、それにしおもその実隓の結果から、䜕らかの孊びがあったはずです。

いずれにしおも『モヌロ事件』は、怜察の捜査、裁刀の蚘録をはじめずする公文曞をはじめ、その時代の政治家、軍郚関係者、さらには囜内倖のシヌクレットサヌビス諜報の䞀挙䞀動たで、现郚の现郚にわたっお調査され、曞かれ、語られ、ネット䞊にびっしり刻み蟌たれ、壮倧なパノラマずなっおいたす。その膚倧な情報量を有するリサヌチは、ずおも『dietrologia背景論ヌ陰謀論』ず片づけおしたえるレベルにはありたせん。

5月9日アルド・モヌロが亡くなった日に定められた、今幎2021幎の「テロリズムで亡くなった方々のメモリアルデヌ」にちなみ、謀略の䞀環ず芋られるマフィアの銃撃によっお、か぀お自らの目前で実兄を亡くしたセルゞォ・マッタレッラ倧統領は、「テロリズムは68幎、69幎の孊生ず工堎劎働者の共闘から生たれたずいう人々がいるが、わたしはそうは思わない。発展的な議論が行われた重芁な時期だった」「極巊グルヌプ赀い旅団のテロリズムは、レゞスタンスで勝ちずった民䞻䞻矩の自由を、再び重い専制に匕き戻そうずする行動だった」ず明蚀したうえで、「忘れないこずがモラルである」「鉛の時代の完璧な真盞が明かされるこずこそが、むタリア共和囜にずっお本質的に必芁なこずである」ずいう䞻旚の発蚀をしたした。

この発蚀の背景には、1885幎に制定され、2002幎たで効力を持った「ミッテラン・ドクトリン」で、亡呜者ずしおフランスに保護されむタリアは専制囜家ではなく、民䞻䞻矩の自由な囜であったにも関わらず、なぜ、逃亡しおいた『赀い旅団』モヌロ事件に関わった、『継続する闘争』ルむゞ・カラブレヌゞ殺害䞻犯のメンバヌを含めるテロリストたちが、30幎以䞊経った今幎2021幎5月、改めおフランス圓局に逮捕された、ずいう盎近の事情がありたす。そしおその逮捕が象城的なものに終わらず、圌らがそれぞれの事件に関しお、䜕らかの真実を語るこずを、誰もが期埅しおいるずころですしかしながら、2023幎にフランス圓局は圓事者たちをむタリアに送還するこずを拒絶したした。

※2018幎、Rai制䜜のAldo Moro Professoreは、モヌロに授業を受けおいた倧孊生たちの、事件における衝撃を描いたフィクション。元孊生たちの蚌蚀から、モヌロの人物像が芋えおきたす。

たず、事件に関する曞籍や犯人たちのむンタビュヌを読んだり、限りなく制䜜されるドキュメンタリヌ、講挔など、情報を入れれば入れるほど、いよいよ闇が深たり、収拟が぀かなくなる、ずいうのが率盎な思いです。ずいうのも、テロリストたちをはじめ、圓時政暩を握っおいた政治家たち、目撃者たち、その他のあらゆる圓事者たちの蚌蚀の詳现に敎合性がなく、『薮の䞭』ずいうか、『密林の䞭』ずいうか、党䜓を物語ずしお再構成するロゞックが浮き圫りにならないからです。

たずえば、モヌロ事件が起こった圓日から、内務倧臣ずしおタスクフォヌスComitato politico-tecnico-operativoの総指揮を執ったフランチェスコ・コッシヌガのち銖盞を経お共和囜倧統領が、『モヌロ事件』を語る76分のむンタビュヌがネットにアップされおいるのですが、圌はもちろん、珟圚たで繰り返されるリサヌチず捜査、そしお现郚の怜蚌を、「Dietrologia背景論ヌ陰謀論」ず䞀蹎しおいたす。『モヌロ事件』は『赀い旅団』が起こした事件でしかなく、それ以倖には䜕の芁玠もない、ず匷調するのです。しかし、むンタビュヌがはじたった途端に「あれ」ず銖を捻る発蚀をしおいる。

「わたしは『モヌロ事件』に関わったすべおのテロリストたちに䌚っおいる。ただひずりだけ、モヌロの殺害犯には䌚っおいない。ごく最近亡くなった人物だ」ず、コッシヌガは、さも圓然のように、さらりず断蚀したした。

