痛快で、不謹慎で、少し怖いーー『キングスマン』を観て
最高に不謹慎で趣味が悪いーー!
というのは褒め言葉で、これくらい振り切った方が良いのだと思いました。
良識的な人なら眉をひそめる映画でしょう。
しかし、平安・室町・江戸時代の陰惨・不謹慎・可笑しな物語を読んできた私には、死角はない!……と思いたい。
ところが、観終わって少し怖くなりました。
※以下ネタバレ※
2時間のノンストップ型絶叫マシン
この映画、セリフやシーンの伏線がきちんと回収されていて、2時間に丸く収めることができた成功例ではありませんか?
特に、子どもが遊んでいたスノードームが拡大され現在の場面に移るところがお気に入りです。
読書ではあまり意識していませんでしたが、私は映画を観るようになって、伏線の回収とストーリーの完結が映像では特に強く意識されるように感じました。
音楽も良いです。
残虐な場面では軽快な音楽が流れ、切り刻みダンスをする映像の清涼剤となっています。
人体を切り裂く様子には現実味がありません。「こんなふうに人体をスライスできるのか?」と思うほど、現実の手触りから離れた殺し方でした。
これのお陰で何とか通して見られるようになっています。
もし少しでも音楽が暗かったり、リアルな殺人描写になっていると、ただの陰惨なスプラッタになっていたはずです。
現代のマイ・フェア・レディは幸せなのか?
そんなに考えて観てはいけない映画なので考えたくはなかったのですが、これは階級社会が課題として据えられています。
マイ・フェア・レディを現代に持ってきた話なので、花売り娘ではなくチャヴが出てきます。
チャヴであるエグジーは、ヒギンズ教授であるハリーに見出され、階級を飛び越えていく。
そして最後にはなんと、スウェーデン王女とポップにボーイ・ミーツ・ガールまでしてしまう!
ですが、現代社会の中で、貧困層から抜け出し、上の階級に『登りつめる』ことは果たして幸福なことなのだろうか?とも考えてしまいます。
エグジーは、完全に上流階級へ同化したわけではありません。彼は母親や故郷とのつながりを断ち切っていないのです。家族を捨てないーーそこに、現代版マイ・フェア・レディのバランス感覚があると思いました。
アメリカは煽れるだけ煽れ!――英国紳士のブラックコメディ
アメリカがとにかく煽られていますね。
タキシードを着こなした堂々たるイギリス人を、マックでもてなすテック企業の大富豪はアメリカ人です。
“伝統と格式ある”ロイヤルアスコットに、完全に浮いた状態で参加しようとする新興富裕層の構図、というのもイギリス人へのファンサービスでしょう。
これらは、イギリス人がアメリカ人に持つ一種の偏見を茶化したものにも見えます。
「悪人」が殺されると、なぜ私たちは爽快なのか?
ここでも真面目に整合性を妄想してみます。
『キングスマン』は、誰かを救う映画であると同時に、誰かを「倒していい存在」に仕立てる映画にもなっていると。
アメリカ南部の人種差別主義者の白人カルト集団が殺戮されても「ハリー強いな、戦闘シーンの長回しが素晴らしいな」となるのは何故でしょうか。
それは私の中に、
「人種差別主義者の彼らなら、そう扱われても仕方ない。彼らへの暴力は、もはや『差別』とは感じられない」
という無意識の心理が働いていたからではないでしょうか。
そう考えると、少し怖くなります。
そして映画もまた、「彼らは人種差別主義者なのだから、痛めつけられても仕方がない」と観客に思わせることで、教会での暴力を爽快なものとして見せているのではないか、と穿って観てしまいます。
誰を「人間」として描き、誰を「倒していい存在」として描くのか?
チャヴである主人公もまた、チャヴであることから、継父やその息子たちと同じように軽快なテンポで倒される存在であったかもしれません。
そうならなかったのは、ひとえにエグジーがこの映画の主人公だったからではありませんか?
エグジーの「努力して階級を超えたら、素晴らしい女性と出会う」という明快な構図と同様に、「倒していい人間」と「倒してはいけない人間」の区別もまた、明確に振り分けられる構図になっているように思います。
だからこそ、この映画は娯楽作品として秀逸なのでしょう。
…というか自分自身にこのような無意識の考えがあるとは思いたくなかった。それなりにショックです。
内容は面白かったです。
2時間はあっという間に過ぎて、映画はエンドロールを軽快に流しました。
けれどこんな感じの作品は観た後に落ち込むことになるでしょうか。
映画のせいではなく、自分自身の思考によって。
英国紳士の次は、一滴の色へ。
次回、偏愛・インク沼です。
ええ、何の脈絡もありません。……たぶん。
スクリーンからこぼれたもの
美しい衣装と奇抜な世界観に惹かれた方へ。
『華麗なるギャツビー』もどうぞ。
引用画像 J. C. レイエンデッカー
《 Saturday Evening Post Cover, 22 March 1913.》
Wikimedia Commons.
