【新宿からの手紙】百人町に響く空砲
秋風が吹いてきました。
つい二週間ほど前までは酷暑だったのに、ここまで変わるとは。天気とは不思議なものです。
秋を感じるものはいろいろあるでしょう。
旬のものもあるし、これからは木の葉の色も変わる。あるいは、祭りの始まりに季節の移ろいを感じることもある。
お祭りがあるということ
私は今、新宿区にいます。
それまでは多摩の方にいました。23区というところに移ってきて、祭りが身近になりました。
もちろん、もといた場所にも祭りはありましたが、家の前を神輿が通るとか、そういうことはありません。基本は、見に行かなければ、出会うこともなかった。
盆踊りに例大祭と普通に生活していても目につくのは、やっぱり、はずれとはいえ、ここが江戸なのだなと思います。

百人町
ところで、私の住処の近くに、百人町という街があります。
大久保駅から新大久保駅までの道すがら。ここが百人町です。いまでは多国籍の多文化混淆タウン。
私がここにいる理由も、そんな混ざり合う色の街を感じるためです。コリアンが強い新大久保界隈よりも、百人町のほうがカオスだと感じます。ヴェトナム、ネパール、中国、バングラデシュ、最近では徐々にミャンマーの人たちも目にします。

この街が今のような形になったのは、比較的最近だと言います。
それまでは、台湾人のコミュニティがあったという話を聞きました。その証拠が、「東京媽祖廟」で、中国の福建の海の女神が祀られています。台湾は福建から来た人たちが多いので、この女神は台湾で厚く信仰されているのです。

戦前には、この辺りは音楽家がたくさん住んでいたらしい。ドイツ人音楽家も住んでいたようです。楽器の修理をする場所や、音楽とは違いますが、映画の撮影所もあって、芸能の街だったといいます。
今でも、大きな中古の楽器店があったり、金管楽器専門という珍しい店もあります。小さいながら、ライブハウスも見かけます。
歴史は確かに、生きています。ここまで多文化を受け入れている下地に、芸能という一種の社会の「外れ者」を許容してきた歴史もあるのでしょうか。
百人町にはもっと前の歴史もあります。それがこの街の名前の由来でもあります。
鉄砲百人隊
江戸時代のこと。この場所には、江戸幕府の「鉄砲百人隊」が住んでいました。幕府お抱えの鉄砲隊です。
彼らは江戸城や将軍の遠出の際の警固を行ったといいます。幕末には軍制をヨーロッパ式のものに改める関係で廃止になりましたが、新しい幕府の軍隊に加わった人たちもいるようです。
彼らは生活の足しにするためにつつじを栽培し、江戸時代、百人町はつつじの名所になりました。百人町から少し離れた北新宿という地区に、つつじが有名だったという寺を見かけました。
もう一つ、彼らのゆかりの地があります。
それは、皆中稲荷神社という小さな神社です。新大久保駅のそばにありますが、気にも止めずに歩き去るという人も多いのではないかな。
「皆中」とは、「みな、あたる」ということ。鉄砲隊の人々が、「命中」を祈願したそうです。命のやり取りを思えば、なかなかに物騒な話ではありますが、今では少し意味合いも違うそう。
近くに、ジャニーズが運営する東京グローブ座があることもあり、チケットを当てたい人たちの聖地だそうです。
私にも当てなければいけないチケットの一つや二つはあるので、祈ってみようかな。
そんな鉄砲百人隊を現代に再現するお祭りがあります。
歴史が行進する
朝の9時ごろ目を覚ましました。
朝食を済ませ、9時半には家を出て皆中稲荷神社まで足早に歩きます。家が近いというのは便利なものです。
皆中稲荷神社では「出陣式」が行われていました。百人隊の面々が神社に祈願をし、
「えいえい、おう」
の鬨の声と共に行進をスタートします。
「2年に一度になりますので、お見逃しなきよう!」と、時代劇のような曲を流しながらアナウンスする神社の街宣車が先頭です。
その後ろには新宿交通少年団。彼らは彼らで少年団の歌を流しながらタンバリンを叩くものだから、カオス。新宿らしいといえば、らしいのかな。
それから、主役の百人隊です。いくつか部隊があり、それぞれの先頭には壮麗な甲冑の「目付」が歩きます。
他の隊員は、黒い甲冑で、袋に入れた火縄銃を担いでいる。その姿は凛々しく、表情もあまり崩さないものだから、時間旅行でもしたように思います。
髑髏や、「百鬼夜行」の字が書かれたおどろおどろひいのぼりを掲げている人もいて、死者の行進に見えなくもありません。

そんな隊列の中に、おそらくミャンマーのものと思われる名前の人がいるのも、土地柄が出ていて面白い。
同じこの街で暮らす人として、この場にいる。数は多くないけれど、なんとなく誇らしく思います。
列の真ん中あたりに、太鼓で合図をする2人の同心がいます。
1人は太鼓を背負い、もう1人が叩く。きっと昔もこうだったのでしょう。キリッとした隊列の中で、どこか滑稽で、黒澤映画のようです。

百人町に響く空砲
隊列は、大久保通りを西に向かい、新宿方面に伸びる小滝橋通りを南下します。
目的地は、総武線の高架があるあたりの広場。そこで1回目の「演舞」が行われることになっているとのことです。つまり、火縄銃の実演です。
先回りして行ってみると、すでに何人か待機していて、
「この辺りが一番撮れる」
とか、
「去年は…」と話し合っています。
写真が目的ではなかったけれど、私も近くで待機しました。
15分ほど待ったでしょうか。街宣車の声が聞こえたかと思うと、大通りではなく、小道から隊列が現れました。
「そっちかい」と誰もが口を揃えている様は、なんだかコントのようです。
百人隊の部隊のうち、一番から三番隊までが整列し、射撃演習が始まります。もちろん、空砲です。
実演は次のように行われます。
まず、号令と共に、各員が火薬を込める。それから、法螺貝の音と共に、一番隊から射撃体制に入ります。
リーダー格の目付が号令をかけると、火が灯されます。よく通るいい声です。
「撃ち放ち!構えーっ」
隊員たちは銃を構えます。
隣に高架があるから、電車の音がうるさいのですが、この構えの時間で、電車をやり過ごすこともあります。芸が細かい。
「撃てっ」
の号令と共に、パンパンパンと乾いた音が鳴り響きます。元はと言えば戦いの道具ですが、船の号砲よろしく、めでたい感じがするのが不思議です。鳥も飛び立っていました。

各隊、違う撃ち方をするのが飽きさせない秘訣です。
一番隊は空に向かって構え、二番隊は腰に構え、三番隊は座ったまま発砲する。
ひょっとすると、最後の演舞まで見れば、他の撃ち方も見れたのかもしれません。


2年前、仕事の都合で見ることができなかったから、2年越しで見ることができました。
火縄銃なんて見ることがないし、迫力がありました。
また2年後もまた見に行こうと思います。
幼い頃から転々としてきたし、家族も一ヶ所にとどまることが少なかった私には、地元というものがありません。
それが時々、寂しいのことのように思います。でも、こうして何度もこういう祭りに行けば、私もこの街を地元と言えるようになるのでしょうか。
あの隊列にいたミャンマーの人のように。
***
手紙風のエッセイは初めての挑戦でした。また海外からでもやろうかと思っています。
それでは。
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