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【私のこと】第1回:生活保護っていけないもの?__「普通にご飯が食べられるってすごい!」って思った話

「生活保護」という言葉を聞くと、どんなイメージが浮かびますか?
正直、あまりいい印象を持たない人が多いと思います。

「ずるい」「働かない人がもらうもの」「不正受給ばかり」——

そんな言葉が頭に浮かぶかもしれません。
ニュースやSNSで目に入ってくる情報は、どうしても悪い話が多いですからね。

でも、私にとって生活保護は“命を救ってくれた制度”です。
もしあのとき生活保護がなかったら、私は今こうして生きてはいません。
そして、あの経験は今も私の価値観の土台になっています。



家からお金が消える日々

私がまだ子どものころ、家はいつもお金がありませんでした。
父は家計を支えるどころか、家にあるお金を持って出て行ってしまうことがよくありました。
(ドラマに良く出てくるダメンズまんまデス…)
母が止めるのも聞かずに、わたしのお小遣いを持って行ったこともあったそうで…

やがて両親は離婚…
正直、なんで早く離婚しないのかなと思っていました。
父と一緒にいる限り、家計は穴の空いたバケツのようにお金が流れ出てしまう。(ほんと、ただ両親そろってればいいってもんではない。)

でも、離婚したからといってすぐに状況が良くなるわけではありません。
母はどうも知能が低かったようで、仕事をしても子供を養えるほどの額を稼げる能力はなく、職場でも失敗やトラブルが多かったため、精神を病んでいきました。

ーーー母は境界知能というより、かなり障害側に近いと思いますが、ギリギリ境目あたりなのかも?と思われ…
今なら支援や判定が受けられたかもしれませんが、当時は気づかれず“普通”として生きるしかなかった。
そう考えると、とてもつらかっただろうし、それでも私たちを育てたのは本当に頑張ったと思います。ーーー

手先は器用で、物を作るのはとても上手だったけれど、それをお金に変える方法を知らなかった。
結果、私たちの生活は苦しいままでした。
(それでも父がいたころよりはましだったので、感覚はマヒしてたかもしれない…)


食べ物がない毎日

お金がないとき、真っ先に削られるのは食費です。
冷蔵庫を開けても調味料くらいしか入っていない。
スーパーで買った食材はあっという間になくなり、パンのカビた部分をちぎって、食べれる場所を探して食べるとか…
子供だけで留守番のときは、火も使えないので、インスタントラーメンを硬いまま粉をかけて、「これ食べれるよ!」といって妹と半分ずつ分け合って食べたり…
それが晩ごはんになる日も珍しくありませんでした。

なので、おかわりもできる給食の時間は、毎日とても楽しみでした。

でも、不思議なことに、自分が空腹でつらかった記憶はあまりなくて…
それよりも「妹にはたくさん食べさせなきゃ」という気持ちのほうが強かった。
だから自然と、自分の分を少し減らして妹に回すようなことをしていました。
(でも、それでも父がいたころよりはましだったわけですよ…)

今になって振り返ると、母は当時、骨と皮のように痩せていました。
大人になってから気が付いたけど、おそらく、私たちに食べさせるために自分はほとんど食べていなかったのでしょう。
その姿を見ていたから、私も「自分より妹や母を」って思っていたのかもしれません。
(今は、どちらも、まるまると太っています((´∀`))ケラケラ)


生活保護が入った日

そんなとき、役所の人から説明を受け、私たちは生活保護を受けることになりました。(父がいなくて助かった…)
正直、そのときは制度の仕組みなんて全くわかっていませんでした。

そして、初めて生活保護のお金が入った日。
その夜の食卓には、炊きたての白いご飯と、まともな食べ物のおかずが並びました。
(あ、草とか摘んで食べてたこともあるので…。質素でも食べ物であるならまともなおかず…)

そしてその日、遠慮せずに自分の茶碗にご飯をよそい、口いっぱいに頬張った瞬間——

「普通にご飯が食べられるって、すごい」

って思ったんです。(これだけめちゃ鮮明に覚えている…)

