【ストレポ】横浜ロック座:矢沢ようこ27周年
映画監督がストリップに魅せられる理由
自作の上映を終え、ようやく筆を執る時間ができました。 2024年12月3日、矢沢ようこ27周年。私は妻(生田みく)と共に、横浜ロック座を訪れました。
私が初めてストリップを観劇したのは2021年。当時、まだ結婚前だった妻に勧められたのがきっかけでした。以来、各地の劇場を巡り、小宮山せりなさん、ささきさちさん、友坂麗さん、そして矢沢ようこさん……。行く先々で、その肉体が放つ表現の凄みに、新たな「推し」を見つけてきました。
職業柄、私は舞台上の物語の連なり、選曲の妙、そして「見せる/見せない」の技術力に重きを置いてしまいます。これは単なる感想文ではなく、一人の映画監督が「盆(ステージ)」という聖域に何を見たのか、その記録です。

序盤の衝撃:白石さやか、藤川菜緒、聖京香
幕開けは、スト女出身の白石さやか。 「寝巻きからアイドルの夢へ」という、彼女自身の軌跡をなぞるような構成。特筆すべきはベッド(回転台)での演出です。アイマスクで瞳を隠し、はだけた肌を見せる。視覚を一部制限することで、観客の意識をフェチズムの深淵へと誘う「引き算の美学」にお見事と言わざるを得ません。
続く藤川菜緒。ピンク映画の現場でも馴染みのある彼女は、冬の寒さを吹き飛ばすような「布団から出たくない」というコミカルなテーマで登場。テーマパークのお姉さんのような満面の笑顔とステップは、劇場に明るい光を灯しました。
そして、三番手の聖京香。 暗転中から劇場を満たす香水の残り香。嗅覚さえ支配せんとする圧倒的なオーラ。和装から鎖、髑髏、そしてボンテージへ。かぶり席の客を鎖で射抜くようなパフォーマンスは、至近距離の劇場ならではの醍醐味。終始「強さ」を貫いたその佇まいに、圧倒されました。
魂を浚われた「静」の舞:ゆきな
今回、私が最も心を奪われたのは、ゆきなでした。 赤い振袖から白いレースのドレスへ。そのレース越しに透ける肌の白さに息を呑みました。 演目『蝶々結び』。回転するベッドの上で、赤い紐を自らの足に結ぶ。そのゆったりとした、しかし確信に満ちた仕草。「静」の動きだけで客席の感情を支配し、切なさと罪悪感、そして期待を高めていく詩的な演出。 「今を好きに、もっと好きになれるから慌てなくていいよ」 その詞と共に舞台を終えた彼女に、私はただ、感嘆のため息を漏らすことしかできませんでした。
圧倒的なサービス精神と芯の強さ:桃瀬れな
桃瀬れなのステージには、予想外の涙を誘われました。 ブタ、エイリアン、ゾウ……次々と着替えるコミカルな寸劇。一見、ストリップの王道から外れているようでありながら、ベッドシーンでの身のこなし、ポージングの強弱、その基礎の完璧さに「芯」の強さを感じました。 選曲された歌詞が、27周年を迎えた矢沢ようこ、そしてファンへの応援歌のように響き、今の私のプライベートな状況も相まって、不覚にも目頭が熱くなりました。
27年の足跡を背負って:矢沢ようこ
そして、お目当ての矢沢ようこ。 春に浅草で見た、あの巨大なミラーボールの光を背負った「これぞストリッパー」という衝撃は健在でした。もはやメモを取ることも忘れ、ただその格好良さに没入してしまいました。 終演後、ポラロイド撮影での歓談。舞台上の圧倒的な存在感とは裏腹に、一人ひとりに丁寧に向き合う謙虚な姿。その腰の低さこそが、27年という果てしない月日を歩んでこられた彼女の矜持なのだと、深く感激しました。
1回目を終えて
矢沢ようこさんを目当てに行ったはずが、あまりにも贅沢な香盤に打ちのめされた1回目でした。あえて一人選ぶなら、私は桃瀬れなさんを挙げます。ショーとして「何かを届けよう」とする意志に、強く心を動かされました。
2回目では、全員がまた違う演目を見せてくれました。
