保育の質は「特別な活動」ではなく日常に現れる
「質の高い保育」と聞くと、どんな保育を思い浮かべるでしょうか。
特別な教材。
特色ある教育。
英語、音楽、運動、STEM。
もちろん、それらにも意味があります。
しかし私は、保育の本当の質は、もっと何気ないところに現れると考えています。
例えば、靴を履こうとしている子どもがいる。
なかなか履けない。
ここで大人がすぐ履かせるのか。それとも、少し待つのか。
食事をまだしたくない子に「みんな食べているよ」と急かすのか。それとも、その子の状態を見るのか。
転んだ子どもが自分で立ち上がろうとしているとき、すぐ抱き起こすのか。それとも、立ち上がろうとしている姿を見守るのか。
こうした小さな判断の積み重ねが保育です。
子どもは一日に何十回、何百回と、大人とのこうしたやり取りを経験しています。
だから重要なのは、イベントではなく日常です。
保育者がどれだけ待てるか。
どれだけ子どもの行動の意味を考えられるか。
どれだけ子ども自身の力を信じられるか。
保育の質とは、大人が何をしたかだけでなく、子ども自身がどれだけ動くことができたかから考える必要があります。