お腹いっぱいになる安心感、そして「私も食べていいんだ」という解放感。
あのとき感じた幸福感は、今でも鮮明に覚えています。


世間のイメージとのギャップ

生活保護と聞くと、多くの人はネガティブな印象を持っています。
その理由のひとつは、不正受給のニュースが大きく取り上げられるからでしょう。
確かにそういう人がいるのは事実ですし、許されることではありません。

でも、本当に助けを必要としている人のほうがずっと多いんです。
私のように、制度に救われて立ち直った人たちは、わざわざ自分の過去を公表することはほとんどありません。
だからこそ、「悪い話」だけが残ってしまうのです。

この偏った情報のせいで、「生活保護=悪い」というイメージが固定されてしまっているのは、とても残念なことだと思います。


生活保護は浮き輪みたいなもの

私は生活保護を“浮き輪”だと思っています。
海で溺れかけているとき、「恥ずかしいから浮き輪を掴まない」なんて言っていたら、沈んで命を落としてしまいます。

浮き輪を掴んで呼吸を整え、落ち着いたら少しずつ泳ぐ練習をして、自分の力で岸までたどり着く。
泳げるようになったら、自然と浮き輪を手放せばいいんです。

生活保護も同じ。
経済的に立ち直るまでの間、命を守ってくれる制度です。
「恥ずかしいから」と言って使わずに沈んでしまうより、掴んで生き延びるほうがよっぽど健全だと思います。


そこから少しずつ

その後私は、高卒で働きにでましたが、月によっては、生活保護の基準額とほぼ同じくらい稼げることもありました。
でもそれは安定していたわけではなく、稼げる月もあればほとんど稼げない月もあるという不安定な状況。

それでも、生活保護の仕組み上、収入が同じ水準まで達すると、その分の支給額は減らされ、最後は停止されます。
この状態で生活保護が停止されれば、私たちの生活はすぐに立ち行かなくなります。
しかも、妹の高校進学に必要な費用までは到底まかなえず、このままだと妹は中卒で働くしかない。

そこで、私が家を出るという結論になりました。
私が抜ければ、その分の収入制限がなくなり、妹が高校まで学歴を得られるようになるわけです。
中卒では、その後の人生で選べる道があまりにも限られてしまう——これは周知の事実です。
だからこそ、この判断は感情的なものではなく、将来を見据えた賢明な選択だったと今でも思います。

もちろん、私に十分なお金があったわけではないので、すぐに引っ越せる費用もなく、最初は親戚の家にお世話になろうと思いましたが、そこはすぐに限界を迎えました。
一応、泊めてくれる友達もいましたが、ずっといられるわけではなく、転々とする日々。

泊まれる場所が見つからない夜は、24時間営業のマクドナルドのようなお店で朝を待つこともありました。
でも、当時はまだ今のようなネカフェがある時代でもなく、今ほど24時間営業の店が多い時代ではなかったので、本当に行き場がなくて困る日も多かった。
数か月間、そんな生活を繰り返すことになったのです。
けれど、「妹を高校に通わせるため」という理由があったからこそ、踏ん張れたのだと思います。

その間も、仕事は続けていたので、少しずつ貯めたお金で、数か月後にはきちんと住居を借り、ようやく一人暮らしを始めることができました。
細かいことはあまり覚えていません。
ただ、「これでやっとゆっくり寝られる」と思って、うれしかった——その気持ちだけは、今でもはっきり覚えています。


まとめ

生活保護は悪でも恥でもありません。
それは、弱ったときに頼れる社会の安全網であり、立ち直るための足場です。

恥ずかしいのは制度を使うことではなく、助けが必要な状況にある自分を認められず、変えられないまま諦めてしまうこと。
頼れるうちは頼って、自力で泳げるようになったら手放せばいい。

私にとって生活保護は、命をつなぎ、未来への一歩を踏み出させてくれた“浮き輪”でした。
あのとき母が、恥ずかしいなどと思わずに、浮き輪を掴んでくれたからこそ、今の私があります。

次回は、「生活保護は恥ずかしい?」というテーマで、この感情の正体についてお話しします。



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