2回目の幕開け:白石さやか、藤川菜緒
1回目のアイドル的な華やかさから一転、白石さやかは小料理屋の女将姿で現れました。明るい酒場の風景から、一気にしんみりとした昭和歌謡へ。眉を顰めて「哀愁」を演出しようとするその芝居心。自分をどうプロデュースすべきか、その設計図が明確に見える、これからが楽しみなステージでした。
続く藤川菜緒。ダンスレッスンの設定から、浅草ロック座のTシャツを纏ってのステップ。自身の現実と舞台をリンクさせる構成は興味深く、最後に見せた「ウィッグの仮面姿」でのベッドシーンには、どこか匿名性の寂しさと、だからこそ際立つ身体の存在感を感じさせました。
完璧なる「引き算」の構成:聖京香
この2回目において、構成の完璧さに唸らされたのが聖京香です。 黒の和装から始まり、曲のテンポが落ちるに従って舞も緩やかになっていく。まさに「デクレッシェンド(だんだん弱く)」の演目。 身体の動きにワンテンポ遅れてついてくる首の動き、気品溢れる襦袢の脱ぎ方。そして極めつけは、最もゆったりとした八代亜紀の渋い歌声に合わせた、静寂の中の「動」のポージング。 小道具に頼らず、身体と選曲だけで「強い女」を証明してみせたその手腕。演出を志す者は、彼女から学ぶべきことが山ほどあるはずです。
嗅覚さえも味方につける:ゆきな
聖京香の完璧な余韻のあと、サウナを題材にした「ゆきなの湯」で現れたゆきな。 オレンジの可愛らしい衣装。ロウリュを模して振られるタオルから漂う、甘く華やかな香り。映画という媒体では決して扱えない「嗅覚」という武器を、彼女は見事に使いこなしていました。 一気にボルテージを上げた後の、レースドレスでのベッドシーン。完全には脱がない、その「いじらしさ」が、照明に照らされた白い肌と汗をより一層美しく際立たせる。時折こぼれる微笑みに、私は完全にノックアウトされました。大好きです。
魂に寄り添う「1ミリ」の勇気:桃瀬れな
室町時代の貴族の舞から、能楽、そして平成・令和のポップスへ。桃瀬れなのステージは、時代を縦横無尽に駆け抜ける引力がありました。 特筆すべきは、ベッドシーンでの選曲です。「情けないけれど、1ミリでも進めればいい」という趣旨の歌詞。 現在、鬱症状からの快復期にある私にとって、その言葉はあまりにも深く突き刺さりました。ストリッパーはどうして、これほどまでに客の心に寄り添う曲を知っているのか。 箏(こと)の調べに合わせた、一点の曇りもない安定したポージング。1回目とは真逆のオーソドックスな演目で見せた技術の高さに、私は瞳を潤ませずにはいられませんでした。
魔女が支配する聖域:矢沢ようこ
そして、大トリ。27周年の矢沢ようこ。 3つの木枠を用いた周年作。もはや言葉を尽くすのが野暮に思えるほど、それは圧倒的な「格好良さ」でした。 あの細い身体のどこに、劇場全体をこれほどまでに支配する力があるのか。難しいポージングも、背筋の一筋までが表現の一部となり、美しさとエロスが魔術のように融合していく。 彼女はまさに、銀幕ではなく「盆」に住まう魔女でした。こればかりは、実際に足を運んでその目で確かめてほしいと願うばかりです。
まとめ:神がかった香盤を終えて
まさに「神香盤」と呼ぶに相応しい一日でした。 一人を選ぶなら、今回私の琴線を激しく揺さぶり、涙を流させた桃瀬れなさんでしょう。けれど、聖京香の完璧な美学も、ゆきなの多幸感も、矢沢ようこの絶対的なカリスマも、すべてが欠かせないピースでした。
ストリップは、脱ぐだけの場所ではない。一人の表現者が、何を届けようとしているのかを受け取る場所なのだと、改めて確信しました。 まだ間に合う方は、ぜひ横浜ロック座へ。
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