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小説家の思考の中か、実験室か。それとも単なる深読みか

我が父は、いわゆる本の虫。気になる作家を見つけると、その作家の作品リストを手書きで作り、片っ端から購入する習慣がある。満足すると「もう、わかった」とお決まりのセリフを呟き、娘の私に大量の本を委ねる。

私は読みたい作家ができると、父の「本ぐせ」を利用すべく、悪知恵を働かせる。既刊本から父の好みにぴったりな本を慎重に選び、「面白かったよ」と手渡すのだ。うまくいけば、その作家の全作品が手元にやってくる。本好きにとって夢のような仕組みなのである。

だが、娘の悪巧みは、まあまあ失敗する。
父の好みに完全一致する一冊は、そう簡単には見極めきれないからだ。


直木賞作家・小川哲氏の『言語化するための小説思考』を読んだ。
第一章「小説国の法律について」から、いきなり私の作戦に使えそうな内容で驚いた。
読者はそれぞれ独自の「小説法」を持っているらしい。

ある人にとって「違法」な小説が、別の人にとっては「合法」であり、大きな魅力と映る。つまり、作者の「小説法」と読者の「小説法」が噛み合わないと、違法=「つまらない」と判断されてしまう。だからこそ、双方の小説法の違いを知ることが大切だという。

確かに、好みとして捉えている自分の読書観を紐解くと、おもしろい法律本が完成しそうだ。同時に、父の「小説法」の分析もしなくては。さらに興味深いのは、作家と読者の関係性についてだ。初めての作家の作品を読む時、読者は「行き先のわからない電車」に乗るような不安を抱く。だからこそ、帯や冒頭で読者に「行き先」を伝えることが重要だと著者は述べるのだ。

本書は小説の書き方の指南書というより、「小説家が何を考えながら物語を創作しているか」を覗き見られる本だ。まるで小説さながらの例文を用い、懇切丁寧に解説してくれる。最後には、作家の思考の過程を追える短編まで収録されている。

ここまで親切でいいのか。もう企業秘密のレベルだ。小説に限らず、あらゆる「創作」に役立つ内容である。

感心しながら読み終えたところで、大きすぎる帯が目に入る。
と、疑り深い私が顔を出した。

評判の高さを示す数字と、著名人の熱いコメントが並ぶ帯。これは読者心理を導く装置だ。著者は仮説を立てていた。多くの読者は「誰かに感想を導いてほしい」と願う、と。その仮説を実践したい著者の意向が、帯にも反映されているのかもしれない。

「なるほどなるほど」と前のめりで読んでいたら、「という話は、僕が考えた嘘だ」なんて言ってのける小川氏。そういえばこの読書、小説家の頭の中を覗いていたはずが、気づけば著者のペースに巻き込まれっぱなしだった。

さらに著者の言葉を思い出す。

「僕は読者の感想をよく調べる」
「実を言えば本書を読んでいる読者のことを想像していたりする」
「アイデアは生みだすものではなく、見つけるものーーすなわち『視力』である」

小川氏の視線を感じ始める。
私たち読者は、観察されているのではないか。
このレビューも、きっと見られている。

もしかすると。
この本自体が「小川哲の実験室」かもしれない。
大多数の読者を招き入れる工夫。構成の巧みさ。
それらすべてが、読者の反応を観察する仕掛けではないか。

そして、本書で得た情報すべてが、彼の次の小説を面白くするための養分になるのだ。

「誰よりも先に『面白い小説とは何か』の答えに辿りつきたい」と熱望する著者が、にやりとしたような気がした。


「覗いているつもりが、覗かれている?」
そんな深読みも楽しめた本書。

なんていう邪推はさておき。
こんなにも知的で、遊び心のある著者の小説なら、きっと面白いに違いない。小説も読んでみたい。

我が父は、論理的でキリッとした、共感に頼らない文章が好きだ。小川氏の文体は絶対に好きなはず。
今度会ったら父に勧めよう。
きっと来月には小川哲作品が、まとめて私の元に届くはずだ。


📚絵本や書店員のこぼれ話については、ブログ「いとの帖」に書いています

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