質問されないと、「僕に興味がないのかな」と思ってしまう
今日、人と話しているときに、こんなことを口にしました。
「僕の周りって、僕に質問するよりも、自分のことを話す人が多い気がする」
すると、
「蓮くんのことを知りたいとか、好きだったら、もっと質問するんじゃない?」
と言われました。
その言葉を聞いたとき、少しだけ心に引っかかりました。
たしかに、興味のある人については、いろいろ知りたくなるものだと思います。
「普段は何をしているの?」
「どんなことが好きなの?」
「これから何をしたいの?」
好きな人や気になる人には、自然と質問が増えることもあるでしょう。
でも、本当に質問の数だけで、その人の関心や好意を判断できるのでしょうか。
僕は、必ずしもそうではないと思いました。
質問するのが苦手な人もいれば、どこまで踏み込んでいいのか分からない人もいます。
自分のことを話すことで心を開こうとする人もいるし、安心できる相手だからこそ、つい話しすぎてしまうこともあります。
僕は昔から、人の話を聞くことが多い方でした。
相手の話を否定せずに聞いたり、話しやすいように相づちを打ったりすることも多いです。
だから、周りの人が自分の話をたくさんしてくれるのは、僕に興味がないからではなく、僕を「安心して話せる人」だと思ってくれているからかもしれません。
それは、素直にうれしいことです。
ただ、その一方で、僕の中にはこんな気持ちもあったのだと思います。
「僕の話も聞いてほしい」
「僕のことも知ろうとしてほしい」
「いつも聞く側ではなく、たまには僕の心にも興味を持ってほしい」
僕が本当に求めていたのは、たくさん質問されることではなかったのかもしれません。
僕が話したことを覚えていてくれたり、後になって「あれ、どうなった?」と聞いてくれたり、言葉にできていない気持ちまで知ろうとしてくれたり。
そんなふうに、僕という人間に少しずつ近づこうとしてくれることが、うれしいのだと思います。
でも同時に、僕自身も相手に話す場所を譲りすぎていたのかもしれません。
質問されるまで待つのではなく、
「僕はこう感じたよ」
「実は僕にもこんなことがあった」
と、自分から少しずつ心を見せていくことも必要です。
相手に知ってもらいたいのなら、僕自身が「知ってもらう勇気」を持たなければいけない。
大切なのは、質問の数だけではありません。
僕が話したときに、ちゃんと耳を傾けてくれるか。
以前話したことを覚えていてくれるか。
僕の気持ちや変化を、知ろうとしてくれるか。
そして僕自身も、相手に自分のことを伝えられているか。
「質問されないから、僕には興味がないんだ」
そう決めつける必要はないと思います。
ただ、今回の会話をきっかけに気づきました。
僕はきっと、誰かに深く知ってもらいたかったのです。
いつも話を聞く側の僕も、本当は誰かに見つけてもらいたかった。
その気持ちを、これからは無視しないでいたいと思います。
