見出し画像

【深夜街道】板橋宿 なぜ「下宿」ではなく「平尾宿」?日本橋から続く中山道と川越街道の分岐点 勝手に予想する🤔

今回は、江戸時代の中山道・板橋宿を歩きます。

スタートは板橋宿の上宿付近。

環七を越え、縁切り榎、上宿、板橋、仲宿、加賀、高野長英ゆかりの地、本陣、板五米店、王子新道、平尾宿を通り、最後は平尾追分から川越街道へ入ります。

板橋宿は、中山道の江戸から数えて第一番目の宿場。
しかし、板橋宿には少し不思議なところがあります。

それは、京都側から「上宿・仲宿・下宿」と並ぶのではなく、「上宿・仲宿・平尾宿」と呼ばれていたこと。

なぜ「下宿」ではなく「平尾宿」だったのでしょうか?予想してみます🤭
板橋宿は、もともと平尾・仲宿・上宿という三つの宿から構成されていたようなのです。

そして平尾には脇本陣を務めた豊田家があり、代々平尾の名主と板橋宿の問屋を務めていました。

さらに平尾には加賀藩前田家の巨大な江戸下屋敷も置かれ、最終的には約21万7〜8千坪にも及ぶ広大な屋敷地となりました。

こうした歴史をたどると、平尾は単なる「板橋宿の一番江戸側の宿」というだけではなく、独自の地域として大きな役割を持っていたことが見えてきます。

そして最後にたどり着くのが「平尾追分」。
ここで中山道から川越街道が分岐します。

日本橋を出た旅人たちは板橋宿まで同じ道を歩き、ここから先は目的地によって道を分けていきました。

今回はその川越街道へ実際に入って歩いてみました。
そして、この先にあるのが「大山」。
江戸時代に大流行した大山詣りとの関連は?

果たして板橋を歩いていた人々と、大山への道にはどのようなつながりがあったのでしょうか?

次回は、川越街道をさらに進み、大山ハッピーロードへ向かいます🤭


いいなと思ったら応援しよう!