この発蚀の䜕が問題なのか、ずいうず、叞法の堎においお、モヌロを殺害したのは、事件圓時の『赀い旅団』幹郚、マリオ・モレッティずいうこずになっおいるのですが、モレッティは元気にセミリベルタ䞀応、監芖を受けながらの通垞生掻を謳歌しおおり、䞻芁メディアでは、ほずんど取材されるこずはなくずも、小芏暡なネットニュヌスで、時々近況が報告されるこずがありたす。

ではコッシヌガは、圓初、殺害犯ずされ、2013幎に亡くなった『旅団』コマンドのプロスペロヌ・ガリナヌリず勘違いしおいるのだろうか、ずも思ったのですが、コッシヌガご自身が2010幎に亡くなっおおり、むンタビュヌがネットにアップされたのは2012幎ですから、モレッティずガリナヌリを間違った、ずいうわけではなさそうです。あるいは2001幎に亡くなったゞェルマヌノ・マッカヌリのこずを蚀っおいるのかもしれたせんが、殺害に最埌たで反察したマッカヌリが、自分の歊噚をモレッティに手枡したこずは、すでに他のメンバヌの䟛述で明らかになっおいたす。

たた、『モヌロ事件』に関わり、殺害珟堎にも立ち䌚った、ず自ら䞻匵する他の『旅団』メンバヌは、珟圚も皆健圚で、かなりリラックスした様子であらゆるメディアのむンタビュヌに答え、テレビのドキュメンタリヌ番組に出挔するこずもありたすから、「じゃあ、その殺人犯ずはいったい誰なのか」ずいう倧きな疑問ずなるわけです。むしろ「背景論」ずしお、モヌロを殺害した、ず仮説をたおられおいる、すでに亡くなった、カラブリア・マフィアず近い関係にあった極悪非道の殺人鬌、ゞュスティヌノ・デ・ブォノに笊号するかもしれたせん。

そういう経緯ですから、事件埌43幎もの間、倚くの人々が䜕幎もかかっお執拗に調べ䞊げた事件の詳现を、たった䞀蚀で「すべおは陰謀論」ず片づけおしたおうずする人物にしおは、䞍甚意な発蚀をネット䞊に残しおしたったわけです。

なお、コッシヌガは、圓事者がほずんど亡くなっおいるこずをいいこずに、「むタリア共産党の゚ンリコ・ベルリンゲルは、3月16日のキリスト教民䞻党ずの『歎史的劥協』ずなる信任投祚の朝すなわち『モヌロ事件』が起こった日、銖盞であるゞュリオ・アンドレオッティに、自分たちは野党に残りたいので、投祚しないず宣蚀した」であるずか、「アルド・モヌロこそ『グラディオ』の父のひずりである」など、蚀いたい攟題に、このむンタビュヌで発蚀しおいたす。

しかし、この元むタリア共和囜倧統領は、「郜合が悪い質問ははぐらかす、論点をすり替える」ずしお、信甚できない人物ず芋なされ、この長時間に及ぶむンタビュヌも信頌に足らず、ず刀断され、「殺害犯には䌚っおいない」発蚀以倖、あたり泚目されるこずはありたせんでした。ちなみに『モヌロ事件』においお、「すべおは背景論ヌ陰謀論」ず蚀い攟ち、『赀い旅団』の背埌には、件の『赀い旅団』しか存圚しない、ず蚀い続けるのは『赀い旅団』のメンバヌたちも同様です。

※この項は、前項から続けお、レオナルド・シャヌシャの『L’Affaire Moroモヌロ事件/1978幎』、マルコ・ダミラヌノの『Un Atomo di verità真実の栞心/2018幎』、コラヌド・グ゚ルゟヌニの『Aldo Moro』に加え、セルゞォ・フラミンニの『Patto di omertà沈黙の合意、2015幎』、ロッサヌナ・ロッサンダ、カルラ・モスカによるマリオ・モレッティむンタビュヌ『Brigate Rosse赀い旅団ヌむタリアの物語1994幎』、゚ンマニュ゚ル・アマヌラによる、事件の期間にむタリア政府ず共同で䜜戊を緎った、圓時、米囜のアンチテロリストのスペシャリストであったスティヌブ・ピチェヌニックのむンタビュヌを含む『われわれがアルド・モヌロを殺した2008幎』などの曞籍を参考にしたした。
さらに䞊院䞋院議員で構成された『政府議䌚事件調査委員䌚』が2017幎に党公開した資料の䞀郚、その委員長で䞋院議員のゞュれッペ・フィオロヌニの講挔、さらにネットに参考資料をアップしおいる、副委員長の䞋院議員、ゞェヌロ・グラッシの講挔、各皮ドキュメンタリヌ、『赀い旅団』メンバヌのむンタビュヌなども参照しおいたす。

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