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o101 ヴォルビリスの考古遺跡:古代ローマとベルベルが交差する地

モロッコの古都メクネスから北へ約30キロメートルの小高い丘の上に、北アフリカで最も保存状態が良いとされる古代ローマ都市遺跡の一つ、ヴォルビリスの考古遺跡が広がっています。1997年にユネスコの世界文化遺産に登録されたこの遺跡は、紀元前3世紀頃に先住民であるベルベル人(マウリ人)によって建設された集落を起源としています。その後、紀元後1世紀にローマ帝国の属州マウレタニア・ティンギタナに編入されると、帝国の南西端における重要拠点として劇的な発展を遂げました。

​この都市の繁栄を支えたのは、周辺の肥沃な大地がもたらすオリーブ油や小麦などの農産物、そして円形闘技場に向けた野生動物の取引でした。最盛期には約2万人もの人々が暮らしていたと推定されています。3世紀後半にローマ帝国がこの地から撤退した後も、キリスト教徒やベルベル人による生活は途絶えることなく続き、8世紀後半にはモロッコ初のイスラム王朝を開いたイドリス1世がこの地を拠点としました。その後、11世紀に首都が近郊のフェズへと移されるとヴォルビリスは徐々に衰退し、18世紀のリスボン大地震によって決定的な被害を受けました。現在私たちが目にするのは、フランス保護領時代以降に発掘された、かつての栄華を伝える壮大な廃墟です。

​建築学観点からの特徴

​ヴォルビリス最大の魅力は、ローマ帝国の標準的な都市計画と、北アフリカ固有の風土や文化が融合した独自の建築様式にあります。

​都市の中心を東西に貫く大通り「デクマヌス・マクシムス」の周囲には、カラカラ帝の凱旋門、長方形の巨大なバシリカ(公会堂)、そして神々を祀るカピトリヌス神殿といった、ローマ都市に欠かせない壮麗な公共建築が配置されています。これらは地元で採掘された石灰岩を用いて建設されており、地中海対岸のローマ本国に見られる大理石建築とは異なる、温かみのある独特の黄色がかった風合いを帯びています。

​また、個人の邸宅跡から見つかった見事なモザイク画の数々も、建築装飾として極めて高く評価されています。「オルフェウスの家」「ヘラクレスの功業の家」「ヴィーナスの家」などに残された精緻な床モザイクは、現在も博物館に移されることなく、発掘された当時のまま遺跡内の本来の場所に保存されています。これにより、訪問者は当時の富裕層の邸宅の空間構成や、自然光がモザイクにどのように当たっていたかをそのまま体験することができます。

​実用面での建築技術も注目に値します。オリーブ油の生産が盛んであったことを示す搾油用の石臼や圧搾機の跡が多数発掘されており、居住空間と工場設備が一体化した重層的な構造が見られます。さらに、公衆浴場には「ハイポコースト」と呼ばれる床下および壁面暖房システムが完備され、丘陵地という自然の地形を活かした高度な水利技術を用いて、精巧な上下水道網が都市全体に張り巡らされていました。

​残る謎

​発掘調査が始まってから1世紀以上が経過した現在でも、ヴォルビリスには考古学や歴史学の好奇心を刺激する多くの謎が残されています。

​最大の謎は、この都市の全体像がいまだに解明されていないことです。現在発掘されているのは全体の半分程度に過ぎず、特にローマ支配以前のベルベル人やカルタゴ系の文化が色濃かった時代の遺構の多くは、依然として地中深くに眠ったままです。彼らがどのようにして独自の集落からローマ風の都市へと移行していったのか、その詳細な変遷プロセスは今後の発掘を待たなければなりません。

​また、3世紀後半におけるローマ帝国の突然の撤退理由も、完全には解明されていません。ディオクレティアヌス帝による帝国の防衛線縮小という政治的・軍事的な決断が主な理由とされていますが、なぜヴォルビリスのような経済的に繁栄していた重要拠点が放棄されたのか、現地の反乱や気候変動、交易ルートの変化がどのように絡み合っていたのかについては、研究者の間で現在も議論が続いています。

​さらに、ローマ帝国撤退後からイスラム王朝が成立するまでの数百年間に及ぶ「空白の時代」における住民の生活実態も大きな謎に包まれています。ラテン語を話すキリスト教徒、ユダヤ教徒、そして土着の信仰を持つベルベル人たちが、帝国の後ろ盾を失った孤立状態の中で、どのように共存、あるいは衝突しながら独自の社会を維持していたのか。ヴォルビリスの未発掘の地下には、北アフリカにおける古代から中世への文明の移行期を紐解くための重要な鍵がまだ隠されているのです。